12/6 駆込み訴え【加々見カフェ】
※ラブラブではありません。
『春の雨、耳を濡らす』がお好きな方はご注意を。
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「『申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねぇ。』」
彼はYouTubeで朗読動画を配信する、所謂VTuberだ。『
今夜は火曜、それも月に二回のライブ朗読の日。配信後は気が昂ぶってひとりではいられず、
――酷く寒い雨の降る夜だった。合鍵で入り込めば、玄関には乱雑に脱ぎ捨てられたパンプスが雨に濡れたまま、泉希はソファで寝入っていた。仕事着のままで寝落ちしたか、床には太宰の文庫本。加々見は静かな寝息を乱さぬよう、側に座り栞の挟まっていた『駆込み訴え』を読み始めた。
「私、もうコメントは書き込まないようにするね」
そう泉希が言ったのは三ヶ月前。元々彼女は『加々見カフェ』の古参のファンで、『今晩は、加々見さん』と一番に書き込むことを信条としていたはずだった。春、偶然にも出会い、体の関係を持ってからもそれは変わらなかった。
「仕事が忙しいの?」
「うん、決算期でそれもあるけど」
そしてその週を境に、コメントどころか彼女が動画を視聴しているかどうかすら分からなくなった。
『ペテロに何が出来ますか。ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、トマス、
小説では、『私』が最も献身的に尽くしているのに『あの人』は、と独白が続く。太宰のお家芸、愛ゆえの支離滅裂な心情が迫る。
ザァ――。不意に窓に当たる雨粒が、寝息をかき消した。冷蔵庫の振動音すら聞こえなくなる。雨は配信後に降り出し、朝まで続くらしい。
加々見はふと、彼女が仕事のあと誰と何をしていたのかと思う。自分が囃し立てられて有頂天だった間。
――頁を捲る、独白は続いた。『あの人』は彼に愛を説く。
『……おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りをして顔を綺麗に洗い、頭に膏を塗り、微笑んでいなさるがよい。』
「『わからないかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。』」
泉希が「んん」と寝言を漏らし、加々見はつい声に出して読んでいたと知った。ゆっくりと振り返り、すぐに再開した寝息をしばらく眺める。彼女に向き直り、薄らと浮かぶ目の下の隈を撫でた。触れた肌が彼の体温より低く、肌蹴た毛布を引っ張り上げる。
そして片手に本を持ち、反対の手を彼女へと。まるで何か戴くように伸ばし、続きを読んだ。
「『いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。』」
耳を撫でる。
「『私はあなたを愛しています。』」
頬を。
「『ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは較べものにならないほどに愛しています。』」
隈をもう一度撫でようとし、彼は彼女の瞳が開くのをつぶさに見た。焦点が合った途端、彼女の眉が寄った。
「……練習、してたの?」
「いや。起こしてごめん」
「ううん大丈夫。……あぁ着替えてなかった、シャワー浴びてくる」
うん、と彼が返したとき、目の前には彼女の温かそうな抜け殻だけがあった。
「二十四日、クリスマス配信することにした」
「そっか……。眠いからもう寝るね」
泉希は今し方まで抱き合っていた相手を見ることもなし、目を閉じた。
気の利いた睦言も言えず、彼はせめて彼女の薄い肩に額をつけた。狭いベッドは軋んだが、彼女の応えはない。
「『ミズキさん』は、もう来てくれないの?」
「……私はいいや。予定あるし」
「イヴに?」
「加々見さんも同じでしょう?」
そっと泉希は離れた。
「クリスマスはスパチャたくさん貰えそう」
もう彼女と加々見はどこも触れていなかった。
『ざまあみろ!』
彼の最後の独白が甦った。加々見は震えが走り、温度を求めて手を伸ばしかけ――背を向けた。
『私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ』
(了)
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求める愛がすれ違った末路。
引用・出典
太宰治『駆込み訴え』青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/277_33098.html
太宰治『富嶽百景・走れメロス 他八篇』岩波文庫
太宰のお家芸(?)が詰まってます。是非、クリスマスにご一読を。
『春の雨、耳を濡らす』
https://novelup.plus/story/285008785
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