ある人の実話

@Naoka

第1話 完結

 これはある人物の実話に基づく物語です。


 今から26年前、とある地方の小学校での休み時間。

 元気よく自由な時間を謳歌する児童達の間に一つ、主のいない空席がありました。

 男子児童の一人が前日の体育の授業の怪我で通院のため、その日は彼の姿を朝から見かけることはありませんでした。

 二時間目が終わった頃でしょうか。

 病院から直行で登校した彼の姿を認めると、児童達は一斉に歓声を上げて彼を迎えました。

 次々と発せられる見舞いと労わりの声の数々。

 その渦の外で一人、彼を羨ましそうに見据える視線がありました。

 そう、彼こそがこの物語の本来の主人公です。

 元来友達の少なかった彼は周りを級友に囲まれて注目の存在となることに憧れていました。

 その数か月後のこと。

 望んだわけではありませんが、彼自身もまた、ふと体の不調を訴え通院し、登校することになりました。

 母親に手を引かれ、誰もいない校庭を歩く彼はただ、自分もまた盛大に歓迎されることを夢見ていました。

 時刻は丁度休み時間。あの日と同じく、児童達の無邪気な笑い声が廊下まで響き渡ります。

 期待に大きく胸を膨らませ、教室のドアを開きます。

 誰も、彼の方を振り向きません。

 まるで彼など存在しないかのように、級友達はわずかな自由時間を思い思いに過ごしています。

 大いに落胆した彼は、特に挨拶することもなく、自分の席に座ります。

 そこへ、一人の女子児童がやって来ました。

 ようやく、彼の存在に気が付いてお見舞いに来てくれたのでしょうか。

 彼女が発した言葉は、しかしながら意外なものでした。

 病気のことなど一切触れず、ただ彼の遅刻を糾弾したのです。

 同じ教室で学ぶ人間なのに、こんなにも待遇が違うのかと、彼は失望しました。

 無論、当時の担任教師は事情を知っていたので、大事には至りませんでしたが、その日以来、彼は人間関係というものに早くも見切りをつけることにしました。

 体育祭や文化祭を始めとする集団行動には一切関心を示さず、ただ人と関わらないような職業を勝ち取れるように、勉強だけを続けていました。

 お陰で大学までは成績が五指に入るほどの実力でしたが、交友関係を築かない彼の対応に周囲は否定的な態度を示すことがままありました。

 もっとも、彼はそんな態度こそ見当違いだと開き直ります。

 彼にしてみれば周囲こそが彼を疎外した罪を背負うべきであり、彼はその被害者なのです。

 今まで蚊帳の外に置かれた分、自分は埋め合わせに値する存在であるはずで、実際某国立大学を首席で卒業するまでに実力を揃えた彼には客観的に見てもその資格があるはずでした。

 ところがなお、世間は彼を拒みました。

 景気動向の煽り、と言われればそれまででしょうが、その当時は就職状況が厳しく、国立大学の出身とはいえ、彼は就職先が決まらずにいました。

 大学院進学という選択肢もあったはずですが、他人と交流しない彼の性格に指導教員も半ば困っているようで、行き場のない彼は次々と減っていく就職先を求めて、都心を歩き回りました。

 卒業一ヶ月前にとりあえず自動車部品メーカーに就職は決まりました。

 ところが業務命令をごねる上司との間で衝突。

 会社に忠実で、結果的には実績を上げたにもかかわらず、彼は数か月後に地方に転勤を命じられます。

 会社の魂胆を見抜いていた彼は退職を希望。

 次の職場へと移りますが、パワハラ・下請けいじめと災難が次々と彼を襲います。

 それから十年目に入った今年。

 彼の年収は、ようやく一般的な中小企業の新入社員の初任給です。

 これでは老後死ぬまで働いても、自分の住居さえ持てる保証がありません。

 彼の同級生達は既に所帯を構え、中にはマイホームの購入に至った者も現れ始めています。

 今まで散々、除け者にされた自分がどうして今なお報われないのか。

 孤独な彼の前を、三人の親子が楽しそうに歩き去っていきます。

 過大な業務をこなすために始業時間より大幅に早い電車で通勤する彼は、目の前に座る女性のブランドバッグを見つめます。

 横では、高校生がポータブルゲーム機を夢中で操作しています。

 そろそろ我慢の限界に達してもよい頃でしょうか。

 首を縦に振りたくても、それで彼の立場が改善するわけではありません。

 ただ、彼には一つだけ救いがありました。

 今まで勉強だけをしていたせいでしょうか。

 頭の回転には自信がありました。

 インターネットが発達した今日、この小説をはじめ各種のサービスを利用して、彼は一つ思いついたことがあるのです。

 思いつけば即座に実行する彼はすぐに行動を起こしました。

 無意味な議論だけで有効な方策は何も実施しない他の大人達とは違う。

 彼にはそういう自負があるのでした。

 そうして書き上げたのがこの小説。

 たかだか一節の短編小説を書き上げただけですが、それだけで彼には十分でした。

 皆さんは既にお気づきでしょうか。小説の上でのこの物語はこれで終わりますが、既に彼が何を目論んでいたかは明らかです。

 こんな平凡な人物の人生が、なぜこんなにも大勢の人達に読まれると思いますか?

 

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