第5話 アンネマリーは気弱で地味な令嬢(2)
アンネマリーの部屋の扉が、軽い音を立てて開いた。
「アンネちゃーん、勝手に入るよ」
そう言って、淑女の部屋にずかずかと侵入してきた無礼千万なこの男は、フェリクス・バルツァーかつ辺境伯三男。
アンネマリーの幼い頃からの腐れ縁である。
「……今度は何しに来たんですか」
「相変わらず、俺にはいつも怖い顔だねぇ。ただの生死確認だって。アポロニア様に、小言いわれてたから」
見ていたくせに、こいつは軽やかにアンネマリーを見捨てる。
そういう奴なのである。
アンネマリーは苛立ちをつのらせた。
フェリクスはベッドのそばにしゃがんで、アンネマリーの顔を覗き込む。
「なんだ、元気そうじゃん」
柔らかそうな淡い金髪に、灰青の目が視界一杯に映る。
たくさんのピアスに着崩した衣服は「軽そう」な印象だ。
確かに、アンネマリーは恐ろしきアポロニア様に嫌味を言われた日には、それから三日間は再起不能であった。
だが、今のアンネマリーはそれどころではない。
「ちょっと今、考え事で忙しいんです。帰ってください」
「まぁまぁ、そう言わずにー。ほら、最近王都で流行の洋菓子」
フェリクスは顔の横で水玉模様の紙袋をひらひら見せびらかすように振る。
アンネマリーはその生涯でいろいろな人物を見てきた。
だが、こいつだけは謎だ。
フェリクスはアンネマリーの現お母様――今世の母親の友人の息子だ。
つまりいとこより遠い関係である。
思春期越えたらほとんど他人になるはずのこの男が、何がためにわざわざ流行りの菓子なんか持ってアンネマリーを訪ねてくるのか。
アンネマリーの疑惑も知らず、フェリクスは心底楽しそうに言う。
「ほら、今日知りあったかわいい女の子たちとさ、菓子屋に行ってみたもんだからさー」
おまけにこれである。
よく言って顔が広い、悪く言えば軽薄。
公明正大に言えばただのチャラ男。
これでもご令嬢方に大人気なのである。
いうなれば日向を美しい少女たちに囲まれて闊歩する青年が、日陰の雑草の脇に隠れる小石にちょっかいをかけているようなものである。
アンネマリーにしてみれば、彼にはもっと有意義な生活習慣があるとしか思えないのだが。
「なーに、機嫌治らないの? ああ、また徹夜で男同士の春画描いてたのか。やめろっての、その趣味―」
フェリクスはゲラゲラと笑う。
いくら自己卑下をしようとて、日陰の雑草の脇に隠れる小石にも矜持はある。
「明確な殺意……」
「わかったわかった、で何を描いたんだ。見てやるよ、興味本位で」
「勝手に引き出しを開けるな馬鹿野郎!」
この男は、何故か幼少期からアンネマリーの趣味を知っている。
幼いアンネマリーが描いた拙い殿方同士のラブの春画を覗き見たか、殿方同士の戯れに高まる鼻息を聞かれたか。
しかし、アンネマリーは恥じない。
これが会ったばかりの一般人であれば、アンネマリーは穴に埋まりたいほど恥ずかしかったであろう。
だが、フェリクスは幼い頃からの腐れ縁で、付き合いは非常に長い。
もはや取り繕う気すら怒らず、恥の感情など霞のごとく消えた。
「その新作の春画はですね、新訳クトリニ島探検記。隊長と副隊長の絆が大変かぐわしい、名著です」
「うわー、見てらんねえよ、この変態ー」
フェリクスはアンネマリーを指さして笑い転げる。
アンネマリーは気にせず話を続ける。
「私の描いた春画なんて、今はどうでもいいんです。やることがあるから」
「え、何」
「私の姉たちを探します」
フェリクスはぽかんとしてアンネマリーを見る。
「アンネちゃん、弟しかいなかったよな」
「血筋のじゃなくて、魂の方の姉妹です」
言い方がまずかった。フェリクスは青ざめて首を振った。
「アンネちゃーん、そんな中二病に走らなくても、友達はそこそこいるじゃないか。おとなしくて庇護欲を掻き立てる『貞淑のブッケル家』長女って、老若男女問わず人気あるぞー。早まるな、早まるな」
「適当なこと言わないでください……」
さすが日向の者らしくペラペラと御世辞をいうフェリクスに呆れつつも、アンネマリーは企んだ。
こいつも巻き込んでやろう。
もとより、殿方同士の恋愛趣味がかなり以前からばれているのに、フェリクスは一言も漏らさない。
少なくとも見た目に反して口は堅い男だった。
一通りの説明を終えた後、フェリクスは頭を抱えた。
「アンネちゃんがアポロニア様の娘……? 時間の巻き戻し……? 黒魔術……?」
「理解しましたか」
「これが理解できたら俺は天才か変人、もしくは天才且つ変人だ」
「あなたが天才だろうが変態だろうが、どうでもいいんです。私はお姉さまたちを捜さないといけない。私に記憶が戻った以上、お姉さまたちにも戻っているはずですから。皆で協力してアポロニア様の結婚を止めないと」
「そりゃあ、アンネちゃんの話が本当なら、アポロニア様の結婚は尋常じゃない事態だな……」
腕を組んで呟いたフェリクスに、アンネマリーは首を傾げる。
「なんでですか?」
「なんでですかって、君ねぇ。アポロニア様は、今をときめくアードルング公爵家の長女だろ」
「だから?」
「……あのね」
フェリクスは呆れた顔をしつつ、椅子に座りなおす。
「アードルング公爵家の長女なら、王太子の婚約者の第一候補だろ。アメルン家は未来で侯爵になるってアンネちゃんは言ったけど、すくなくとも今は貧乏伯爵家に過ぎない。嫁入りする家ならほかにいくらでもあるのに、彼をわざわざ選ぶなんて信じられない」
「……言われてみれば」
「そのうえ、アポロニア様が明らかに不当な目にあっているのに、アードルング公爵家は何もしないのか? あれだけやり手のアポロニア様も、逃亡手段を準備されなかった? どう考えてもおかしい」
「……」
黙って考え込むアンネマリーに、フェリクスが問いかける。
「他に覚えていることはないの?」
「……殿方殿方ラブについてなら……」
「……君の来世での生活習慣、容易に想像ついたわ……」
アンネマリーは咳ばらいをして手をたたいた。
「何にせよ、今はお姉さま達の助けが欲しい。長女のディアお姉さまは、まじめだから世情にも詳しかったはずです」
「……でも、どうするんだ。まさか国中の女の子、一人一人に声かけるわけにもいかないし」
「そのために、あなたです。フェリクスさんは、新聞をよく読んでますよね」
「……は?」
「国で一番読まれている新聞が知りたいです」
「一応聞くよ、何するんだ」
アンネマリーはにっこり笑った。
「新聞広告を出します」
「馬鹿」
フェリクスの言葉に、アンネマリーは眉をひそめた。
「相変わらず、失礼ですね」
「一寸たがわぬ正論だから。『来世の姉妹は名乗り出てください』なんて、広告で出すつもりなの」
アンネマリーは少し考えると、口を開いた。
「全文、古代魔術語を暗号化して書きます。私たちは一般人にはわからないように、殿方殿方ラブについては、暗号化した古代魔術語で話していたのです」
「待って情報が多すぎる」
フェリクスは頭を抱えると、やがて真顔で向き直った。
「古代魔術語は駄目。普通に魔法が発動する。新聞に魔法がかけられてたら、町は大混乱だ」
「だから、暗号化すれば……」
「それも駄目。古代魔術語を自由に操れることがばれたら、アンネちゃんは宮廷学校に引き抜かれる。目立ちたくないんだろ」
その言葉に、アンネマリーはしばらく考えると、宣言した。
「じゃあ、姉にしかわからないことを書きます」
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