3章10節 終わらせて始める

「では」


朝野あさの先輩。合格、おめでとうございます」


 夏休みも明け、二学期も終盤を迎えた。日が短くなって随分と経った夕暮れ過ぎの窓の外は、街灯やまだ灯っている校舎の電灯が眩く輝いている。


 推薦とはいえ入学先も決まり、内々とはいえ祝勝会を開いてもらった。喜佐美先輩のときも私が率先して開いたけれど、今度は私が開かれる側になるとは。しかも、まだ受験が終わってないはずの同級生までいるし。


「んん。朝野が第一陣でね。第一志望に合格したからね。俺たちも続いてかないとね」


「そうそう。うっぷん溜まっちゃうしさ。今日ははしゃいで、明日を頑張る活力にしちゃおー」


 楽しそうに後輩たちと話す同級生の姿を見ているとそれはそれでいいかと思う。受験もこの辺りになってくると、焦り不安で余裕がなくなってしまったクラスメイトも少なくない。


 こういう場でいつも通りの笑顔がもう一度見られるのなら、嬉しいことだった。


久留巳くるみもね。学年上がったら正式にこっちきなよ。ね」


「私は喜佐美きさみくんや朝野先輩のお手伝いしかしてないのに」


「一緒に仕事ができるなら、僕はとっても楽しいと思うよ」


 喜佐美先輩のそばが私の居場所だったように。私が引き継いだこの生徒会室も後輩たちの居場所になれたのだろうか。


 もしそうだとするなら。やったことは喜佐美先輩の真似だったとしても、生徒会長としてこの一年間を務めあげたことを心から誇らしく思う。


 久留巳さんが私用で中座したとはいえ。楽しかった祝勝会の、宴もたけなわ。終わる時が来てしまう。このまま一晩明かせそうな程に盛り上がったけれど。受験生もいる以上はどこかで終わらせなくてはいけなかった。


「私たち恒例の挨拶といえばー」


「もちろん。ね」


 生徒会員全員の視線が私に向けられる。もちろん、言うべきことはわかっていた。


「これで今日の生徒会活動を終わります。みなさん、今日はありがとうございました」


「ありがとうございました」


 またやろうね。打ち上げもここでやりましょう。みんな、思い思いのことを告げて帰っていく。みんなの合否が明らかになるのがいつになるとしても、必ずまたやろうと思った。


 そうしてまた、喜佐美先輩のいないからっぽの生徒会室に私がいる。あと幾度というほどでもないけれど、やろうと思えば数えられる程度の日数しかこの場所にはいられない。


 今座っているこの生徒会長の椅子もだ。今になっても喜佐美先輩の座っているはずだと思ってしまうこの場所からも立ち去るべき時間が迫っている。


 名残を惜しめばキリがない。長居し過ぎるのも、先生方にご迷惑をおかけしてしまうし。


 残った生徒会室の電源を落とそうとした時に、見つけたものがある。


 パスケースだ。革で造ってある、シンプルで黒いものは喜佐美君の持ち物だった気がする。入っているものは普通に考えれば定期券なんかが入っているはずで。とりあえず連絡をしたほうがいいだろう。


 ありがとうございます。行き違いになると大変なので、生徒会室でお待ちいただいてもいいですか。


 足元に気をつけてねと返事をして、しばらく待てば喜佐美君が来た。そう長い距離を歩かせてしまったわけではないらしくてホッとする。


「こうやって、朝野先輩と暗くなった外を眺めるのも今日が最後になるんでしょうか」


「全員の進路が決まったら、またこういう会を開くつもり。きっとね」


「ずっと。お世話になり通しでした。今までありがとうございます」


「先輩が後輩の面倒を見るのは、そういうものだから。喜佐美君も、後輩ができたら大事にしてあげてね」


「はい。先輩を見習って、僕もそうします」


「私もあなたには本当に支えてもらった。ありがとう」


 喜佐美先輩にたくさん助けてもらって。彼女の弟にはたくさん支えてもらえた。私が喜佐美先輩に憧れてやったことを、彼女の弟が見習うと言ってくれている。


 敬愛している人の意思を、私は後に続く後輩に受け渡すことができたのだ。きっと彼も自分の後輩へ受け渡すのだろう。その系譜の中に自分もいるのだと認識したとき、私は頬に流れるものを抑えることはできなかった。


「電気消してきますね、先輩は戸締りをお願いします」


 ガラスに映る泣き顔を見ないように、気を使ってくれたのだろう。喜佐美君は背を向けて、照明のスイッチの方へ向かっていった。


 窓ガラスが鏡になって彼の後ろ姿もよく見える。なんて無防備な背中だろう。戸締りなんて、喜佐美君が来る前にとっくに終わらせたというのに。


「朝野先輩。そっちの電気も消します、戸締りは終わりま」


 手で壁を突いて追い込むような形になってしまったけれど、構うことはない。ここで逃がすつもりはないのだから。


「喜佐美君。私の彼氏になるつもりはない」


「そんな。急にこんな言われ方、驚くだけですよ」


 驚かせてしまったのは申し訳ないけれど、返事を聞くつもりはない。実際に告白したのかは知らないが、久留巳さんは失敗したようだ。けれど、それは押しが足りなかったというだけの話だから。


 すぐ着く距離だったとはいえ、暗い夜の中を他の生徒会員は喜佐美君を一人で送り返してくれている。だいぶ勘違いはされているけれど、みんなに後押しもされているのだ。ここで決めてみせる。


「二人でいた時間は楽しかったよね。会長の仕事も、あなたがいなければ務まらなかったかもしれない。だから、一生をかけてもお礼がしたい」


 口にしている言葉は本心だ。心の底からなんのためらいもなく出てきたのだから。


 それほどまでに支えてくれた相手で愛しい人の大切な家族になりたいという浅ましい欲望を満たそうとしている。喜佐美一海の大切な弟のその恋人として、ゆくゆくは家族として愛されようという願い。叶えられるなら今までの全てを投げ出してやる。


「ごめんね。何年かけても、どんなことをしても、償い続けるから」


 不思議と怯えた様子の見えない喜佐美君の顔へと自分の顔を寄せる。ポケットに手を忍び込ませてカメラを起動させた。あとは唇が触れた瞬間を、カメラに収めて喜佐美先輩へとメールで送るだけ。


 喜佐美先輩のことだ。何も知らなければ溺愛している弟と後輩の奇行に驚きはするだろうが、間違いなく祝福してくれる。そして私たちは彼女に逆らえない。


「ん」


 唇が冷たいけれど柔らかいものに触れて、声が漏れる。


 シャッターを切る音は聞こえたけれど、彼の唇は私の眼から見えるところにあった。


「良くないですよ先輩。本気で告白してもらえたかくらいは、僕だってわかります」


 是非を問うつもりはなかったけれど。ここまでやって本心を見抜かれたのには驚きを隠せなかった。


「先輩の好きな人は僕じゃないでしょう。自分の気持ちに嘘を重ねても辛いだけですよ」


「気づかれちゃってたか、残念」


「僕は気づかれてると思ってましたよ。同じ人を好きなんですから」

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