第2話「空にはお気をつけなさって」



 キャロルの婚約者となったライリーが訪れる日を迎え、キャロルは重いため息をついた。

 この話には絶対なにか裏がある──そう疑っているキャロルにとって、ライリーとの対面は憂鬱でしかなかった。


 再びつきそうになったため息を押し殺していると、エフィが呼びに来た。


「姫様、ライリー殿下がそろそろお見えになるそうです。お出迎えに来るように、と陛下が」

「わかったわ」


 身支度をとうに済ませていたキャロルは、ゆっくりと立ち上がる。

 叱られない程度の悪あがきだ。わかってはいるけれど、嫌なものは嫌なのだから、これくらいは許してほしいと思う。


 そのまま、いつもよりゆっくりと歩き、玄関ホールに向かう。

 付き従うエフィはいつも通りの変わらない面持ちだが、その瞳が期待で輝いていた。

 エフィはライリーのことを、『見る目のある素晴らしい殿方』だと絶賛している。隣国にまで伝わるその称賛の声もエフィの期待に拍車をかけているようだ。


 玄関ホールに着くと、父と母と兄夫婦が揃っていた。そしてキャロルを見るとにっこりと笑う。


「いやあ、おめでたいなぁ。とうとうキャロルに婿が……」

「陛下、まだ気が早いのでは? それに、キャロルは婿をもらうのではなくお嫁に行くのですよ」

「キャロルが嫁に……」


 泣き出しそうになった父の背を母が擦り、兄は呆れた顔をし、義姉がくすくすと笑う。

 そんな家族のノリにキャロルだけが置いてけぼりにされている。


「キャロル、ライリー殿下には何度かお会いしたことがあるが、とても朗らかで良い方だ。きっと仲良くなれる」


 戸惑っているキャロルに気づき、兄が優しくそう声をかける。

 別にライリーがどういう人物なのかで悩んでいたわけではないけれど、兄のその心遣いは嬉しく、「ありがとうございます、お兄様」と小さく微笑んだ。


 そんな会話をしているうちに、ライリー一行が到着したらしい。

 馬の嘶きと複数の足音が聞こえ、こちらに近づいて来るのがわかった。


 玄関ホールの扉がゆっくりと開かれ現れたのは、まっすぐな輝く金髪が印象的な、紅蓮の軍服に身を包んだ長身の青年だった。


 一切の隙のない身のこなしは彼が軍人であるからなのだろう。

 話に聞く彼は、勇猛果敢に先陣を切る勇ましい人だと聞いていたからてっきり、がっしりとした体格のいい男性なのだと思っていた。

 しかし、実際に見た彼は、線が細いとまでは言えないけれど、軍服を着ていなければとても軍人には思えないような体格だった。


 彼は出迎えた父を見て、敬礼をする。


「よくぞおいでになった、ライリー殿。私がフルーク王国国王エーブラムだ」

「お初にお目にかかります。ライリー・ウエッジウッドと申します」


 ハキハキとそう答えたライリーの声はよく通る。それも彼が軍人であるがゆえだろうか。

 二人は当たり障りのない挨拶を交わしたあと、父が目で挨拶をするようにと促す。

 渋々と一歩前に出て、王女らしくお辞儀をする。


「お初にお目にかかります、ライリー殿下。国王エーブラムが第二子、キャロルでございます」


 そう言ったキャロルに、ライリーはニッコリと眩しい笑みを浮かべる。

 近くで見ると、なかなかの美男子だった。榛色の瞳が楽しそうに輝き、笑った顔は聞いている年齢よりも幼く見える。


「貴女にお会いできる日を心より楽しみにしておりました」


 その言葉はとても真摯に響き、太陽みたいな笑顔に胸の鼓動が早鐘を打つ。

 どうしてしまったのかしら、と戸惑うキャロルをよそに、ライリーは言葉を続けた。


「私の強運と貴女の不運、どちらが強いのか──楽しみですね!」


 これからよろしくお願いいたします、と快活に言った彼に、キャロルを始めとするフルーク王国の王家一同はポカンとした。






 キャロルは荷物を置いたライリーを連れて城内を案内することになった。

 奇妙な雰囲気が流れたあの場でいち早く我に返った父が、互いを知るためにも二人で城内を歩いたらどうか、と提案したのだ。

 それを喜んでライリーが受け入れ、今に至る。


 歴代の国王と王妃の肖像画が並ぶギャラリーなど、目で楽しめるところを案内し終わり、次は中庭を案内する番だ。

 キャロルは中庭に入る前に予め用意していた傘をさし、足を止めてライリーに言った。


「ライリー殿下」

「なんでしょう」

「どうか空にはお気をつけなさって」

「はい?」


 きょとんとするライリーににこりと微笑み、案内を再開する。

 きっとライリーは、キャロルが傘をさしたのは日除けだと思っているだろう。

 確かに日除けをする効果もあるが、最大の理由はそれではない。


 中庭を歩いて少しして、ボトッとなにかが落ちる音がした。

 さすがは軍人と言うべきか、その音に反応してライリーが足を止める。


「キャロル姫、今なにか──」


 ライリーはそう言いかけ、目を丸くした。

 キャロルはライリーのようには反応できず、彼より少し先で立ち止まった。

 そのとき、傘にボトッっと聞きなれた音がし、異臭が漂う。


「あぁ……またね。この傘も洗わなくては……」


 きちんと落ちるかしら、と傘を閉じることなく上を向いて言ったキャロルに、ライリーは困った顔をする。


「姫……その、傘を替えなくていいのですか? もしくは拭うとか……」

「いいのです。どうせまた汚れますから」


 殿下は大丈夫でしたか、とすまし顔で聞くキャロルにライリーは頷きながら困ったように傘とキャロルを見比べる。


「なるほど……これが『不運姫』……」


 小さく感心したように呟いたライリーをキャロルは睨む。その呼び名はとても不本意だ。

 それに気づいたライリーはカラッとした笑みを浮かべた。


「噂には聞いていましたが、本当だったのですね」

「……殿下のお聞きになった噂がどのようなものかは存じませんけれど、わたしがこの通り不運なのは事実ですわ。外に出ると、高確率で鳥の糞が落ちてくるのです。だから最初に申し上げたでしょう? 『空にはお気をつけなさって』と」


 確かに、とライリーは頷く。


「わたしのような不運な娘と婚約するのは殿下にとってもよろしくないことでしょう。今からでも遅くはありません。わたしとの婚約は──」


 なかったことにしましょう、と言う台詞は最後まで言えなかった。

 なぜならキャロルが台詞を言い切る前に、ライリーがものすごく爽やかな笑みを浮かべて、「いえ、大変素晴らしいことです」と言い放ったからだ。


「キャロル姫が私との婚約に前向きではないことは承知しました。しかし、私はぜひ貴女と婚約したいし、出来れば親しくさせてもらいたいと思っています」

「な……ど、どうしてです? 外に出るたびに鳥に糞を落とされる娘など、迷惑でしかないでしょう」

「迷惑なんて、とんでもない。私は別にそんなことは気にしませんし──なにより、とても興味深い」


 ニコニコと笑顔を崩さずそう言い切ったライリーに、キャロルは言葉を失った。

 今まで、似たようなことを言われたことはたくさんあった。「私は気にしません」「迷惑だなんて、そんな」「姫様とご一緒できることは身に余る光栄です」と。


 しかし、そのどれもが本心ではないことを、キャロルは知っている。

 そう言った人たちが影で「姫様とお出かけするのも一苦労だ」と言っていたことを。

 だから、家族以外と外に出るのは憂鬱でしかない。


 しかし、「興味深い」と言われたのは初めてだった。

 それはいったいどういう意味なのか──その真意を問おうとして、ライリーの瞳をじっと見つめたけれど、そこには裏の意味など読み取れないほど、キラキラと輝いていた。

 まるで新しいおもちゃを与えられた子どものような。


「私と貴女は真逆ではあるが、よく似ていると思っています」


 ライリーの言葉に首を傾げる。

 真逆なのに似ているとは、どういうことだろう。


「自分で言うと自惚れているように思われそうですが……私は強運の持ち主なのです」

「……はい?」

「姫は私に関するいくつかの評判を耳にされているかと思いますが、それらすべて私の強運からきたものなのです」

「……すみません、意味がよく……」


 強運だけで、国外に響くような評判が得られるとは思えない。


「たとえば、勝利を導く王子などと言われていますが、それもたまたまなのです。私が出た戦がたまたま勝利しただけ」

「殿下が出られた戦が勝利できたのは、すべて偶然だとおっしゃるのですか?」

「お恥ずかしながら。私は特別剣技が優れているわけでも、銃器の扱いに長けているわけでもありません。かといって、優れた策を考えられるような頭もない。そんな私が戦に勝つことができたのは、偶然が重なったからです。そのときの司令官の調子がたまたま悪かったり天候に恵まれなかったりと、相手の不運が重なった結果、勝利することができました」


 なんとなく、身に覚えのあるような話だ。


「そういうことが続き、私は幸運に愛された王子だともてはやされるようになりました。その期待に応えようとあれこれしているうちに今のような評判になったのです。元々、幼い頃から私は運が良かった。楽しみにしていた外出時は決まって晴天だったし、普通なら大怪我をしているような事故に巻き込まれても無傷でいるような子どもでした」


 ライリーの言っていることが本当だとしたら、確かにキャロルとライリーはよく似ていて、正反対だ。

 片や、強運に恵まれ、片や、不運に愛され。

 キャロルの幼い頃に経験したのと真逆の体験をライリーはし続けてきたのだ。


「……て……」

「はい?」


 小さく呟いたキャロルの言葉を聞き取れなかったライリーが聞き返すと、キャロルはキッと彼を睨んた。


「なんて羨ましいの!!」


 そう叫んだキャロルに、ライリーは目をパチリと大きく瞬きをした。


「外出するときに晴天になったことなんて一度もないもの! なんて羨ましい……!」


 目の前にハンカチがあったのなら、きっと噛んでいた。それくらい、悔しかった。


「羨ましいですか?」

「羨ましいです!」

「……私は姫が羨ましいですが」

「え?」


 意外な言葉に目を大きくする。

 ライリーはニコッと笑って、キャロルの手を取った。


「きっと私たちが一緒にいれば、お互い経験したことのないことが起きると思うのですが、姫はどう思いますか?」

「え? ええっと……」


 ライリーの言う通り、彼と一緒にいれば、経験したことのないことが起こるのかもしれない。それはとても魅力的なことだと思う。

 しかし一瞬だけ見た、表情が抜け落ちたライリーの顔が引っかかった。


「こうしましょうか。しばらくの間、私はこちらにご厄介になります。その間、できるだけ一緒に行動してみるというのは? それで姫の気持ちが変わらなければ、婚約はなかったことにしましょう」

「……いいのですか?」


 ライリーからの意外な提案に目を見開く。

 彼はしっかりと頷いたあと、「ただし」と続けた。


「こちらに滞在する間、友人同士のように気楽に接することをお許しいただきたい」

「友人……ですか?」


 キャロルは首を傾げ、少しの間悩んだのち、「その程度でしたら」と頷いた。


「ありがたい! どうにも堅苦しい言葉遣いは苦手で」

「はあ……」


 助かったと言うように表情を崩したライリーはキャロルに手を差し出す。


「改めて、しばらくの間、よろしくな」


 くだけたライリーの口調になんとなくそわそわしながら、キャロルはおずおずとその手を取って「よろしくお願いいたします」と言った。

 すると、ライリーはまるで太陽みたいな眩しくて温かい笑顔を浮べた。



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