1章4節 消えるからこそ思い出は

 生徒会活動の中で、一番の山場である生徒総会は無事に終わった。苦労も手間も多い会計の検査からも解放された。デスクに山積みせざるを得なかった書類も、然るべき場所への収納を終えている。


 各部活の部員。委員会の役員。生徒会員。教職員の方々。その他諸々。校内のさまざまな立場の人間でごった返していた生徒会室。やっと元通りの静かで暖かみのある部屋に戻ってくれてホッとしている。


 生徒会長になってもやっぱり、私にとってこの部屋は喜佐美きさみ先輩との思い出深い場所だったから。


 生徒会員の権限を利用して生徒会室に出入りしている。活動が休みの日とはいえ、それらしいことの一つや二つはするべきだろう。同じことを考えている生徒が、この部屋にはもう一人いて。


朝野あさの会長。お時間、少しよろしいですか」


喜佐美きさみ君。今はプライベートで手伝って貰ってるんだから、そんなに堅苦しくしない」


「わかりました。朝野先輩。頼まれた資料を見つけたと思うので、確認お願いします」


 喜佐美万洋まひろ。私が憧れている喜佐美先輩の弟だ。まだ正式なメンバーではないけれど、私の秘書として生徒会員の業務をしてもらっている。


 喜佐美先輩には可愛い後輩として大事にしてもらった。弟である喜佐美君にも、もう少しフランクに接してもらいたいけれど。やはり、一年生から見た三年生はやっぱり近寄り難く映るものだろうか。


 いや。喜佐美先輩と違って、私に至らぬところが多いからだろう。誰とでも気軽に話すことができる彼女と違って、私は学年の壁を必要以上に感じさせてしまうのだ。


 後輩との接し方からもわかるように。当時の喜佐美先輩と今の私では如実に違いが出てしまっている。


 生徒会室の備品一つ取ってもそうだった。私が今使っている椅子も、作業がし易いように喜佐美先輩が新しく購入してくれた備品だ。座ったままで長い時間を過ごすことが必要になる会計作業。クッションが利いているこの椅子でなければ、きっとどこかで滅入っていただろう。


 会長としての業務も、喜佐美先輩が残してくれた恩恵に頼っているのが私だった。喜佐美君を秘書にしているのも、弟に支えてもらうことで彼女が側にいるように感じたかったからだ。


「ありがとう。これで合ってる。去年のメモと付き合わせて、備品リストの更新もしたいけど。これはみんなで決めましょう」


「わかりました。他にできることはありますか。テーブルが広くなったから、拭き掃除でも」


「掃除の当番は持ち回り。今日はお休みなんだし、ルールに甘えちゃいましょう」


「はい。荷物出してきます」


 生徒会室に来るみんなが楽しく過ごせるよう、過ごしやすいように喜佐美先輩が作り変えた生徒会室。彼女が現役だった頃は、私にとってこの空間が一番安心できる場所だった。卒業してしまった今になっても、過ごした思い出の沢山あるこの空間が居場所なのは変わりがない。


 二人で過ごした時間をこれからは一人で過ごすのだと決心をして会長になったけれど。そう時間が経たないうちに、喜佐美先輩の弟が私と同じように入り浸るようになっている。


 彼を見ていると、喜佐美先輩に必死について行ったかつての自分を眺めているような。私を可愛がってくれた彼女の気持ちを追体験しているような。


 一人で過ごすより喜佐美先輩を深く感じている感じがして、生徒会室に万洋君が今日も来てくれるのを期待する自分がいる。


「試験問題って一文がすっごい長いんですね。構文の中に構文があるなんて。うわあ」


「文法や単語の一つ一つは比較的易しいと思うけど。文節の意味がどこにかかってくるかがこの問題の要所だから」


 同じ大学を目指したいと伝えたら、喜佐美先輩に譲ってもらえた過去問集。憧れの人の努力の結晶である分厚い冊子は、私にとってはなによりも大切な宝物だ。


 誰にも触らせないどころか、可能な限り視界にも入れさせたくなかった。けれど、目の前にいる後輩にだけは許してしまう自分がいる。


「辞書を引いてもわかんないな。姉さん、こんなのをスラスラ解けるんだ」


 ページをめくる動きまでどこか危なっかしい。弱々しさを感じさせる小柄な体格。荷物持ちもさせられないスタミナのなさ。人並み外れているとまではいかない成績。


 学生としては、どこをとっても喜佐美先輩に匹敵するところはないだろう。


 弟とはいえ所詮は他人。喜佐美先輩から面倒を見るように頼まれても、決して彼女の代わりになるはずなんかない。初めて話を聞かせてもらったときから、そんなことわかっていたつもりだったのに。


「あっ。ここの書き込み、姉さんが入れたものですよね」


「大正解」


 何気ない仕草。綺麗な二重まぶたを始めとした顔の造形。似ているところはたくさん目に止まったけれど、なにより笑ってくれた時の顔が瓜二つだった。それは、喜佐美先輩と彼が血の繋がった家族だからというだけではきっとないと感じる。長い時間を共に過ごす中で、彼女の心の一部が弟の中に宿っているのだろう。


 過ごす時間が長くなるうちに、喜佐美君の心の中にいる喜佐美一海を覗く機会が増えていった。また会えたと思うたびに、彼女を恋しがってしまう私は胸を締め付けられていく。


「姉さん。家じゃあんまり勉強しなかったから、ちょっと不思議な気分です」


「本当なの。喜佐美先輩、参考書を眺めながら会長の仕事とかしてたのに」


「勉強より弟や妹と遊んでる方が楽しいからって。姉さん、僕が入学するまでは勉強を教えてってお願いしても、なかなか聞いてくれなかったんですよ」


「私は喜佐美先輩にその辺よく注意されたけど。生徒会の仕事だけじゃなくて、勉強もするようにって」


 同じ人について話していても、喜佐美先輩が弟と後輩に見せる姿は全く別だった。見えているものの違いはお互いに興味深い。機会を見つけては彼女の話で盛り上がることが多かった。


 弟や妹を守ってくれる優しいお姉さん。私たちを引っ張ってくれる頼もしい生徒会長。関係は違うかもしれないけれど。目の前にいる人間が同じ人を心から敬愛しているのは信じられる。


 誰よりも誇らしく思う人の、知らない一面をお互いが知っている。相手の口から語られると、交換するように自分も語りだす。


 会話を繰り返して、初めて知ることができた喜佐美先輩の意外な一面もやっぱり私には眩しかった。新しく知る輝きが眩しいのは、きっと目のまえの後輩も同じだろう。


「こうやって話すたびにびっくりすることがあって。やっぱり姉さんは凄いですね」


「うん。私たちの憧れの人だもの」


 生徒会長を引き継いで後を託されること。尊敬している人と同じ高校に通うこと。私と喜佐美君はお互いの夢を叶えることにそれぞれ成功した。


 大切な人についていけるように。一緒にいることが少しでも誇らしいと思ってもらえるように。お互い今も頑張り続けている。


 私は、喜佐美先輩の凄さに気づいて、複雑な気持ちになるわけだけれど。


「僕。朝野先輩のこと、応援してますから。書類とか仕事とかどんどん覚えて」


「大変だよ。少し追いつけたと思ったら、思っていた何倍も遠くまでいたような人だってこと、わかってるでしょ」


 喜佐美君の言葉を、間髪入れずに遮ってしまった。生徒会長になってもまだ追いつけない喜佐美先輩にまだ追いつこうとする。まだ追いかけようとする彼女の弟の声は、思い出を抱えて過ごすだけの私には眩しすぎた。


 卒業してお別れするときまで。喜佐美君にとって最高の先輩でいようと決めたのに。喜佐美先輩が私にしてくれたように、私も彼女の弟を支えようと思っていたのに。


 喜佐美先輩の真似をして精一杯練習した笑顔。不愛想にならないように習慣づけているけれど、今はその笑顔で彼に酷いことを言ってしまった。


「わかってます、朝野先輩。でも、諦めたくないんです」


 大切そうに参考書を閉じた後、立ち上がった喜佐美君はまっすぐと私を見つめてきた。真剣な眼差しも、喜佐美先輩そっくりに映る。


 同じ苦しみを抱える相手に出会えたからか。見つめてくる彼の姿に、憧れの人を重ねてしまうからか。彼の眼差しは蕩けるような心地がして、私から苛立ちと不安を奪っていく。


「だから先輩の力をお借りしたいし、僕も力になりたいんです。二人でならもっと頑張れるって、思いますから」


 喜佐美先輩の血縁で、彼女をよく知る人と、彼女を目標にして、生徒会室で共に過ごす。それは過ぎてしまった在りし日が戻ってくるように感じられて。

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