第14話


 アルベルトを無視してズカズカと入ってくるディストール。ミカエルは背後に近づいてくる気配からその気性の荒さを感じ取った。酒に酔っているとはいえ、これはやりすぎだ。家族であっても許される行為ではない。

 ミカエルが静かにいかった。それは、毒ガスが知らず知らずのうちに充満するように、熱となって辺りに伝わっていった。ミカエルを中心に冬とは思えない暑さが瞬く間に部屋に広がった。


「なんだ、お前は…」


 酔ったディストールは虚ろな目を瞬き自分に背を向ける獣人を視界に捉えた。ディストールのメイド2人はいつの間にか部屋の外に逃げていた。

 だが3人とも、月の光を背に受けるミカエルの顔までは認識出来ない。


「逃げて!」


 ミカエルから最も近くにいたリリィがミカエルの手を握った。ミカエルの猫の手は生き物とは思えないほど熱くなっていた。まるで熱湯につけたタオルを握っているようだ。だがリリィは手を放すどころか、その手を強く握って訴えた。


「お嬢様を、どうかお願いします」

「!」


 一言、それだけ言ってリリィは近づいてくるディストールに体当たりした。


「お嬢様には、もう指一本ふれさせません!…っ…!」


 何も構えを取っていなかったディストールは、そのまま後ろに吹っ飛んだ。だがその反動で、リリィも倒れこむ。


「何をするこの使用人ごときが!俺に体当たりだと!?」


 倒れたリリィの髪を鷲掴み、ディストールは激昂した。リリィが悲鳴を上げ、痛みに顔を歪ませる。


「ぅあ…」

「お前は確かルネの専属…」

「早く行ってください!!」

「俺を無視するな!」


 ディストールはリリィを激しく罵った。それにじっと耐えながら、ミカエルを涙目で見つめるリリィの切実な様子に、ミカエルの我慢も限界を超えた。

 突如、部屋の中に竜巻が起こった。砂漠の砂嵐のような熱を持ったそれは、ディストールの手からリリィを放した後、彼を天井に巻き上げて突き落とし、霧散した。


「汚い戯言しか言えないのか、その口は」


 発したのは、ミカエルだった。アルベルトが聞いたこともないような、低く、まさしく獣が唸るような声でディストールを威嚇している。ミカエルがペリドットの瞳をギラつかせると、部屋の外にいたディストールのメイド2人は肩を竦ませた。


「だとしたらだいぶ腐っているな。そこのメイドにでも洗ってもらったほうがいいのではないか、飲んだくれのお坊ちゃん」

「三毛猫風情が!俺を馬鹿にしているのかっ!!」


 ディストールの怒りの火に油を注いでいくミカエルに、リリィが再び声を上げた。


「お早く!!お嬢様をお救い出来るのは貴方しかおりません!」


 ミカエルはリリィの茶色い瞳を見つめる。


「お願いします!!」


 リリィはミカエルの獣の目に凝視されても一切目を逸らさなかった。


「いいんだな」

「お嬢様の為なら」

「……わかった」


 ミカエルは頷くと、トンと床を蹴ってベランダの柵の上に飛び乗った。

 後ろでアルベルトとディストールが慌てている声が聞こえる。それと真逆に、早く行くよう促すリリィの声も。


「リリィ、と言ったな。世話になった。ルネは、必ず私が守る」


 そう言い残して、ミカエルは緑の光を纏い、次の瞬間3人の前から姿を消した。魔法の痕跡すらも残さず、まるでここには元から居なかったかのように、公爵家の一人娘を抱えたまま、消えたのだ。


 程なくして、公爵家に警報が鳴る。ディストールの音魔法だ。


 季節は霜が降り始めた冬。満月の夜に魔法大国イリス国の3大公爵家の1つで、前代未聞の誘拐事件が起きた。ネイティア家の長女であり一人娘のルネ・ネイティアが、猫の獣人の魔法使いに誘拐された。

 この事件の翌朝には、直ちにネイティア家による極秘の捜査網が敷かれた。だがひと月経っても2人の足取1つ掴めずにいた。

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