第32話 悪逆非道(1)

クラウディアは通信機を切ると、額に手を当てて俯いた。


「ギル達、ここに来てくれるって。こんなところまで尋ねて来るなんて、アメルン伯爵は、また性懲りもなくアンネマリーを嫁兼手駒として『守りに』ならぬ、狙いに来たのかしら」

「それは違うと思います」


アンネマリーが首を振る。


「騎士団合同演習会の時、フェリクスさんがやり込めてくれました。ですから、あの人がわざわざまた私を『守ろう』とはしないと思います。それに、私は今、ネリ姉さまの家にいます。私を訪ねてネリ姉さまの家まで来るとは、少し考えにくい」

「そういえば、ここネリの家よね……」


アンネマリーとクラウディアは静かにコルネリアの顔を見た。

コルネリアはしばらく考えると、自分を指さして叫んだ。


「私ぃ!?」

「もう、そうとしか考えられませんよ」

「一応言っておくけど、私は社交界にも滅多に出てないし、前回の事件で変人がばれたよ」

「……それよ」


コルネリアの言葉に、クラウディアが叫んだ。


「あなた火竜をさくっと封印しちゃって、思いっきり巷で話題になっているじゃないの。魔物を簡単に封印できる人材がいたら、アメルン伯爵の計画は完全に破綻するわ。現に、校舎で死ぬはずだったヒルデベルト様も、ネリの陣で助かった。ここまできて狙われないわけがないのよ」


コルネリアはぶんぶんと首を振る。


「でも私、萌えないと魔法陣描けないよ」

「そんなこと、先方がご存じの訳がありません!」


叫びながら、アンネマリーが頭を抱える。


「こんな人は嫁と手駒を兼ねられるはずが、ありません。つまり、アメルン伯爵の目的は……」


三人は力なく呟いた。


「暗殺ぅ……」


***


「コルネリア、なぜ部屋から出てこないんだ。アメルン伯は、お前と観劇がしたいそうだ。全く、いつの間にこんなにたくさんの友達を作ったのかね」


ファーナー男爵はほくほくとした笑顔でコルネリアの尖塔に上がってきた。


「お父様、実はかくかくしかじか、このような事情があって……」

「……何? コルネリアを暗殺?」


ファーナー男爵はいつでも絶やさなかった笑顔をすっと消し、無表情になると、腰に下げていた剣をすらりと抜いた。


「……え? ファーナー男爵、何をなさるおつもりですか」


クラウディアが慌てふためく。


「もちろん、決闘だ。そんなふざけた輩を、コルネリアと同じ国に住まわせるわけにはいかない」

「正気ですか!? まだ何の証拠もないんですよ」

「私はいつだってコルネリアの言葉を信じる」


クラウディアとファーナー男爵がぎゃあぎゃあと口論する。


「ネリ姉さまのお父様、本当にやさしい方ですね」

「でっしょーう?」


一方でアンネマリーとコルネリアはのほほんと会話をしている。

メイドが泡を食って部屋に駆け込んできた。


「こちらには爵位差がある、断られる理由は一つもないと言って、大勢の連れと一緒に尖塔に突入しかねない勢いです」


それを聞いて咆哮を上げるファーナー男爵を、クラウディアが羽交い絞めする。


「あちらさん、相当張り切ってますよ。どうします、ネリ姉さま」

「そうだね、アン。張り切りすぎて、また魔物とか召還されちゃったら、ことだよね。ここ王都なのに」

「アン、ネリ! のんびりしてないで、ちゃんと真面目に考えなさいよ」


クラウディアが叫んだので、ようやくアンネマリーは顎に指をあてる。


「ディア姉さま、ネリ姉さま。来世で魔術語を使って、下町を殿方同士ラブに突き落としたことを覚えてます?」


ディアとネリは顔を見合わせると、頷いた。


「ええ。私たちは魔術は正式に勉強しなかったけれど、殿方同士ラブの妄想については、幻覚とか偽物の記憶とか作れたわね」

「人を操る効果が作れたときは、喜びすぎて寿命尽きるかと思った」


アンネマリーは頷くと、言った。


「お姉さま方、それまだ、使えます?」


***


「やあ、コルネリア嬢。急に訪問してしまって、悪かったね」


コルネリアが応接室に赴くと、アメルン伯爵は機嫌よさそうに両手を開いた。

と同時に、アメルン伯爵が連れて来たらしい、物々しい格好をした男たちが、ぐるりとコルネリアを取り囲む。


コルネリアはアメルン伯爵を前にして、思わず震える手を抑えると、黙ってソファーに座った。

アメルン伯爵はにこにこと笑いながら言う。


「君、染料は持ってるかね」

「……は?」

「あの、学園で魔法陣を描くときに使ったような、染料だよ。僕も魔術科に通っていたからね、興味がある、持っていたら、是非見せてほしい、すべて」


取り囲んでいる男達が一歩歩みを進めて、コルネリアに近づいてきた。

コルネリアは黙って染料を差し出した。


アメルン伯爵は「なるほど、ふむふむ」と適当な相槌を打ちながら、いかにも当然のような手つきで自分の懐にしまった。

さらに機嫌が良くなった様子のアメルン伯爵は言う。


「さて、では本題に移るが。最近、素晴らしい劇を見つけたんだ。ぜひ、コルネリア嬢にも観てほしくてね。どうだろう、一緒に行かないか」

「嫌です」


コルネリアは即答した。アメルン伯爵の眉がピクリと一瞬動き、男たちがさらに一歩コルネリアに近づいてきた。


「……そうは言わずにね。せっかくだから、一緒に行かないかね」

「嫌です」

「君、爵位差のことは分かっているのかね」

「嫌です」


アメルン伯爵はため息をつくと、やれやれと首を振った。


「話が分からないお嬢さんらしい。お前達、連れていけ」


男の一人がコルネリアの腕をつかみ、胸元からハンカチを取り出す。

ハンカチからほのかに妙なにおいがすることも、コルネリアには分かった。

コルネリアは叫んだ。


――そちらの栗毛の背の低い方と、黒髪のガタイの良い方のイチャイチャが見たい!――


応接室の一同は唖然とした。

コルネリアが急に「正式な魔術語」を叫んだからではない。

黒髪の大男と、栗毛の背の低い男が急に寄り添い、指を絡め出したからだ。


その時、応接室の扉がパアンと音を立てて開いて、アンネマリーとクラウディアが現れた。


――二人一組になりなさい! 片方は片方を押し倒しなさい――

――そちらの黒服の方、ネクタイを隣の方の手首に縛りなさい、きゃー萌え萌えずっきゅんー―


二人の魔術語にあらがえず、悪漢たちは頬を染めて抱き合ったり、うっとりと見つめ合ったりして、素晴らしきいちゃつきを演出し始める。


「な、何をやっているんだ、お前達――!」


顔中を興奮ではなく怒りで真っ赤に染めたアメルン伯爵が怒鳴る。

三人はきっと彼を睨み、何か言葉をつぐもうとするが、口をぱくぱくと動かしただけでその場に崩れ落ちた。


「駄目――! 憎らしすぎて、何の萌えも浮かばない」

「人って大大大嫌いな相手だと、殿方同士ラブにすら昇華できないのね」

「な、何をやっているんだ、本当に……」


アメルン伯爵が困惑し始めたところで、応接室の扉が蹴り壊される勢いで開いた。


「義姉さん! 無事ですか」


叫んだのはギルベルトだ。彼は険しい顔で応接室に押し入り、その惨状を見渡して、「ええ……」と小さく困惑の声を上げる。


「ギル、来てくれたのね」

「義姉さん、これは一体……」

「今よ、現行犯逮捕するときだわ」

「はぁ……?」

「つまり、人の家に大量の男たちを連れて来て、いきなりいちゃつかせ出したのよ」


クラウディアは笑顔で言い切った。


「これを少なくとも取り押さえと、事情聴取が必要な無礼でないなら、何と言いましょう。……ついでに、聞けることもまだ、あるでしょうし」


――悪逆非道にもほどがある行いであった。

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