第28話 再会(3)
「すぐに救護班回してください! ご令嬢が、アポロニア様が重症です!」
三人は硬直した。
すぐに声のした方を振り向いたはずなのに、アポロニアの姿を見るまで時間がかかった。
三人の脳裏に移っていたのは、同じ光景だった。
ベッドの上に死んでいる母親。
青ざめた肌に、こけた頬、苦悶の表情。
差し伸べられた手は、誰かに助けを求めるかのように見えた。
三姉妹は、馬鹿だったのだ。
母親と父親が、子供の権利で争っている最中に、父親から手紙が来た。
これまでの扱いを謝罪する旨。
愛人をすべて追い出して、今度こそ母親を正妻として、三姉妹を正式な娘としてふさわしく扱うと。
母親に内緒でこっそりと準備をするから、黙って屋敷に来てほしいと。
三姉妹は、手紙を口汚くののしった。
今更、母親の苦労に気づくなんて馬鹿じゃないのか。
こんな文章じゃ、反省だって深くないに違いない。
それでも、顔は笑っていた。
やっと、母親が幸せに暮らせると思ったのだ。
父親が――自分たちのことを、ちゃんと見てくれたと思ったのだ。
そして、ほいほいと屋敷に行った三人は、面白いほどあっけなく部屋に閉じ込められ、ようやく出してもらえたと思ったら、母親は死んでいた。
三姉妹を人質に取られて、毒を飲まされて死んでいた。
「……お母様は、『令嬢の鑑』って呼ばれていたんですって。誰より完璧だったって」
「来世」のディアが、死体を見ながら呟いた。
そんなこと、言われなくても二人の妹は知っていた。
お母様は、誰よりも賢くて気高くて、優しい人だった。
こんな屋敷でやせ細りながら死んでいい人じゃなかった。
あんな愛人たちに殺されていい人じゃなかった。
あんな男に殺されていい人じゃなかった。
こんな三姉妹に殺されていい人じゃなかった。
お母様は――
アポロニアは担架の上に横たわり、か細い呼吸をしていた。
赤い髪はべっとりと血で張り付き、クリーム色のドレスにもみるみる赤い色が広がりつつあった。
「どういうことなんですか、アポロニア様はとっくに避難してるのでは」
アンネマリーの言葉に、侍従が返す。
「ずっとここで、私たちに混ざって避難誘導をしていたんです。竜がここに突入してきた時、大量のがれきが落ちて来たでしょう。逃げ遅れた子供をかばって――」
クラウディアは目を見開いて瞬きも忘れ、やがて紫色になった唇で言った。
「わ、わたくしのせいだわ。わたくしがいるって聞いたから、普段は来ない騎士団合同演習会に来たって言ってらしたもの。わたくしがいなければ……」
「今はそんなこと言っている場合ですか!」
アンネマリーが言い返したが、眼鏡の奥の目は乾いて血走り、声も震えていた。
「私たちに、私たちにできることをしなければ。そうでないと、このままじゃ――」
「できることなんてあるの」
コルネリアが真っ白な顔をして呟く。
「私達、医療の専門家でもなきゃ、何の経験もない。足手まといだよ、すぐにここをどかなきゃ」
口々にバラバラなことを言いながら、三人の心は一つだった。
――黒魔術なんて使わなかったら、アポロニアは大けがをしなかった。
三人はいつだって、アポロニアにとっての害悪だ。
こうしている間にも、瀕死の少女の呼吸は浅くなっていく。
「――アポロニア!」
その時、ヒルデベルトが叫びながら走り寄り、三人を押しのけると、魔法の杖をアポロニアにかざしながら、早口で詠唱を始めた。
やがて、アポロニアの体はヒルデベルトの魔力で包まれた。
傷口はみるみるうちにふさがり、か細い呼吸音はすうすうと柔らかな寝息に変わっていった。
「……ニア、ドレスの汚れは取ってられないけど、今はこれで勘弁してよね」
ヒルデベルトは口の中でつぶやく。
唖然としている三人組に向かって、ヒルデベルトは苦笑した。
「なに、僕これでも宮廷魔術師だよ。治癒魔法ぐらい使えなくて、どうするの」
コルネリアはぽかんとして、すっかり穏やかな顔になったアポロニアを見た。
そして、ヒルデベルトの顔を見て、またアポロニアを見た。
やがて、叫んだ。
「ヒルデさん、魔法って、本当に役に立つものなんですね!」
***
アポロニアは数時間、大広間に敷かれたマットの上でずっと眠り続けている。
辺りはすでに夜を越し、空は白み始めていた。
窓からは、今にも消えそうなほど薄い月が見えた。
マットの横に座ったクラウディアがぽつりと言った。
「ねえ、あなた達の両親って、どんななの」
隣で眼鏡を拭き直していたアンネマリーが答える。
「私の両親は、本当に厳しい人達ですね。私がこうやって自己主張控えてないと、多分私のこと、家から追い出すくらいはする人たちです。……別に悪い人たちでは、ないんですけれど」
そこで、少しアンネマリーは息をついた。
「ディア姉さまは? ツァールマン家、あまりよい噂は聞きませんけど」
「ええ。そのまんま、噂通りの両親よ。ギルベルトは知らないけれど、宮廷が正式に監査に入れば、最悪お家とり潰しの話が出そうなくらいの悪事はやってるわ」
「まさか」
「嘘だと思う?」
クラウディアがおどけて聞いてみせると、アンネマリーは黙った。
「まぁ、その前にわたくしが家を乗っ取るつもりだけど」
「結構、すごい話を聞いてしまいました」
「内緒よ、内緒。ネリは?」
そこでかくんかくんと舟をこぎかけていたネリが、はっと目を覚ました。
「私は、今の母は早くに家を出てったらしいから、顔も知らない。今のお父様はめっちゃいい人。大好き」
「良かったですね」
「大事にしなさいよ」
「うへへ」
まだ眠り続けるアポロニアを見ながら、クラウディアは言う。
「私たちはもう、姉妹じゃない。でも戦友だった記憶と同じ趣味がある限り、きっといつでも元の関係に戻れるわ」
「そうですね」とアンネマリーがうなずく。
「でも、アポロニアさんは、もうどうあがいてもわたくしたちのお母様ではないわ」
クラウディアの言葉が静かな体育館の空気に溶けて消えた。
アンネマリーが膝に顔をうずめて言う。
「お姉さま。私、お母様はアポロニア様がいいです」
コルネリアがそっとアポロニアの髪を撫でた。
「そんなの、私もだよ。私も……でも、もう」
「お母様はお母様じゃない」
***
数十分後、アポロニアは目を覚ました。
アポロニアは自らの体に傷がないのを確認して、ほっと息をついた。
まさかあんなところで怪我をするとは思わなかったが、傷跡一つない様子から見るに、ヒルデベルトが治療してくれたらしい。
――これは、運が良かっただけだ。自分の後先考えないところは、一番に直すべき短所である。
そう考えつつ、痛む背中をさすりながら起き上がると、アポロニアはそばに座っている三人の人影に気付いた。
アンネマリーにクラウディア、コルネリアだった。
三人はアポロニアが寝ていたマットの隣で、床の上に膝を抱えて座りながら、ずっとアポロニアが目覚めるのを待っていたらしい。
三人ともかくん、かくんと頭を揺らしながら、お互いにもたれかかって眠っていた。
アポロニアはぽかんとして、その様子を眺めた。
アポロニアは、アンネマリーとクラウディアには、嫌味を言ったことしかない。
コルネリアに至っては、言葉を交わしたことすらない。
それなのに、何なんだ、この人たちは。まるで、アポロニアが起きるのを待っていたかのような様子ではないか。
「……何をやっているのよ、あなた達」
空が、白みつつある。
もうすぐ朝が来る。
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