第2話

 

 ルネはその姿を見下ろしながら、ふっと笑ってしまった。


「ふふ、可愛い。本当に猫さんみたい」


 ミカエルがいる。目の前で無防備に眠っている。そこまで気を許してくれているということだろうか。

 この家はミカエルの家なのだろうか。ここまで来た経緯は全く分からないが、なんだか雰囲気が暖かくて、ルネは久しぶりに気持ちが落ち着いているのを感じる。眠る前までは、常に彼らに気を遣って怯えて、体が強張っていたから、何もしていないのにいつも疲労感があった。今はそれが嘘のように消えている。体も痛くないどころか、羽が生えたように軽い。

 ルネはいつまでもこのまったりした雰囲気に浸っていたかったが、そういうわけにもいかない。今の状況を確認しなくては。


「ミカエル様?起きてください。…ミカエル様ー?」

「んん…」


 ミカエルは1度唸った後、うっすらと目を開いて、ルネにそのペリドットを見せた。


「ルネ…?起きたのか。良かった」

「おはようございます、ミカエル様。ごめんなさい、起こしてしまって」

「いや、構わない。体調はどうだ?」

「今までで一番いいですわ」


 ミカエルはそれを聞いて安心したように、目を三日月型にして微笑んだ。


「ミカエル様、私はどうしてここに連れてこられたのですか?それからここはどこです?あれから何があったのですか?」


 捲し立てるように質問をするルネを、ミカエルは左手で制した。彼は眠そうに欠伸をしている。


「待ってくれ。順番に説明するから」


 ミカエルは自分がルネに別れを告げるために顔を見に来たことから話し始め、そこでルネが自傷しようとしている姿を見てしまい、咄嗟に止めに入ったこと、それからルネが気を失ってから今までのことを全て話した。

 

「リリィというメイドが君を必死にあの屋敷から逃がそうとしていた。ディストールからではなく、君の家から。だからここに連れてきた。一応私の家だ」

「一応とは?」

「私はほとんどここに帰ってこないからね。宿に泊まることが多い」

「はあ」

「さてルネ。次は君の番だ」


 ミカエルが言うと、ルネは首を傾げた。


「私?何を話せば良いのですか?」

「君が、何故家族から虐待をされていたか。メイドが身を投じてまで君を守る姿を見れば、何か複雑な事情があることは察しがつく」


 ミカエルが立ち上がって、ルネを見下ろす。ルネは固まったように動かなくなってしまった。視線も合わない。


「ルネ。いつだか、私は他の人間とは違うと言ったな。だが、私は君をここまで連れてきてしまった。世間ではきっと私は誘拐犯だ。それも王女に次ぐ高貴な令嬢を攫った大犯罪者だろうな」

「ミカエル様は犯罪者などではありませんっ!私を救ってくれた恩人です!」

「そう思うなら、私に君を守る理由をくれないか。何かあるのだろう?クロースティ達奴らが君をあそこまで傷付けるだけの理由が」

「それは…」


 ルネの肩が震えている。何かを恐れているように思えてならないその体に、ミカエルはそっと手を伸ばした。


「ルネ。私の手を握れ」


 差し伸べられた手にルネはおずおずと自身の手を重ねた。するとミカエルはまた優しく微笑んでくれた。それは慈しみの笑みだった。


「そう、いい子だ。ルネ、理由を言いたくないのは十分分かっている。だが、これでは私は君を家に帰したほうがいいのではないかとも思ってしまうんだよ。それでもいいのか?あのメイドの勇気を無駄にするのか?」


 ルネの青い瞳が大きく開かれる。ルネはかぶりを降って答えた。


「嫌です。家に帰るのも、リリィの勇気を無駄にするのも」


 その瞳には、わずかな勇気と恐れが隣り合わせに映って、揺れていた。


「言います。でも、私を今後も守り続けるかどうかは、私の話を聞き終わったあとで、ミカエル様自身が決めてください。私に失望したのでしたら、私のことは捨ててしまっても構いませんわ」


 その言葉は、今まで積み上げてきたルネの過去が、彼女に言わせているようにミカエルには思えてならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る