1章10節 転校生

「おはよう、久留巳くるみさん」


喜佐美きさみくん。元気そうでホ」


「チイーーーッス。おはようさん二人とも」


 喜佐美くんが検査入院から戻って、学校に戻ってくる週明けの月曜日。彼の健康が大きく乱れているわけではないけれど。喜佐美くんや、お姉さんの一海さんからのメールでわかってはいるけれど。


 無事に学校へ戻ってきたのだから祝ってあげたかった。それなのに。呉内が雰囲気をぶち壊してくる。いつも通りといえばいつも通りだけど。お祝いの言葉をかけてあげたっていいじゃないか。


「チッス。呉内くれうち


「おうおう。なかなかサマになってんじゃないの」


 喜佐美くんまで呉内の真似をしてチャラけた仕草を始めた。


 慣れていない身体の動かしかたをしているのは見ればわかるけど、頑張っている姿が可愛らしくて頬が緩む。


 だらしない服装。入学時に比べたら随分と伸びた下品な金髪。通り過ぎていく同級生が顔をしかめる汚い笑い声。


 丁寧にアイロンがけのされて、キッチリ着こまれた制服。後ろで結んだ柔らかそうな黒髪。小さな鈴を転がしたような可愛らしい笑い声。


 見た目だけじゃない。性格や荷物の持ち方まで対照のような二人組。大人しくて優しい喜佐美くんとひたすら無遠慮に振舞い続ける呉内。


 近づくだけでハラハラするけれど、こんな風に並んで歩くくらいなら。と思ったけどやっぱりダメだった。


「呉内くん。もう少しゆっくり歩いてあげて」


「んだよ。デブってんじゃねえのお前」


「呉内。せっかくなんだから、三人で楽しく登校したいな」


 心無い呉内の放言を、喜佐美くんが間髪入れずにフォローしてくれた。


 釘の刺し方まで、相手に気を遣ってくれる喜佐美くんの優しいところ。呉内も少しくらい見習えばいいのに。


 校門に近づくと元気よく挨拶を繰り返す声が聞こえてくる。生徒会が主体となって実施している、朝の挨拶運動の声だ。


 朝野先輩たちの明るい声は喜佐美くんにも聞こえているようで、パッと顔が明るくなるのがわかった。


 喜佐美くんを待っていたのは、同級生の私たちだけではない。病室まで来て心配してくれた人も生徒会の列の中にいて、彼は真っ先に彼女へと向かっていった。


「おはようございます、喜佐美くん。よかった。本当に何事もなかったんだ」


「おはようございます、朝野先輩。お話した通り検査入院ですから。今日の放課後からでも、頑張らせてください」


 お互いに一礼をしながら言葉を交わしあう朝野先輩と喜佐美くん。


 尊重しあう先輩と後輩という感じで、朝からとても爽やかなものを見せてもらって清々しい気分だ。


 他の先輩方や同学年の生徒会員も、代わる代わる喜佐美くんを祝って送り出してくれる。みんなが彼を待っているのは私にとっても誇らしいことだった。


「おはようございます、朝野先輩。今日の放課後から、喜佐美くんをよろしくお願いします」


「おはようございます、久留巳さん。一緒に頑張っていきましょう。こちらこそよろしくね」


 喜佐美くんのお姉さんである一海さんのとりなしもあって、朝野先輩と彼のことについて話し合った。お互いに幸運な出来事だったと思う。


 今みたいに気持ちよく挨拶ができるようになって。喜佐美くんも喜んでくれるのだから。


「みんな、喜佐美くんを待っててくれて良かったね」


「うん。二学期になったら正式に生徒会のメンバーなんだから、僕も頑張らないとね」


 浮かれ過ぎた呉内は朝野あさの先輩に捕まって、優し目のお説教を喰らっていた。


 痛快な光景だけれど、ここは喜佐美くんを見習って。笑顔で手を振って、生徒玄関へと向かうことにした。


「意外と短かったじゃないかよ喜佐美」


「喜佐美くん元気そうでホッとしたよ。よかったぁ」


「ありがとう。みんな、本当にありがとう」


 廊下で声をかけてくれた生徒や先生方と同じように。クラスメイトのみんなも戻ってきた喜佐美くんを応援したり励ましてくれた。


 けれど妙なことがある。


 喜佐美くんのことを抜いても、クラスメイトのみんながどこか浮かれているようだ。何か別の熱気に包まれているような気さえする。


 私の気のせいかもしれなくて誰にも聞けなかったけれど。先に理由に気づいたのは、喜佐美くんだった。


「久留巳さん、机が増えてる気がするんだけど気のせいじゃないよね」


「え、本当に」


 パッと見てもわからなかったから、喜佐美くんに指をさして教えてもらった。週末の記憶を辿れば、確かに机が一個増えているような気がする。


 転校生の話なんて聞いてないけれど、来るときは案外そういうものかもしれない。


「三十三個。ホントに増えてるね」


 増えているのは喜佐美くんの座席がある隣の列、一番後ろの席だった。男子である喜佐美くんの隣の列ということは、転校生は女子なのか。


 心配無用。転校生なんてひと月経てば話題じゃなくなる。転校生は美人だっていうテンプレートも、そっちの方が話の種になるから盛り上がってるだけ。


 大丈夫だ、まだ慌てる時間じゃない。


「初めまして。八城桃華です。体調に問題を抱えており紆余曲折ありましたが。こうして皆さんと同じクラスに入れたことを嬉しく思います。これからクラスメイトとして、よろしくお願いします」


「というわけで。今日から新しくクラスに入る八城だ。喜佐美もいるしわかると思うが、彼女の学校生活は様々な助けを必要としている。みんな頼むぞ」


 ホームルームのときに黒板の前に立っているのは、予想通り女の子だった。


 とびきり可愛いということだけは予想外だったけど。


 精巧に作りこまれた人形が立って喋っているようだ。満面の笑みからも儚さや繊細さを感じてしまうのに、目が離せない。


 いるだけで人を安心させる喜佐美くんとは対極の。近づくと不安になるような陰のある雰囲気。触れれば崩れてしまう、死を感じさせるようなミステリアスな魅力。


 誰もが初めて触れるであろう感覚に、クラス全体が吞みこまれていた。


 拍手すら忘れられた教室の中を、八城という転校生は自らの席へと足を運んでいく。


 一歩。また一歩。ゆっくりと歩みを進めていく姿は、ドレスを着たお姫様の行進にも見えて。


 何がそう感じさせるのか。転校生に圧倒されている私には、理由まで頭が回らなかった。


 みんなと同じように彼女を見つめているのではなく。彼女の視線の先を見られれば簡単にわかったというのに。


 そっと転校生の手が伸びて、喜佐美くんの頬に触れる。


「お待たせ万洋。こんなカッコでお互い会えるなんて、信じられないでしょ」


 白い指は喜佐美くんの頬へ深く食い込んでいくけれど。交わる二人の視線には、確かな親愛が感じられた。  

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