第23話 うそ
「響―! 遥ちゃんきたよー!」
そう母が叫んだのが部屋の中からも聞こえた。私の部屋は玄関を上がってすぐ左だ。続いて、
「お邪魔します!」
と、遥の大きな声も聞こえた。返事をしなかったのに入ってくるのか。遥の会いたくないわけではない。むしろいつも通りに遥といたい。けれど今はどんな顔で遥と接すればいいのか分からなかった。学校を三日も休んでしまった。遥からのメッセージも返事を悩んでいるうちにほとんど無視したような形になってしまった。それに何より、噂の件だ。私は普通でいたいのだ。この三日間色々と思考を巡らせた。まず思うのは噂している男子を懲らしめたい。ただこれは誰が最初に言い出した犯人なのかを突き止めねばならず、それは難しいように思えた。そして、遥と今まで通りの友達付き合いでいいのだろうか? ということだ。今まで通り、登下校を共にして、たまに手を繋いだり、お互いの家に遊びに行ったり、噂を解消するためにはこれらをやめるべきなのだろうか? そう考えると私は無性に腹が立った。なぜ私がこんな目に遭わなければならないのだろうと。「遥」と「噂」を天秤にかけなければいけない状況に陥ったのは何故だ。そもそもそんな天秤は間違っていると思う。ただ、私の理性はそう言っているのだが、私の心はそれを完全に拒否することが出来ないでいる。噂なんて気にする事はないと思う自分もいるが、怖くて堪らない自分も確かにいる。私は常に人に怯えて生きてきたのだと分かった。嫌われることも嫌だ。目立つのも嫌だ。かと言って無いものとされるのも嫌なのだ。その嫌われない、目立たない、無視されない、三つのバランスを上手くとって生きていると思っていた。それは間違いだった。
「響―きたよー」
遥はノックを2回するとそう言った。私は布団に包まった。いつまでも逃げてはいられないのに。
「響―入るよー」
遥は私の返事が来るのを少し待ったようだが、それがないと分かるとドアをゆっくりと開けた。
「寝てるのかな?」
遥の申し訳なくて堪らなくなってくる。遥は私が心配で来てくれたのに、私は返事を出来ないでいる。「遥」と「噂」を天秤にかけた自分に猛烈な自己嫌悪が襲ってきた。余計に遥の顔を見られなくなる。
「響! おい! 起きるでしょう!」
だめだ。何も言えない。
「そういう態度ならこっちにも考えがあるよ」
なんだろう…。でも嫌だ…。遥に嫌われたくない! 布団から顔を出そうとしたその時、
「どーん!」
遥が私の上にダイブした。
「ぐぇ」
「ほら! やっぱ起きてるじゃん!」
私は布団から顔だけ出した。
「ちょっと! 遥! 何すんの! 重い!」
「重くない! 失礼な!」
「いや、そうじゃなくて乗られたら誰でも重いでしょ!」
「うるさい! 重くない!」
私は布団越しに遥を押し退けようとしたが、遥はそれに必死に抵抗した。
「ちょっと! もう分かったから! 分かったからどいて!」
「やだ!」
「しつこい! 子どもか!」
「子どもだ!」
攻防は暫く続いたが、最後は遥をなんとか押し退けた。遥は私の隣に仰向けに転がった。
「はぁ、負けた」
「勝ち負けなの?」
「うん。負けた」
「ははは。勝ったー」
「ふふふ」
私と遥は並んで天井を見つめた。電気はついていないので、街灯の僅かな光が窓から差し込んでいる。
「響」
「何?」
「ごめんね」
「なんで?」
「私と噂になるの嫌だったんでしょ」
遥は噂のことを知っていたのか…。
「知ってたの?」
「響が来なくなって、山中君に聞いた。だからごめんね」
私の胸は強く痛んだ。
「遥が悪いんじゃないよ! 噂してる奴らが悪いんだよ!」
「そうかも知れない。でも、私は響と噂されるの嫌じゃないの」
「それってどういう」
私は自分の鼓動が急速に早まっていくのを感じた。
「私、響が好き」
心臓が爆発した。
「本当は今言うつもりじゃなかったんだけど、なんか、響の顔見たら、言わずにいられなくなっちゃった」
「…遥」
「分かってるよ。響にそんなつもりないって。でも、私は好き」
「私は…」
「何も言わないで分かってるから」
遥の顔を私は見た。遥も私を見た。遥は微笑んだが、その目からは涙が溢れていた。
遥はやっぱり私のことを…。遥もきっと深く悩んでいたのだろう。私が噂されるのが嫌で学校に来なくなったと聞いて、遥はどんなにショックを受けたのだろう。私はやっぱり馬鹿だ。遥の苦しみに比べたら、私なんか。何故私は思い至らなかったのだろうか。遥が私のことを好きかも知れないと思っていたのにも関わらず、私はそれを踏み躙るようなことを考え続けていた。遥は何も言わないでいいと言ったが、遥の勇気ある告白に対して私ができることを考えなければならない。真剣な想いには真剣に応えようと思うのが人間だと谷さんは言ってた。それはこうも言えるかも知れない。真剣な想いには真剣に応えなければならない、と。それは権利ではなく義務だと私は遥の告白を聞いて感じた。私には遥の想いにちゃんと答えを出す義務がある。私の答えは…今決まった。
「ごめん。遥。遥の気持ちに今の私は応えられない」
遥の顔が大きく歪んだ。大きな涙がこぼれ落ちる。私は遥を抱きしめた。
「ごめんね。遥。でも、大好きなのは変わらないよ」
私の目からも自然と涙が溢れてきた。
「もう友達じゃいられないのかな…」
「…嫌だよ! そんなの!」
遥も私を強く抱きしめた。
「ごめん…取り消す。やっぱり響のこと好きじゃない。だから友達でいて…」
「あはは。取り消さないで。断っといて難だけど、嬉しかった」
「ならお願い。友達でいて…」
「それじゃあなんか私ズルくない?」
「ズルくていい。今まで通りでいよう。私、普通にするから…」
「辛いでしょ。遥が辛いのは嫌」
「響と友達じゃなくなる方が辛いよ…」
「…分かった」
遥は私を更に強く抱きしめた。
もう、噂なんてどうでもいいと思った。遥は私を好いていた。友達としてではなく。恋愛対象として。私が出した答えは遥の想いに沿うものでは無かった。
ただ、私は自分に一つ大きな嘘をつくことになった。
私は…私も遥が好きだ。
告白されてそれが確信に変わるのを否応なく感じた。でも、私の出した答えは自分の心とは違うものだった。私には無理だ。女性同士で付き合うことも、それを自分で受け入れることも。私の中の理性がそれをはっきりと拒絶した。好きなら好きでいいじゃないかと言う人もいるだろう。だが、それは他人だから言えることだ。勝手に言っていろ。そこに伴う苦しみを私は看過できない。友達になんて言う? 母には? 父には? 姉には? 言えない。そんなこと。私には出来ない。
普通でいることから私は逃れられない。遥とは友達でいる。本当は告白を断った段階で友達を辞める方が良かったのかも知れない。でも、私は遥を手放す勇気が無かった。友達でいたい。と遥が言った時、私はとても安心していた。最低かも知れない。でも。安心した。
この想いを止めておくのは容易ではないが、遥の苦しみに比べればなんてことはないだろう。遥は知らないのだから私が遥を好きだということを。それは誰にも知られてはいけない。
私は遥へのこの想いを、殺すと決めた。
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