第3話 『恋』していますか?

 町にはガス灯に変わり、【霊線】が張り巡らされ【霊気灯】が煌々と灯って人は眠らなくなった。


 近年は【霊気バス】が乗合馬車にとって代わって市民の脚になっている。


「結構遅れちゃったなぁ……」


 ふと溜息をついてから歩き始めると、視界の端に青白く輝くものが過る。


「遅いっ! 罰金っ!!」


 見上げると有角種の女の子が腰に手を当て立っていた。ご機嫌斜めな彼女は友達のラウ阿爾娜アルナだ。


 蒼い長い髪に純白の艶やか角。胴衣にネックラインがやや高めのブラウス。


 足首まであるスカートの裾からは肌と同じ色白の尻尾が覗かせ、澄んだ空色の瞳が僕を咎めている。


 かなりご立腹であらせられる。もう機嫌を取るには片膝を付き、貢物を献上するしかない。


「お嬢様。どうぞ、こちらをお納めください」


「えっ!? 嘘、これって?」


 思惑通り。特徴的な包装箱を見たアルナは目を丸くしている。


 反応からもしかしたら以前から気になっていたのかもしれない。《アダス》の包装は結構凝った作りをしていて、兎の絵柄にピンクのリボンが可愛い。


「どうしたのっ!? ミナトっ!? これっ!?」


「いつもありがとうって伝えたくて、君へのプレゼントだよ」


「もう……またそんなこと言って、どうせ職場の人に御使いを頼まれたんでしょ? もう1個背中に隠しているみたいだし?」


「すごい、全部あたっている。でも感謝しているのは本当だよ? いつも美味しいランチを頂いているからね」


 彼女は香木や茶の交易を生業とする商家の御令嬢で留学生。


 出身地は【麗月レーグエ】という【アナティシア連合王国】、通称【アンティス】から海を渡って西にある大国。


 そこの港湾都市【馨灣ヒィンワン】だ。


 現在は貴族、資産家の御曹司や令嬢が通う寄宿学校に在学している。


 ただプライドの高い彼等が、成り上がりの、他国の、まして有角種を歓迎する筈も無いわけで……。


 ともあれ知り合う前からいつもベンチで一人食事していて、すれ違う度、なぜあんな綺麗な子が一人で? っていつも思っていた。


 アルナと話すようになったきっかけは先輩と一緒の初任務、二人帰路に就いている時だ。


 季節外れの豪雨の中。夜の公園に佇むアルナを、風邪を引いたらまずいと思って協会まで連れて帰ったんだ。


「こ、今回はロガージュに免じて許してあげる。もうミナトが遅いからお腹空いちゃった。早くしないとお昼休みが終わっちゃう。行こっ!」


 ふと僕の手を掴み笑顔で歩き出すアルナ。さっきまで不機嫌だったのに、どうやら機嫌を直してくれたみたい。


 急いで僕達は木陰にシートを広げ食事をする。最近はランチにアルナの馨灣料理に舌鼓を打つのが日課だ。


「うわぁ……今日も美味しそうっ!」


「いっぱい作ったから、どんどん食べてっ!」


 最初は味もさることながら、種類の多さに驚いた。


 とろりとして酢の効いた甘酸っぱい餡を絡めた古老肉グゥルゥロウ


 豚肉に香辛料を塗布して照り焼きにした叉燒肉チャーシウロウ


 海老や蟹の身が混ぜ込まれたオムレツ、芙蓉蛋フーユンダン


 中でもひき肉を小麦粉の皮で蒸した燒賣シウマイが特にお気に入りだ。


 きっと僕の為に何時間も丹精込めて作ってくれているんだ。


「えっ? それって點心ディムサムだよ」


「點心?」


「うん、朝食の残りだったものだけど、こっちの言葉でいうなら〈おやつ〉」


「こ、これが? それにしてもなんというか重いというか」


「馨灣の人たちはいっぱい食べるもん。むしろ足りないくらいかな。本当は私の得意な魚料理を食べて欲しんだけどね。ここじゃ中々新鮮なものがないから、少し残念」


「ボースワドゥムは内陸だしね。でもアルナが作った海鮮料理かぁ、きっと美味しんだろうなぁ~」


「じゃあいつかご馳走してあげる。あっ! 今お茶出すね」


 アルナは鼻歌交じりにバスケットから自慢の茶具達を取り出した。


「ほんと便利な世の中になったよね。何処にでもお湯を持ち運べるようになったんだもん」


 彼女が手に握られているのは筒底に【紅燐石こうりんせき】という熱を発する石のついた水筒。


 1日とまではいかないが半日までなら温かい飲み物を提供することが出来る魔法の瓶だ。


 漂ってきたのは爽やかで上品な芳香、どこか懐かしい感じがする。


「はい、どうぞ」


「ありがとう。いい匂い……もしかして耶悉茗ジャスミンの花?」


「正解。茉莉花茶モォーリィーフゥアチャーっていうんだ。茉莉仙桃モーリーシィェンタァォっていう茶葉なんだけど……どうかな?」


 不安そうに見つめてくるアルナ。一風変わった味だけど、何だか心が安らぐ。


「故郷でお茶と言えばミルクを入れたりしていたけど、うんっ! 美味しい!」


「良かったぁ~。紅茶があまり得意じゃないって聞いていたから、香りが強いの駄目なのかなって……」


「これは大丈夫みたい。むしろこっちの方が好きかもしれない」


「ほんと!? じゃあ! 飲んで飲んで!」


「うんっ! 頂くよ」


「あっ! そうそうっ! 話変わるけど今夜大雨が降るみたい。【高級紙タイムズ】に書いてあった」


「そうなんだ。【大衆紙テレグラフ】しか読んだことないから知らなかったよ。最近の高級紙って天気予報なんて載っているんだね」


 高級紙を簡単に買うことが出来るなんてやっぱり良家のお嬢様なんだなぁ。


「さてと、じゃあ、お昼も食べ終わったことだし、早速デザートの時間にしよ」


「うんっ! そうだね! 楽しみだなぁ~」


「待っててね。今切ってあげる」


 他愛のない会話を弾ませ、アルナは刃物でロガージュをあっという間に六等分していく。


 断面も実に綺麗。柔らかいからつい崩れてしまいそうなものだけど……。


「凄いナイフ捌きだね」


「え、あ! うん……馨灣の人なら皆出来るよ。はい、どうぞ!」


 彼女はにっこりと微笑んで取り分けてくれた。


 でも、さっきほんの一瞬……いや、気のせいだ。


「ありがとうっ! わぁ! 本当に年輪のようになっているんだね。さぁ問題は味だ」


「うん。評判通りだといいんだけど」


 おそるおそる口に運んだ途端。僕らは顔を見交わした。


 目の前のアルナも尻尾を大きく揺らして、とても上機嫌。喜んでくれたみたいで良かった。


 それにしてもなんて濃厚でコクのあるチョコレートなんだ。ふわふわの生地が舌の上で踊る。それから木苺のソースの甘酸っぱさが広がって。


「「美味しいっ!!」」


 斯くして僕等はロガージュを堪能した後、日課である公園内の散策を始める。群生する青飴藤の仄かに甘い香りが漂ってきて、もう初夏って感じだ。


「わわぁっ!? みんなちょっと待って! あははっ!! くすぐったいよぅ!」


 噴水前でいつものようにアルナは鳩へ餌をあげる。光に照らされ煌めく水沫の中で弾けるように笑う彼女を見ていると僕はいつも思うんだ。


 何でみんな有角種に偏見を抱くのか? って、それは多くの国で信仰されるイクシノ教が、彼等を魔族と称し迫害していた所為。


 本人の人格とは全く関係ない。


「ちょっと疲れちゃった」


 一息つけようと腰を下ろした拍子で、アルナの首元の淡い紅色の宝石が眩しく輝く。薔薇をかたどった形が妙に惹き付けられる。


「その胸元の、いつも身につけているよね」


「あぁっ! これ、ね……」


 指先で摘み、ペンダントを眺めるアルナは何故かとても寂しげだ。

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