お試し理想郷

杉野みくや

第1話 スミレの談笑

 四月の暖かく、爽やかな風が窓から流れこみ、室内に春を届けに来る。窓から差し込む陽の光が病室のベッドに座る幼馴染を淡く照らしていた。その色白で透き通った肌をふにふにしながら私は大学での愚痴をこぼしていた。


「恵美聞いてよ~。教授がほんっとうに意地悪で!もうありえない!」

「また例の教授?明日香ちゃん去年も同じようなこと言ってたよね」


 そう言うと恵美はくすっと微笑んだ。穏やかな声色も相まって、まるで天使みたいだ。


「あれ、そうだっけ?恵美は本当に記憶力良いよね〜。それにどこぞの教授と違ってとても良い子だし」

「そんなに褒めても何も出ないよう」


 恵美は色白の頬を桜色に染めながら困ったという表情で言葉を返した。



 私と恵美はそれからもたわいのない話に明け暮れ、気づけば空が黄金色で覆われる時間帯になっていた。いつもならここで帰る支度をしているが、今日はもう少しだけここにいたい気持ちになっていたので、相も変わらず談笑にふけっていた。


「恵美さ、今回はいつぐらいに退院できそうなの?」

「先生は来週中に退院できると思うって言ってたよ」

「お!そしたらまだ間に合う!」


 軽くガッツポーズをした私を見て、恵美の頭には疑問符が浮かんだ。もちろん、実際に疑問符が見えたわけではないが、顔を見ればそのくらい簡単に分かる。恵美はいわゆる『顔に出やすいタイプ』なのだ。


「じ・つ・は~、私たちが気になっていたレストランの割引チケットをもらっちゃったのだ!」

「ほんとに!?でもどうやって?」

「ふふん、親友の小説入賞祝いってなったらこれくらい朝飯前よ」


 実は先月、恵美が書いた小説がとあるコンテストで賞をもらっていたのだ。生まれつき病弱で入院することが多かった彼女にとって、本は心のよりどころであり、高校生になってからは自分も書くようになった。私はそんな恵美の活動をもちろん知っており、最初期から応援している古参中の古参だ。だから吉報を聞いたときには胸が張り裂けるほど嬉しかった。


 再び感傷に浸ろうとしたところで病室のドアが開き、看護師さんからそろそろ時間だという知らせを受けた。名残惜しいが、病院のお見舞いに『延長』というシステムは存在しないので、かばんを持って席を立った。


「それじゃ、退院できる日が分かったらまた教えてね」

「うん、明日香ちゃんも帰り道気をつけてね」


 恵美はゆっくり手を振りながら、穏やかな笑顔で私を見送ってくれた。私も大きく手を振り、にかっと笑って病室を後にした。


 そしてこれが、恵美と過ごした最期の時間となった。

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