2.通学

吉奥邦継(よしおくくにつぐ)の朝はまぁまぁ早い。




とりわけ家業の手伝いなどで朝早く起きることが多いためだ。そのほかにも今年から大学に通うこととなった。




今年の4月は晴れが続いていた。やや日差しが暑く感じる5月になるらしい。邦継は電車に揺られていた。総武線の満員電車に揺られる朝にも慣れたころ。車窓の向こうの神田川に咲いていた桜も新緑に代わり時の流れを感じる。




次はお茶の水―




電車は大学への最寄り駅に近づく。邦継は下車するために体をどうにか出入口の方に寄せる。




ホーム側の降車口が開くと邦継は押し出されるように電車から降りていく。水道橋口へと歩みを進める。




そこから南下して大学へと目指す。特段、意識したことはなかったが毎日のように楽器店の前を通るとベースやギターに興味が出てくるのが若者の特権とでもいうのだろうか。それらを横目にしながらキャンパスまでの道のりは無意識のうちに流れて行ってしまう。大学の講義室がある棟へと入館していく。エレベーターを使い目的階へ。



邦継はいつも簡素な恰好を好んだ。白いワイシャツに黒いパンツ姿。

エレベーターに乗ってくる若者は思い思いの彩りで着飾っていた。

大学生ともなるの各々の服装に個性が出るものでサイケデリックな衣服をまとった学生もちらほら見かけ、気後れしてしまう。


しかし、邦継はめんどくささが勝っていつも同じような服を選んでしまうのだ。




1限が始まる講義室の前から3番目の席へと座る。入学当初は無機質でシステマティックな講義室に疎ましさを感じていたが、住めば都、1か月も立てばなれるものである。


講義室にはすでに同じ学科の学生がちらほら見えていた。邦継は我関せずと自席でスマホをいじっているとゴールデンウィークの話題が邦継の耳をそばだてる。





邦継の黄金週間のスケジュールはおおむね埋まっており家業、バイトにサークルと存外、活動的な邦継は順風満帆と言わずともそれなりに満足した生活をしていた。






この日の予定はサークルに顔を出す予定である。サークルといっても学術サークルで日々の学科で学んだ講義の復習や学生間でやりたいことなどをサークル内で行うといったものである。邦継のサークルでの目的は過去問の確保にある。


以前、学科全体での新入生歓迎会の際に名の知れぬ上級生から「学術サークルに入っていたほうがテスト期間中は得だ」との甘言を賜ったため素直に学術サークルへと入会したのである。






1限目が終わると昼食まで暇となる。邦継はそのまま講義室に残り時間をつぶそうとしていた。スマホをいじりながら時間をつぶすのに適したくだらないニュースサイトをザッピングする。そうしていると席の後ろから声をかけられた。




「吉奥」




男子の声でそう呼ばれた。






髪の毛を茶髪に染めた、いかにも大学生が浮かれた風貌の同回生。谷村俊たにむらしゅんだった。






谷村は邦継が大学に入り、原則的に座る席が決まっていない入学式にたまたま横に座った男子が谷村だった。


話していくうちに谷村が同学科であることを知るとよりなれなれしくなった。


谷村とは他の場面でも出くわす。初めて学術サークルの活動に参加した際にも谷村は参加しておりそこでも軽佻浮薄というか軽いノリの雰囲気で接してきた。邦継は谷村に気に入られ邦継を見つけるたびに声をかけてくる間柄となった。






邦継は谷村に声をかけてくれるありがたさを感じてはいたものの朴訥ぼくとつとした邦継に対しいかにも大学生活を満喫している谷村の浮ついた軽さは言葉にしづらい面倒くささを感じていた。邦継と同じ程度の背格好の彼は機嫌がよさそうである。






「吉奥!おはよ!」




「お、おう、おはよう。元気だな、朝から」




「明日からゴールデンウィークだ!そら声も大きくなるさ」




満面の笑みを見せる谷村。腰に手を当てて胸を張っていた。

それにつられるように邦継も軽く口角があがる。




「吉奥は明日から予定は何かあるのか?」




「バイトと家の手伝いかな」




「それだけ?」




「強いて言うならサークルだな」




「サークルって学術サークルか?ゴールデンウィークも勉強かよ」




谷村は鼻で笑う。




「それもあるけど歓迎会をやるって話なかったか?」




「え?そんなのあったけ?」




「スマホに連絡が来てたぞ」




谷村は慌ててスマホを取り出し画面をのぞき込む。




「……うわぁ……マジじゃん。俺、この日に友達と出かける約束しちゃった。通知、追いきれてなかったー……」




「サークルだし参加必須じゃないだろ」




不服そうに邦継に目をやる谷村。




「そういうのじゃないだろう~。こういうのは参加してなんぼなんだよ!」




「え?」




「大学生活なんてあっという間に終わっちゃうぜ?再来年には就職を考えなければならないわけだ。実質的に楽しめる回数は残り僅かになるわけだよ!君!」




谷村の口上を右から左へと聞き流すことにも辟易とし始めた邦継は「優等生はその前に就活を始めてるだろぉよ」といった水を差す二の句は告げなかった。




天を見上げて硬直している谷村が目を見開き、邦継を刮目する。




「決めた」




「何を?」




「俺もどうにかサークルの歓迎会に参加する」




谷村は続けて述べる。




「先に入ってた可愛い女性陣とのお付き合いをしつつサークルにも顔を出す!」




「本作戦名は以後コード『ミッションインポッシブル』と名付ける。吉奥伍長、忘れたらただでは済まさないぞ。それでは状況開始!」




「あ、おい」




邦継の引き留めに応じず、谷村は颯爽と教室を後にした。




「最初からコード名あきらめてるじゃん」








今日の講義を一通り終えた邦継は先とは別の講義室へと足を運ぶ。彼の目的は学術サークルへの参加だった。この日はゴールデンウィーク中でのサークル活動についての日程や活動内容を改めて確認する先輩方からのレクチャーらしきものがあるらしく、いそいそと集会場所へと訪れた。


会場にはすでに十数名のサークル会員が集まっており、邦継は気おくれしていた。やや人見知りの気があるのも確かであるがいかんせん、人だかりに気圧されてしまっていた。






そんな中、ある人物が邦継の視界に入った。縁が細く光沢がある鈍色の眼鏡をかけた同学科の女子。服装は地味ではあるが人当たりの良さやその通る声質ですぐ彼女であると気が付いた。湊千景みなとちかげだ。






邦継は彼女を見かけたと同時に込み合った会場内の人だかりをかき分け彼女のもとへと向かう。




「湊!」




すぐさま湊が振り返る。




「吉奥君!来てたんだ!お疲れー」




湊は眉目が整っているがそれ以上に人を引き付ける声の抑揚や話し方が彼女に人が集まる理由であると邦継は考えていた。




「湊さんが呼んだんだろ」




「あれ?そうだっけ?」




とぼけた顔と声を付け足す。




「そんな猫かぶっても無駄だ。俺はそういうのはどうとも思わない」




鼻で笑い軽く嘲笑する邦継。




「アレー、失敗、失敗。でも人が多いほうがいいと思って声かけたんだ~」




「吉奥君も今のうちに先輩方とつながりを持っておいたほうがいいよ。過去問だったり就職だったりいろいろアドバンテージがあると思うな~」


「前にも同じようなこと言われた気がするが……」


こんな雰囲気の湊だが基本的には怜悧であり、落ち着きがある。テストや就活といったイベントの際に人数が多いほうが情報などを多く得られるとでも考えているのだろうと邦継は高を括っていた。

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