第16話 騎士団合同演習会(1)
《ディアお姉さま、結局私たちは、どうやって領地を守ればいいんでしょう》
アンネマリーがクラウディアに暗号化した魔術語で問いかけると、クラウディアは難しい顔で黙り込んだ。
ガタン、と段差に当たって馬車が大きく揺れる。
今日は騎士団合同演習会である。
二人は同じ馬車に乗って、会場に向かっていた。
アンネマリーは今日、暗い深緑のふんわりとしたドレスを着ている。控えめにあしらわれたチュールが女の子らしい。
《強力な魔物が発生するんですよね。どうすれば領民たちを守れるでしょう。今から、魔法の勉強すれば間に合うでしょうか》
アンネマリーの問いに、クラウディアが口を開いた。
クラウディアは、紺色のシンプルなドレスを着ていた。
四角の襟元には、大粒のパールのネックレスがかかっている。
大ぶりのクラッチバッグは真っ白だ。
《……黒魔術は三年で出来たから、今から全速力で準備すれば間に合うかも。ただ、魔力量が問題ね。私たちが各自で領地に結界を張ったところで、そんな大規模なもの三日が限度ってところよ》
《……また命を使えば》
《まぁ、それしかないでしょうね……こういう時は、女でよかったわ。せいぜい替えが効くもの》
淡い色をした青空や、王都の美しい石造りの建物が車窓に移る。
二人はしばらくぼんやりと窓の外を眺めていた。
《……とりあえず今はネリを見つけることよ、とりあえず》
《ディア姉さまは、騎士団合同演習会、行ったことありますか》
《ないわ。本当は弟を見に行きたかったんだけれど、本人に反対されちゃったわ。わたくしが同級生たちに見られたら、恥ずかしいんでしょうね。だから、今回だけこっそりとみるわ》
《ディア姉さまの今世の弟、ギルベルト様なんですよね……》
アンネマリーは、またぼんやりと窓を眺めた後、口を開いた。
《……ところで、ディア姉さま。私、ずっと聞きたかったことがあるのですが》
《なによ、改まって。怖いわね》
アンネマリーは一呼吸つくと、声を潜めて言った。
《ギルベルト様って《攻め》ですか、《受け》ですか》
クラウディアは、弱ったゴリラが胃の中のものを全部吐き出したような、盛大なうめき声を漏らした。
御者が驚いて声をかける。
「アンネマリー様、クラウディア様、何事ですか」
「あ、なんでもないです。お仕事、お疲れ様です」
アンネマリーは普通の言語に切り替えて声をかけたのち、また暗号化した古代魔術語で話し出した。
《いやいや、ディア姉さま、騎士科の若手のホープと同居していたんですって? まぁ、なんてずるい。詳しく聞かせてくださいよ》
《違う、違うの、あの子は、ああ……》
《大丈夫ですよ、私は何も意見をはさみません。とりあえず今は姉さまの見解を聞きます》
クラウディアは頭を抱え込む。しばらくして、ようやく口を開いた。
《駄目よ、そんなことしたら、あの子のこと、よこしまな目で見ちゃうじゃない》
《何をいまさら》
《いやよ、あの子割と鋭いのよ! わたくしの趣味に気づかれたら終わりよ。あと少しでいいの、あと少しだけでいいから、あの子の中で綺麗でかっこいいお姉さまでいたい……》
《やめなさい、やめなさい。自分を偽ったって、何のいいこともありませんよ》
《あの澄んだ目の弟を腐海から守り抜くためなら、わたくしなんだってしてやるわ》
《お姉さま、どうせまた春書を書いているんでしょう。大方、見られてますよ。それで、アポロニアお母様がしてたみたいに、見て見ぬふりしてくれているんだ、絶対》
《不吉なこと言うのやめて頂戴!?》
クラウディアは天を仰いだり頭を抱えたり、挙動不審を繰り返していたが、やがて据わった眼をして言った。
《もしあの子にばれたら、わたくしは死ぬ。愛読書やわたくしの書いた小説を燃やして、その炎に焼かれて死ぬ。そして、漂う煙となって、空中から殿方同士ラブを楽しむわ》
《駄目ですよ、死ぬんなら領民を守って死んでください。税金泥棒の義務ですよ》
《ちくしょう貴族になんてうまれたくなかった》
――現実逃避とは、権利である。
馬車が騎士団合同演習会の会場、宮廷学校の前で止まった。
***
馬車から降りた瞬間、アンネマリーはクラウディアの背後に隠れた。
「ちょっと、どうしたのよ」
驚くクラウディアに、アンネマリーが呻くように言った。
「いるんですよ、アポロニア様が……」
アンネマリーの言葉の通りに、校門の前には麗しのアポロニア嬢が立っていた。
華やかなフリルがあしらわれた、クリーム色のドレスを着ている。
「私、バチクソ嫌味のアポロニア様が、若き日のお母様だってこと、未だに信じられません……」
アンネマリーの言葉に、クラウディアが目を丸くして言った。
「あなた、小リスの威嚇がそんなに恐ろしいの。そんなんじゃ、身が持たないわよ」
「小リスの威嚇!? お姉さま、アポロニア様のこと小リスって呼んでるんですか」
「まぁ、小動物系だわね」
「どこが!?」
「見てれば分かるわよ」
きょろきょろとあたりを見回していたアポロニアの視点が、やがて一つに絞られた。
とたん、アポロニアの目はきらきらと輝き、表情はうっとりと緩められる。
想い人でもいるのだろうか。アンネマリーは視線の先を追う。
――数人の侍従が、舞踏会用の焼き菓子をトレイに乗せて運んでいた。
飴で飾られたクッキーが、きらきらと輝いていた。
「……ん?」
「アポロニアさんはお菓子に目がない。しかも、どれだけ食べても太らないというギフト持ち。……なのに、ご両親が厳しくて普段は一切お菓子が食べられない、非業の人なのよ」
「……えっと」
「だから彼女がお菓子を食べられるのは社交の場だけ。なのに、他にも食べたい人がいるだろうと、遠慮して少ししか食べない。誰も、お菓子に注意なんて払ってないのに」
「……律儀ですね」
クラウディアがため息をついていった。
「あの人が『冷酷令嬢』って言われるのは、いつも嫌味を言うから。でもそれはただ単に、間違った作法とかを指摘しないと、見捨てたみたいに感じるからなのよ。でも、本人が嫌味しか言われてこなかったせいで、他の言い方が見つからない」
「そんなこと……」
あるわけが、と言いかけてアンネマリーは頭を抱えた。
「ありそう、お母様なら……」
話していると、アポロニアがはっとしてこちらを見た。そして、ずんずんと近づいてくる。
「ごきげんよう、クラウディアさん。あら、アンネマリーさんもいらっしゃるの。好都合だわ」
「ごきげんよう、アポロニアさん。こんな会に顔を出すなんて、珍しいですね」
クラウディアが言う。
「ええ、あなたがいらっしゃると耳にしたものだから」
アンネマリーがひぇっと口の中で悲鳴を漏らす。
すると、アポロニアは一歩下がって、勢いよく言った。
「アンネマリーさん、ごめんなさいっ」
そう言って直角の礼をする。二人はぽかんとしてアポロニアを見る。
「いつも、わたくしあなたに嫌味を言っていますわ。優秀なあなたが、能力を自分のために活かそうとしないことに苛々していたの。でも、知り合いにそれは何の意味もないことだと言われました」
頭頂部からぴょこんとはみ出た赤い巻き毛が、ふるふると揺れる。
「それは、正論ですわ。わたくしが間違っている。許してほしいとは言わない。ただ、けじめだけつけさせて」
赤いつむじを見ながら、アンネマリーは気づいた。
「来世」ではアポロニアは幼いアン達の母親であったが、今のアンネマリーから見ればアポロニアはアンネマリーよりずっと背の低い、一つ年上なだけの少女である。
――そして小動物系だ。
クラウディアがそっと手を差し出すと、アポロニアの頭をよしよしと撫でる。
「え、ちょっと、何をしていますの!」
「いや、なんとなくです」
「ちょっと、何よ、わたくしを馬鹿にしていますの!?」
アンネマリーが慌てて仲裁に入る。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいな。あ、私お菓子持ってます。よかったらどうぞ」
「何ですの! やっぱり馬鹿にしているじゃないの!」
むぎーっとアポロニアが声を漏らす。
周囲の人々は、微笑ましく少女たちを見守っていた。
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