第29話 紅茶、音楽、絶望
三日後、アンネマリーとクラウディアはファーナー男爵邸の塔の上、コルネリアの居室を訪れていた。
汚かったコルネリアの部屋は比較的片付けられ、今は優雅な音楽と紅茶の香りで満たされている。
クラウディアは何故か部屋に置いてあったアップライトピアノを陣取り、難曲とされる楽譜を見事に奏でている。
隣に立つコルネリアの楽器はフルートだ。
クラウディアのピアノにそん色ない、鳥の声のように軽やかな音色を吹き上げる。
アンネマリーは鈴を転がすような美しい声で、二人の伴奏に合わせて高らかに歌う。
ファーナー男爵はメイドの入れた紅茶を飲みながら、思わずこぼれた涙を指でぬぐった。
三人の演奏が見事であるのも理由の一つではあるが、それだけではない。
「図書室の君」と呼ばれる秀才のクラウディア、「貞淑のブッケル家長女」の名で知られる人格者のアンネマリー。
こんなにも素晴らしい友人が二人もできて、しかもコルネリアの部屋でともに演奏を楽しむほど仲良くなっている。
見よ、あのコルネリアの楽しそうな顔を。
お父さんなんて、コルネリアがフルートを吹けることも知らなかったというのに。
「ネリ姉さま、ディア姉さま。次は何の曲にしましょう」
演奏を終えたアンネマリーが声を上げる。
ファーナー男爵は思わずうっと目頭を手で覆った。
既にお互いに愛称をつけて、姉や妹と呼び合う仲らしい。
長年の心配事が一度に解決し、ファーナー男爵は非常に満ち足りた気分である。
「それより、いったん休憩にして、お茶にしようよ。話したかったこともあるし」
コルネリアの言葉に、クラウディアは微笑んで頷いた。ファーナー男爵が口を開く。
「そうか。じゃあ、父さんは邪魔をしないように戻るよ。アンネマリーさん、クラウディアさん……コルネリア。素晴らしい演奏をありがとう」
「とんでもないことです」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう、お父様」
ファーナー男爵は照れ臭そうに頭を軽く下げながら、そそくさと部屋を出ていった。
三人は部屋の中央に置いてあったテーブルに座ると、無言でティーセットを分け合った。
「さて……」
アンネマリーとコルネリアは一瞬目を合わせると、わっとその場で泣き伏した。
《サラン号探検記の船長と一等航海士が尊い――》
《無理あまりにも切ない、最高ですこの曲――》
説明しよう。
この三人は各々の殿方同士ラブで作り上げた妄想のカップルと、それに何ら関係のない楽曲を勝手に重ねて、物語と音楽の相乗効果でさらに妄想をはかどらせているのである。
とにかく尊くて素晴らしいので、三人はこのような妄想に使用する曲のことを「
一通りぎゃんぎゃん泣いたアンネマリーは、鼻をすすりながら話し始めた。
「じゃあ、近況報告に移りますね。フェリクスさんから聞いた情報を開示します」
ヒルデベルトを交えた宮廷魔術師たちの検討により、大広間の魔法陣は竜を半永久的に封印する効果があると分かった。
ただし、魔法陣のほんの一部でも破損すれば、何が起こるかわからない。
すぐに魔法陣は強力に保護されることとなった。
学校長のたっての希望により、それは魔法や科学技術によって強化されたガラスで覆われることになった。
床の魔法陣が直に見えるようになったので、宮廷学校の魔法科の生徒たちは、こぞって大広間に集まり研究を進めた。
またこれは随分のちの話であるが、新入生のための学校案内では、必ずこの魔法陣と、聡明で機智に富んだ令嬢、コルネリア・ファーナーの説明が行われるという伝統が出来上がった。
これにより、女性の学習への参加率がちょびっと上がったとか、上がらなかったとか。
「じゃあ、それに合わせて私も近況を報告するよ」
コルネリアも話し出した。
コルネリアには、宮廷学校入学を促す推薦状が届いた。
ヒルデベルトに続き、アンネマリーとクラウディアという友達がコルネリアにできたうえに、名高い宮廷学校にまで通わせられるなんて、とファーナー男爵は狂喜乱舞した。
「お前には素晴らしい才能があったんだな、コルネリア! 火竜をも封印する力を持って、国中で活躍することになるかもしれないぞ」
「お父様、分かっているでしょう。私、萌え以外には全く頭が働かないよ」
「そうだった。お前はコルネリアだったな。そうだった、そうだった」
これはのちにわかる話だが、言葉通り、入学したコルネリアの学習態度は非常に残念であった。
インスピレーションがわけば授業を欠席するし、基礎的な問題すら解けない。
かと思えば、一+一のような簡単な問題を、最新式の論文や、まだ発見されていない理論すら使って、無駄に複雑にした答案が提出された。
ある意味で、コルネリアは教授たちの記憶に残る鬼才となることになる。
そこまで話した後、一息ついてアンネマリーとコルネリアは紅茶を口にした。そして恐る恐る、クラウディアを見た。
「あの……ディア姉さん、何かあった?」
ようやくコルネリアがそう聞いた。
「何かって? 何もなくってよ」
「いや、今日来た時から様子が尋常じゃないですよ。何かあったんですよね」
アンネマリーの言葉に、クラウディアは「何もないわ」と微笑む。
そう、この部屋に来た時からクラウディアは顔面に微笑みを貼り付けて、微動だにしない。
そして今も、クラウディアは微笑んだまま何も入っていないストレートティーをひたすらティースプーンでかき混ぜている。
「……ギルベルト様関連でしょう」
アンネマリーの言葉に、ようやくクラウディアはすっと表情を消した。
そして、どろんとした闇を湛えたような眼で二人を見ると、語り出した。
――クラウディアの腐った趣味がギルベルトにばれた。
一日前、ギルベルトはクラウディアの部屋を訪れた。ギルベルトはクラウディアとフェリクスの関係を聞きたかったらしい。
「仲良くはない」とフェリクスは言ったようだが、来世の記憶とやらを共有したり、大事な通信機を渡してしまったり、クラウディアは最近よくフェリクスとつるんでいる。
ギルベルトは何故かそのことがやたらと不安だったのだ。
「義姉さん、お話があるのですが」
そう言って、ギルベルトは部屋の扉をノックした。
返答はない。
ギルベルトは怪訝に思った。
確かに部屋の中からは人の気配がするのだ。
ギルベルトはもう一度ノックする。
だが、返事はない。
ギルベルトは急速に心配しだした。
まさか賊が忍び込んでいるのか。
いや、その割には物音はしない。
だが、どんなに本に熱中していても、クラウディアはノックの音を無視したりしない。
賊でなくても、体調が悪くて倒れているかもしれない。
そもそも、先日あんなことがあったばかりである。
優しいクラウディアは、心を病んでしまっていたとしてもおかしくないのだ。
「義姉さん、入りますよ」
言いながら、ギルベルトは部屋に入った。
見ると、クラウディアが机に突っ伏している。
ギルベルトは青ざめて近寄り、クラウディアの肩を掴んだ。
「義姉さん、どうしたんです」
「えっギル? 何故ここに――いやいやいや見ちゃ駄目ええええ――――!」
クラウディアが机の上の原稿を隠す前に、動体視力の高いギルベルトは見てしまった。
――ざっくり言えば、どこかの国の王子と、ギルベルトをモデルにした登場人物の春書であった。
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