第14話 変人と変人、邂逅する(1)
最初は目を白黒させるだけだったファーナー男爵は、だが、ヒルデベルトをコルネリアの住む尖塔に案内するころには、有頂天になっていた。
ヒルデベルト・アードルング、あの魔術の天才、あのアードルング公爵家の次男がうちの娘に興味を持った!
上手くいけば、今までは考えもしなかったことだが、婚約――あわよくば結婚までこぎつけるかもしれない。
そうなれば、ファーナー家はアードルング家とつながりを持ち、より素晴らしい繁栄が約束される!
そこまで考えて、ファーナー男爵は首を振った。
ないない、だってあのコルネリアである。家庭教師ですら十五分で匙を投げたド変人、コルネリアである。
今誰かに興味を持たれたことが奇跡。変な期待をもてば、あとで落胆するはめになることは必然。
だが、男爵の浮き立つ胸は止められない。
せめて、茶飲み友達になってはくれまいか。
このままではコルネリアは、自分が死んでしまえばひとりぼっちになってしまう。
コルネリアはそれでいいかもしれないが、自分は死んだ後のことまで心配しなければならないのだ――
だが、尖塔に案内して五時間が経過したあたりで、ファーナー男爵は完全な虚無の目になっていた。
コルネリアが、一切ヒルデベルトに興味を向けない。
というか、ヒルデベルトを部屋に入れた時から、こちらを一瞥もせずに鼻歌交じりに壁に魔法陣を描き続けている。
何度も耳元で叫んだり、肩を揺らそうとしたが、他でもないヒルデベルト本人に止められた。
何とできた人であろう。
男爵は思った。
巷ではヒルデベルトの変人ぶりのうわさを何度も耳にしたが、それも嘘だったと分かる。
ヒルデベルトは実際には、こんなにも寛大な好青年だったのだ。
だが、それもいつまで続くのか――こうしている間にもヒルデベルトが帰ってしまう――男爵は目に涙をためて、嘆息した。
一方で、ヒルデベルトはコルネリアの尖塔を大いに満喫していた。
何故なら壁のいたるところに素晴らしい魔法陣が描かれていたのである。
男爵の心労は、全くの杞憂だったと言えるであろう。
ヒルデベルトは興奮と畏怖をもって、ゆっくりと一つ一つの魔法陣を解読していった。
まったく、模造紙に描かれていたものに遜色しないクオリティー……それどころか、さらに熟達とした、大規模な魔法陣ばかりだったのだ。
この部屋は、宝石箱や――!
ただ嘆くべくは、それらの全てに何の効力もないことである。
一つ一つ、どれを読み解いても、複雑な構成式は全部中和してしまうばかりだ。
ヒルデベルトは魔法陣を描き続ける、コルネリアの小さな背中を見た。
男爵には十六歳と聞いていたが、灰色の髪の少女は小さく、十二かそこらにしか見えない。
小柄な自分に言えたことではないが、こんなに子供らしい少女が巨大で複雑な魔法陣をいくつも描き切るということに、ヒルデベルトはすこしたじろいだ。
そっと横からコルネリアの表情をうかがう。アメジストのような紫色の瞳は、それでもこちらを一瞥もせず、ただただ一心不乱に魔法陣に向けられている。
魔法使いとはこうでなくては。ヒルデベルトは満足した。
実際、何か構成式を作っている魔法使いの集中を途切れさせることは、この世で最もあってはならないことの一つだとヒルデベルトは考えている。
だが、この少女はファーナー男爵が何度呼び掛けても、全く反応を見せなかった。
素晴らしい集中力である。
この少女が本気で何か威力がある魔法陣を描いたら、いったいどれだけものすごいものができるのか――考えるだけで恐ろしいほどだ。
だが、彼女はそれをしない。
描くのは無意味な魔法陣ばかり。
何故そんなことをするのか――どうしても聞いてみたかった。
――結論から言えば、コルネリアが魔法陣を描く手を止めたのは、三日後だった。
ヒルデベルトはずっと魔法陣を眺め続け、途中からインスピレーションを得て自分でも計算式を書きだしたりして幸せだったので、気をもんだのは男爵だけであった。
ようやくコルネリアが手を止めて息をついたので、男爵が少女を羽交い絞めにして部屋のテーブルにつかせた。
コルネリアは状況も分からず男爵とヒルデベルトの顔を見比べていたが、やがて口を開いた。
「初めまして。どちら様ですか?」
「コルネリア、お行儀! すみません、三日貫徹していなければ、もう少しましなんですが」
男爵の叫びを聞いて、コルネリアはしぶしぶと言った様子で席を立つと、カーテシーをした。
「お初にお目にかかります。私はファーナー男爵が娘、コルネリアと申します」
「初めまして、僕の名前はヒルデベルト・アードルング。ねぇ、挨拶はこれでいいよね。僕、聞きたいことがあるんだけれど」
ヒルデベルトは勢いよく四方の壁全部をぐるりと指さして、言った。
「これ全部、君が描いたんだよね」
「はい」
「何で? どうして全部、何も起きない陣なの?」
コルネリアはきょとんとして、言った。
「何か起きたら、困るでしょう」
「は?」
「だって、一度発動した魔法陣は、消えちゃうでしょう。そうなったらもう二度と見れないよ」
確かにこの国の魔法陣は、封印などの持続の効果を持つ特殊な陣を除いて、一度使ってしまえば陣は掻き消え、残るのは「魔法陣の跡」と呼ばれる魔法陣の痕跡だけである。
学者たちが研究したり、本に残したりするのも、必然的に「魔法陣の跡」となる。
「――いや、魔法陣ってそういうものじゃないか。そもそも、陣を描いたのに何も起きなかったら、困るだろう?」
「困りません、何か起こった方が困ります」
「え、なんで」
「だって、おうちが壊れちゃうじゃないですか。ね、お父様」
「そうだな、それは確かに困る」
コルネリアの隣に座っていた男爵は、大きくうなずいた。
ヒルデベルトは額を押えた。何だか、話が全くかみ合わない。
「……いや、だからね。魔法って、何か特別なことを起こすためのものじゃないか」
「え、そうだったんですか」
「は?」
「私は、魔法陣を描くためのものだとばっかり」
ヒルデベルトは沈黙した。
しばらく俯いて考えた後、顔を勢い良く上げた。
「待って待って、魔法陣で何かすることが目的じゃなくって、魔法陣を描くこと自体が目的なの? 魔法陣描けた、はい満足、それで終わりってわけ?」
「それ以外に何が?」
ヒルデベルトは頭を抱えた。
ヒルデベルトにとって魔法とは、超自然的なことを起こすためのものである。
それをこの子は何か。まるで絵か何かみたいに。
「――君にとって、魔法陣って何」
コルネリアは間髪入れずに答えた。
「表現媒体です」
絵で大体合ってた。
いや、合っててたまるか。これ魔法陣ぞ。
「あの、というか、コルネリアの『あれ』は、魔法陣なんですか? 本当に? 何かの間違いでは」
男爵は恐る恐る問いかける。あまつさえこれである。
ヒルデは腕を組んだ。
うつむいて、考えた。
男爵がはらはらし始めるまで、考えた。
やがて、叫んだ。
「すごい!」
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