第42話 狂気に溺れる少女。その果てに僕の目の前は『真っ白』に染まって……
赤いのは空気中の窒素が反応しているからだという。でもどうしてハウアさんがそんなことに詳しいのかは実に不思議。
そんな雷を喰らったら最後。人間、いや生物なんて一瞬で消滅してしまう。案の定公園の木々に火の手が上がっているのが見える。
『完全にキレてやがるな。ここいら一体を蒸発させる気か』
ハウアさんは急ぐぞといって更に加速する。ほどなくして到着するや、視界に飛び込んできたのは、武人達の戦場と化した紅蓮の園。
そこにいた植物は焼け焦げていたり、なぎ倒されていたりと惨烈な光景。そんな中を稲妻と血の槍が降り注ぎ、お互いがギリギリのところで躱す。
一体アルナに何が起きたんだ? 怒っていたのは間違いないけど。でもそれだけで命も無視した殺し合いを始めるなんて――いや、僕も人のこと言えないか。
『ヤベェな嬢ちゃん。力に溺れかかっている』
「え……溺れるって」
『今まで本気で戦ったことが無かったことだよ。加勢するぞ。しっかり掴まっていろよっ!』
毛を逆立たせ、ハウアさんも戦場へと足を踏み入れる。
戦闘中、ハウアさんは語った。暗殺者という職業柄、最悪の事態を想定して動き、情報を集め、運以外の要素を全て塗りつぶす。
敵と己の力量を正確に推し量り、現状での最高の状態で仕事を遂行するものだって。
『そんなことを続けているとな、無意識に自分の実力を抑えちまうんだ』
それはいつも全力というわけにもいかないから、それ自体悪いことじゃない。むしろ正道。
『何がなんでも勝たなきゃなんねぇ相手が現れたとき、本来そいつは命取りになる。けど嬢ちゃんの場合、それが裏目に出て、制御できなくなっちまった』
真価――一族に期待されているってそういうことだったんだ。
絶対に負けられない状況。今のアルナにはそれがある――つまり僕のせい。
アルナが追い詰めた先で、ハウアさんはマグホーニーの背後を取った。
『捕まえたぜっ! お前はもう終わりだ』
爪を振り下ろし地面へと押さえつける。
『それはどうだかな』
地に伸びていた黒血から無数の剣が草木の如く生え、ハウアさんの身体を貫く。
『ぐっ! クソ! ウゼェッ!!』
牙で噛み千切り、巨体を振り回し、ハウアさんは剣の林を粉砕する。所々に血が滲んで痛々しいが本人は気にも留めていない。
『言ったであろう? 図体がデカくなったごときで、いい気になるなと』
いつの間にかマグホーニーは鼻先に立ち、ハウアさんの眼前へ槍先が向けられている。
マズイ! くそ! まだ体がっ!
僕は起き上がろうとした途端、傷口から血が吹きだして、逆に力が抜けた。
『いい気になっているのはそっちだ』
稲妻が横切った。アルナの蹴りがマグホーニーの横面に突き刺さり、盛大に地面へと叩きつけられる。
突然降り立ったアルナは何故か笑っていた。それも妖艶で歪んだ微笑み。
色欲に溺れているみたいに荒い息遣いで、魅惑的に、淫らに身を捩って――。
ただアルナは這いつくばるマグホーニーを蔑んだ瞳で見下ろす。だがそれは突如崩れた。
「んんっ……ふふっ……あははっ! はははっ! はははっ!!!」
あんな楽しそうに恐ろしく笑うアルナを初めて見た。
なんて艶やかで、傲慢で、残酷。呆れるほど無邪気な笑い方。これじゃまるで本当の――悪魔じゃないか。
駄目だ! これ以上アルナを戦わせちゃいけないっ!
直観的に、本能的に、いやそれよりももっと確信に満ちた予感が自分を突き動かす。
「駄目だアルナ! もう君は誰も殺しちゃいけないっ!」
コンマ数秒の世界。アルナの肩が跳ね上がり、視線がぶつかる――もう彼女の目は正気に戻っていた。
『甘いぞっ! 鬼の姫っ!』
咄嗟にアルナが振り返る。彼女がマグホーニーの槍の存在に気付いたときには、マグホーニーの刺突が眼前にまで近づいていた。
彼女の命の危機を前にして、今まで言うことを聞かなかった体が、突如蘇ったかのように力が漲る。多分火事場の馬鹿力って奴かもしれない。
アルナを庇おうと僕は決死の覚悟で飛び込む。
「ぐ……っ!!」
背の皮一枚持って行かれたけど何とか助けられた。
けど身体はアルナを支えるあまり、何度も地面に打ち付けられ転がった挙句。背中を激しく木に叩きつけられる。
「が……は……っ!!」
衝撃で肺から空気が全部抜けた途端、視界が真っ白になった。
「ミナトっ!」
アルナの呼びかけは聴こえる。けど大分血を流してしまった。
くっ! また朦朧としてきた。やばいなぁ……これ間違いなく……死ぬかも。
「やだ……しっかりして! あ……あ……っ!!」
「……怪我はない? ア……ルナ?」
口はなんとか動かせるけど、舌が思うように動かない。
「そんなことよりすぐに止血をっ!」
『後ろがお留守だぞ』
マグホーニーの殺意の籠った声にアルナは振り返る。迫る馬上槍。マズイ――彼女と突き放し護ろうと死力を注ぐ。だけどまるで力が入らない。
その間にもアルナは腕を広げて、反対に僕を庇い立つ。
駄目だ。アルナ……くそ、全然声が出ない。
アルナの背中に吸血種に殺された
優しくてお転婆で大好きだった姉は最後まで自分を護って、吸血種の撒いた炎に焼かれて逝った。
また同じ悲しい思いをするのか。今度はアルナが――そんなの絶対嫌だっ!
『ガラ空きなのはテメェもだろっ!』
暴風と共にマグホーニーの身体が忽然と姿を消す。ハウアさんが前足で薙ぎ払ったのだ。
『ぐっ! 狗がっ!』
受け身を取ったマグホーニーにハウアさんが飛び掛かる。
『嬢ちゃん! 後はオレ様が時間を稼ぐ! その間に……頼んだぞ!』
アルナは頷くとスカートを引き裂き、僕へ止血を施し始める。きつく縛られる度に、呻き声を漏らさずにはいられない。
「……体温が下がっている……脈もっ!」
だから力が出ないのか。真剣な顔でアルナは自らの腕を無理矢理口に押し込んでくる。
「ミナト、傷口を焼いて血を止めるよ。私の腕を噛んでいいから、耐えて」
そんなことできるわけ……と思った刹那、頭が真っ白に――。
―――ドォンッ!!!
今、胸が凄い勢いで跳ね上がらなかった!? 急に目の前に火花がっ!
なんだ!? 息苦しい! マズイ! 息を吸えっ! 唾液が一緒に入った!
「ガハっ! ケホ……ハァ……っ!!」
噎せた所為で喉が痛い。舌がひどく苦い。それに地面に落ちている青い液体は何だ?
「大丈夫!? ミナトっ!? 良かった! 意識が戻ったんだねっ!」
アルナが呼んでいる。そうか……完全に気を失っていたんだ僕は。
「ミナト。落ち着いてゆっくり息を吐いて、そしてゆっくり吸って、うん、ゆっくり、ゆっくりでいいから」
アルナに介抱されながら、言われた通りゆっくり深く呼吸を整えていく。
すると次第に頭へ酸素が回ってきたようで、朧気ながらも状況が把握出来るようになった。
ハウアさんは轟音をまき散らし、マグホーニーと未だ死闘を繰り広げている。
アルナは……どうしたんだ? あの腕の傷。獣に咬みつかれたような……まさかっ!
いや、違う。口から出た青い水……そう、そうか、あれは歯型……。
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