再会

口羽龍

再会

 高橋晴幸(たかはしはるゆき)は鉄工所の会長。数年前までは社長だったが、息子の晴徳(はるのり)に社長の座を譲り、現在は会長だ。社長だった父の跡を受け継ぎ、社長となり、順調に会社を成長させてきた。


 晴幸の人生は順風満帆だった。父は鉄工所を経営していて、1人息子の晴幸はその後継ぎとなる事が決まっていた。高校、大学と名門ばかりを進み、そして父が社長を務める会社に入社。あっという間に出世街道を駆け上がり、父の跡を継いで社長になった。自分の未来を決めてくれた父は数年前に亡くなり、その時に会長となった。


「はぁ・・・」


 晴幸は昔の写真を見ている。どうやら自分が中学校の頃の写真のようだ。まだとても若い。とても今の自分からは想像もできない見た目だ。


 晴幸はその写真を見て、少し落ち込んでいるようだ。何かを考えているようだ。だが、その理由を誰にも話そうとしない。


「どうしたのこの人」


 晴幸は振り向いた。そこには妻の幸恵(さちえ)がいる。何か悩み事でもあるんだろうか? 幸恵は心配そうな表情だ。


「遼太郎って言うんだ。俺、中学校の頃、いじめちゃって。解決せず、謝る事も出来ずに別れてしまったんだ。今、どこにいるのかな?」


 中学校の頃の晴幸の横にいるのは、上野遼太郎(うえのりょうたろう)で、晴幸の同級生だ。遼太郎は弱虫で、多くの生徒にいじめられていた。晴幸もそれに加担していて、家族に多大な迷惑をかけてしまった。だが、それでも懲りることなくいじめをしていた。だが、何度やっても解決にならないと思ったのか、次第にいじめの事を言わなくなった。そして、中学校を卒業すると思に、別れた。それ以後の事は、全く知らない。


「元気にしてるといいね」

「ああ」


 晴幸は遼太郎の事を心配している。その後、いじめが発覚して、両親に怒られた。さすがにその時は深く反省し、もうしないと誓った。だがそこに、遼太郎はもういない。どこに行ったのかわからない。どうしてその時に自分が反省できなかったんだろう。そしてそれは、『人生の忘れ物』として晴幸の心の中に深く残る事になった。


「今でも謝りたいと思ってるよ」


 晴幸は泣きそうになった。だが、後悔しても今は遅い。どこに行ったかわからないからだ。


「その気持ち、わかるわ」


「どこにいるんだろう」


 幸恵は考えた。自分にもどこにいるかわからない。どうしたらいいんだろう。


「大学に進んだって知ってるけど、それ以後は知らないな。探偵に調べても、わかんないんだよ」

「そうなんだ」


 幸恵は心配になった。このまま放っておいていいんだろうか? 人生の忘れ物をしたまま人生を終えてほしくない。会えたらいいな。そして、謝ってほしいな。


「心配だよ」


 幸恵は晴幸の肩を叩いた。晴幸は少し笑みを浮かべた。


「会えたらいいね」

「うん」


 幸恵は2階の寝室に戻っていった。その様子を見ずに、晴幸はその後も写真をじっと見ている。社長だった時も、会長になった今も、全く忘れる事ができない。




 次の日、晴幸はリビングでテレビを見ている。晴徳は趣味のドライブで家族と朝から出かけている。家には自分と幸恵しかいない。とても静かな朝だ。


 当然、インターホンが鳴った。一体誰だろう。休みの朝に来る人がいるとは。


「はーい」


 晴幸は玄関を開けた。そこには初老の男性がいる。髭を生やしていて、口が見えない。髪はぼさぼさで、もう何日も洗っていないようだ。


「お邪魔します」


 男性は頭を下げた。晴幸は首をかしげた。一体誰だろう。見覚えがない。


「ど、どなたですか?」

「上野遼太郎です」


 晴幸は驚いた。まさか、遼太郎が自ら訪ねてくるとは。もう帰りたくないと思っているはずなのに、どうしてだろう。


「えっ、あの?」

「はい、かつて高橋晴幸さんにいじめられていた上野遼太郎です」


 もうあの頃のの面影が残っていない。こんなにも変貌したんだ。信じられない。大学を卒業して、豊かな日々を送っているだろうと思っていたが、まさかこうなっているとは。


「まさか、会いに来たとは」

「会いに来ました」


 遼太郎は冷静な表情だ。


「どうしたの?」


「死ぬ前に、一度話したいなと思って。本当は故郷に帰りたくなかったんだけど、あんたが謝りたいと思ってるって聞いて」


 遼太郎は晴幸が謝りたいと思っていると聞いて、行こうと思っていた。だが、なかなかそのためのお金が貯まらず、そしてようやく行く事ができた。気づけば、すでに60代後半になっていた。


「そっか」


 晴幸は笑みを浮かべた。謝りたいと思っていたけど、まさか自分から会いに行くとは。本当に嬉しい。これで人生の忘れ物がなくなったようだ。


「突然だけど、今日、飲もうかなと思って」

「いいですよ!」


 突然だが、今夜は飲みに行く事にした。晴幸のおごりだ。まさか、一緒に飲むとは。だけど、いいか。こうして2人で飲むなんて、もうこれが最後かもしれない。しっかりと楽しもう。




 その夜、2人は近くの居酒屋で飲んでいた。居酒屋は鉄工所の近くにあり、仕事帰りに従業員や上層部がよく行く店だ。


「まさか会えるとは思わなかったよ」

「だろう。僕も帰るつもりはなかったんだ。だって、辛い過去を消すためにも帰りたくなかったんだ」


 遼太郎は故郷に帰りたくなかった。故郷に帰ったらまたいじめられる。辛い毎日が待っている。そんな日々はもうこりごりだ。もうこんな所で住みたくない。


「わかるわかる」

「だけど、いじめで受けた心の傷で人と接するのが難しくなっちゃって、大学生活うまくいかなかったんだよ」


 実は遼太郎は、大学で落第して、散々な日々を送ってきた。東京の大学に進学したのはいいものの、人と接す日からがない遼太郎は大学で孤立した。そのせいで成績が悪くなり、そして落第してしまった。4年の時に就職活動をしておらず、そのせいで就職浪人になってしまった。その時は両親に故郷に帰れと何度も言われたものの、何とか就職する事ができた。


 だが、就職したものの、人と接する力がない遼太郎はなかなか仕事になじめず、すぐにやめてしまった。そこから何度も入退社を繰り返し、その果てに低賃金のアルバイトで働く事になってしまった。そこではうまくいっていたものの、お金があまり入らず、好きな事をする余裕があまりなかった。そして、このまま定年を迎えてしまった。


 また、遼太郎は恋とは無縁だった。みんなは結婚して子供ができて、幸せな日々を送っているのに、自分はそんなのとは無縁だ。何もかも自分が悪い。もう一度大学生活をやり直したい。だけど、もう戻れない。定年を迎えて年金生活になって今思っているのは、このまでの人生で『忘れもの』ばかりしているという事だ。でも、もう忘れ物を取りに行く事はできない。もうあの時は戻ってこない。


「そうなんだ。大変だったんだね」


 晴幸は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。自分がいじめてしまったがために、遼太郎がこんなにひどい人生を送ってしまった。あんなに裕福な人生を送ってきた自分が恥ずかしく思えてきた。


「で、就活もろくにできず、就職浪人になったんだ」

「そうだったんだ。苦しかっただろうに」


 晴幸は遼太郎の肩を叩いた。遼太郎は泣きそうな表情だ。今まで苦しい日々を送って、恋とは無縁で、晴幸とはまるで正反対の人生を送ってきた。d系る事なら、もう一度やり直したい。でも、もう元に戻れない。


「何とか就職できたんだけど、人と接するのが難しいがゆえに、命令に従うのが難しかったんだ」

「ふーん」


 晴幸の会社ではそんな人は多少いた。社員に怒られてばかりで、すぐにやめて行った。遼太郎もそんな感じだったんだろうか?


「で、僕はクビを繰り返して、その度にハローワークに行っての連続だった」

「そんなに苦しい日々を送ってきたんだ」


 亮太郎は泣いてしまった。涙がビールの入った中ジョッキの中に入る。今夜は涙酒だ。


「親から帰れ帰れと言われるんだけど、僕は何としても帰りたくなかった。だけど、ようやく安定した職に就けたんだ。低賃金のアルバイトだけどね」

「よかったじゃん。就職できて」


 晴幸は励ました。就職できて、生活できるのなら、それでいい。自分は親が社長だったから就職活動なんてしなくてよかった。


「でも苦しいよ。生きていくのがやっとなんだよ。家計が貧しいから」

「わかるわかる」


 遼太郎はアルバイトをしていた日々の事を思い出した。低賃金で生きていくがやっと。正社員の人と違って休みの日の好きな所に行けない。贅沢ができない。寂しい日々だった。


「その度に、どうして僕は生まれてしまったんだろうと思ってしまう」

「遼太郎、ごめんな。こうなってしまったのは、僕のせいだと思ってるんだ。本当にごめんな」


 晴幸は泣きそうになった。自分のせいでこうなってしまった。申し訳ない。できる事なら、あの頃に戻り、いじめをしないようにしたい。


「いいんだよ。僕が弱かっただけなんだよ」


 遼太郎は生中を飲んだ。晴幸はその様子を見ている。色々辛い日々だったけど、今日は全部忘れて飲もう。嫌な事を忘れるためにお酒はあるのだから。


「もういいんだよ。今夜は飲もう」

「うん」


 晴幸も生中を口に含んだ。こうして2人で飲めるなんて、奇跡だ。こんな事ないと思っていた。


「俺んちに泊まってないかい?」


 突然、晴幸は誘った。色々辛い日々を送ってきたけど、今日は全部忘れて僕の家でゆっくりしようよ。


「いいの?」

「うん」


 全く予定にはなかったが、遼太郎は晴幸の家に泊めてもらう事にした。




 居酒屋から帰ってきた2人は、家に帰ってきた。もう夜も遅い。辺りはとても静かだ。隣にある鉄工所はすでに残業を終えていて、明かりが消えている。


 晴幸は玄関を開けた。入口は暗くなっている。もうみんな寝ているようだ。


「お邪魔します」


 と、2階から幸恵がやって来た。物音と明かりに気付いたんだろう。


「あら、いらっしゃい」


 幸恵は驚いた。まさか、遼太郎も来るとは。もう帰ったと思っていた。


「へぇ、相変わらず立派だね」


 遼太郎は驚いた。こんな豪華な家に住んでいる人がいるんだ。自分の住んでいる賃貸住宅の部屋とは正反対だ。


「そうだろう」


「僕と全く正反対だね。僕、いまだに独身だし、独身寮のような小さな部屋のアパートに住んでるんだよ」


 遼太郎は独身寮のような小さな部屋に住んでいる。家賃はとても安く、そんなにきれいじゃない。だけど、お金がないから仕方がない。自分がこうなってしまったから、この部屋でしょうがない。


「そうなんだ」

「僕の人生って、忘れ物だらけだなって思ってる」


 遼太郎はリビングでくつろぎながら、これまでの人生を振り返った。これまでの人生をやり直すために東京に来たのに、そんな東京で落第して何もかも失ってしまった。


「僕も1つだけ人生の忘れ物をしてるんだよ。君に謝る事さ。君に謝りたい。ごめんね」

「いいんだよ。弱かった僕が悪かった。弱かったがゆえに、僕は人生の忘れ物が多いんだ。仕方ないんだよ」


 遼太郎は晴幸を抱きしめた。晴幸も遼太郎を抱きしめた。半世紀の時を越えて、やっと謝る事ができた。これで人生の忘れ物は消えた。これで心置きなく人生を終わる事ができる。これからは過去を振り返らずに、もっと楽しい日々を送っていこう。


「本当に申し訳ない事をした。ごめんな」

「もういいんだよ」


 遼太郎は晴幸の頭を撫でた。辛かっただろうな。だけど、もう悩まなくてもいいんだよ。心置きなく残りの人生を送ってね。


「こんな僕を許してね」

「ああ」


 晴幸は2階に戻っていった。今日は1階のリビングのソファで寝る事になった。ベッドじゃないけど、こんな家で寝れるなんて、いいな。




 次の日、遼太郎は再び東京に戻る。寂しいけれど、帰らねば。そして、再び寂しい日々に戻らねば。自分はもうこの故郷にいるべきじゃない。東京で孤独だけど自由な日々を送るんだ。


 遼太郎は玄関にいる。目の前には晴幸がいる。晴幸は笑みを浮かべている。もう悩みがなくなったようだ。


「今夜は泊めてくれてありがとうね」

「いいよ。同級生だもん」


 遼太郎は手を振った。もう帰る事はないだろう。これからは東京で生きていく。


「じゃあね、また会えたらいいな」

「じゃあね」


 遼太郎は玄関を閉めた。晴幸はその様子をじっと見ている。東京でも元気でいてほしいな。そして、自分ももっと頑張らないと。そして、残りの人生を楽しく過ごそう。

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