第7話 クラウディアは賢くて努力家の令嬢

宮廷学校とは、その名の通り宮廷が運営する学校である。

騎士科、魔術科、政治科、芸術科、新設された淑女科などからなる、国一番の研究機関であり、この国の英知の結晶である。


ギルベルト・ツァールマンもこの学校の騎士科の生徒だ。

ツァールマン伯爵家の長男であり、まっすぐな赤い髪と灰色の目を持つ、しなやかながらも精悍な長身の青年である。


彼はその日の訓練を終えて、校門を出たところであった。


「よう、ギル。明日から春休みだな。今日は訓練はないのか?」


肩をたたかれた。

振り向くと、淡い金色の髪の青年が立っていた。


彼の名はフェリクス・バルツァー。

政治科の学生である。

ギルベルトの先輩であり、友人だ。


「こんにちは、フェリクスさん。訓練は休みです。今日は座学でもしようかと」


ギルベルトは落ち着いた口調で返す。


「真面目だねーえ。遊べばいいのに」

「フェリクスさんが遊びすぎなのでは……」

「えらいえらい。政治科の先輩である俺が、勉強みてやろうか?」

「いえ、義姉が参考書を選んでくれたので、それを……」


うっかり義姉を会話に出してしまって、ギルベルトはしまったと思った。

案の定、フェリクスは目を輝かせて食い付いてきた。


「相変わらず、お宅のクラウディアさんはお前にやさしいよな。ちょっと俺にも紹介してくれよ」

「義姉をほめていただき、光栄です。機会があれば連絡します」

「うわー、絶対会わせる気がない言い方」

「そんなことはないですよ。ただ、義姉さんは勉強しかしていないから。世間知らずなので、少し心配なだけです」

「相変わらず、過保護だねーえ。そんなに俺は信用ないですか」

「今月三回、女子生徒にビンタされてたって聞きましたよ」

「されてねえよ何だよその噂」


フェリクスが一瞬だけ真顔になったので、ついギルベルトの頬も緩む。


「落ち着いた行動を心がけてください。仮にも次期宰相なら――」


言いかけて、口を止める。

フェリクスが、顔を笑顔に固めたまま自分の口元に人指し指を置いたからだ。


「……屋外で、軽率でした」

「まぁまぁ。せっかく今の宰相が目立ってくれている間に、他の貴族に警戒されずに情報を集めたいしね」


これはあまり知られていないことだが、フェリクスは学生ながら既に宰相の補佐を務めている。彼が次期宰相に選ばれる根回しも、すでに整っている。


フェリクスは笑って手を振った。


「じゃあ、俺は宰相殿の手伝いに行くから。お義姉さんによろしく」


ギルベルトにとってフェリクスは尊敬する先輩であり、そして間違いなく良い友人である。

だが、情報収集のためとはいえ、何かと軟派な態度をとるのはいかがなものだろうか。

クラウディアの話題が出るたびに食い付くのも、少し困りものだ。


フェリクスと別れたギルベルトは、家路を歩きながら考えた。


ギルベルトは養子だ。

下級貴族の両親が死んだとき、男児がいない遠縁のツァールマン伯爵家に引き取られたのだ。


だが、わずかに魔力があるという理由だけでギルベルトを跡継ぎにした、ツァールマン夫妻は厳しかった。

良く言えば厳格、悪く言えば冷徹。


親らしいあたたかな愛情とは程遠く、常にツァールマン家長男としての能力、それだけを求められた。



愛情を注いでくれたのは、ツァールマン夫妻の実子、クラウディアだけであった。


だが、ギルベルトはそれで満足している。


ツァールマン家の屋敷に入ると、ギルベルトは細い廊下に人影を見つけた。


さんさんと日の光が降り注ぐ窓辺に椅子を一脚置き、読書に励んでいる少女がいる。


すらりと背が高く、艶やかな黒髪を腰まで垂らしている。

肌は抜けるように白い。


「義姉さん」


ギルベルトが思わず声をかけると、義姉――クラウディアは、柔らかく微笑んだ。


「どうしたの、ギル」

「えっと……ああ」


ギルベルトは少し困った。

話しかける内容を、決めていなかったのだ。


さまよわせた目を、クラウディアの手に持っている本に止めた。


「今日も熱心ですね。……『世界の武器』ですか」


ギルベルトは苦笑した。


「淑女にはあまり似合わない本では」


クラウディアは宮廷学校に新設された学部「淑女科」に通っている。

普通の令嬢にしてはそれでも十分すごいことであるのに、あの有名なアポロニア嬢を二位に追い詰め、首席を取り続けていた。


それでも全く奢らず毎日図書室に通い詰め、勉学に励むさまは、いつしか「図書室の君」と噂されるほどになっていた。


ギルベルトには既に優秀な彼女が、一生触ることもないであろう「世界の武器」などまで知識をため込む理由が分からなかった。


そんなギルベルトの問いに、クラウディアはふわりとほほ笑んで答えた。


「この世に役に立たない知識など、ないのよ」

「……そうですか?」

「そうよ。例えばね、この前読んだ異国の戦記に、聞いたこともない武器が出てきたの。でも、この本で調べたら、槍の一種だということが分かったわ。何かの隠喩かもしれない。解釈のための重要なファクターかもしれない。すべてのことは、つながっている」


クラウディアはいとおしそうに本を撫でる。


何がそこまで彼女を駆り立てるのだろう、とギルベルトは思う。

ギルベルトは宮廷学校の騎士科の中でも、秀才として知られている。

天性の素質とたゆまぬ努力に、期待の声も多く、すでに数々の騎士団からの勧誘もあるほどだ。


しかし、彼女の努力にはかなわない。


彼女は毎日欠かさずに、学者も驚くほどの量の勉強をこなす。

ギルベルトも絶えず努力をしてきた自負があるが、それでも時間、質、熱意のどれにおいてもかなわないと、ギルベルト本人だからこそわかる。


その上で、クラウディアはいつだって弱みを見せない。

過酷な努力も、厳しい教育にも一切弱音を吐かず、ため息すらつかない。


幼い時、クラウディアになぜそんなに頑張れるのか聞いたことがある。

すると、クラウディアは優しい笑顔を引きつらせて言った。


「ギル、あなたは何も知らないで。わたくしのかわいい弟だから、まだまだ穢れてほしくないの……」


それ以上、彼女は何も言ってくれない。

ギルベルトに、彼女が見ている困難の一つだって教えてくれない。


だからこそギルベルトは、クラウディアの前でこそ一番頼りがいのある人間でいたい。

だが彼女にかかればギルベルトはまだ弱くて幼い弟だ。


クラウディアは、ギルベルトが疲れや悲しみを取り繕っていても、すぐに気づいてしまう。

ギルベルトの知らないところで、両親にもっとギルベルトに優しくすべきだと何度も抗議していたらしい。


クラウディアはギルベルトの弱音を許してくれる。

頑張りを認めてくれる。

クラウディア自身の弱みを見せるほど、ギルベルトには心を許していないくせに。


――ギルベルトは、クラウディアにかなわない。


「ギル、それ今日の朝刊よね。私にも見せてくれる?」


クラウディアはギルベルトの手元に目を止めると、笑顔になった。


「大して目立った記事はありませんよ。伯爵令嬢が新聞広告を出したとうのは、面白いと言えば面白いが」

「あら、どこの方かしら」

「アンネマリー・ブッケル嬢です。貞淑と有名な」


あら、と言ってクラウディアは艶やかな唇に指をあてた。


「バフ家やヴルフ家のお嬢さんと、よく一緒にいらっしゃる方ね。新聞広告って、何事かしら」


クラウディアに新聞を手渡しながら、ギルベルトは思い返した。


アンネマリー・ブッケル。


栗色の髪に丸眼鏡で一見地味な少女だが、澄んだ青色の大きな目と整った容貌、柔らかで控えめな態度、おまけに「貞淑」で有名なブッケル家の長女ということでひっそりと注目を集めている令嬢だ。


そんな彼女が、淑女とは縁遠い新聞に公告を出すとは、誰もが予想しなかった。

それも、あんな内容で。


「これは……!」


ブッケル家長女の出した広告に目を落としていたクラウディアが、目を見開いた。

みるみる頬を紅潮させ、目は興奮にうるんでくる。


ギルベルトがクラウディアのこんな様子を見るのは、初めてのことだった。

……いや、時々、読書をしているときにこんなふうになっていたか。

集中しているのかと思ったので、声をかけずにそっと立ち去っていたが。


「どうしました、義姉さん。もしかして、これが読めるんですか」


その広告に書かれていたのは、おそらく暗号文だった。

基本的に四音の意味を持たない言葉が大量に羅列されている。

ギルベルトには何の規則性も見つけられない。


だが、この義姉ならわかるのかもしれない。


「まさか、でも、ああ、間違いない……」


クラウディアは椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がると、口の中でつぶやいた。


「アン、あのお馬鹿……!」

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