第6話
「1週間前、私は君が、クロースティ夫人に虐待されているのを、見た」
言い終えると、ルネがまた怯えたように小さく息を吸って、そしてゆっくり吐く音が聞こえた。
「……そう、でしたのね…」
「ルネ。話があるんだ」
「ごめんなさい、ミカエル様。今は…聞きたくありませんわ…。この魔法、解いてくださる?」
「断る」
「ミカエル様…」
「私は…っ…」
ルネは咄嗟に耳をふさいだ。でもこの魔法は物理的には防ぐことはできない。ルネはこの音魔法を遮断する魔法は使えなかった。そもそも、ミカエルの魔法はどれも高度過ぎてルネにはそれを超えるどころか、到底真似できないものばかりだ。
無意味だと分かっていても、体が勝手にミカエルの言葉を聞きたくないともがいて、ルネはぎゅっと固く目を瞑った。ミカエルも己の中の何かと葛藤しているのか、その先の言葉を口にすることを迷っている様子だった。何度も口を開いては閉じるという息遣いだけがしばらく聞こえてくる。
どれくらい沈黙が続いていたのか、ミカエルはついにこの一週間、避け続けていた自分の望みを口にし始めた。
「ルネ。私に…君の傷を治させてくれないか」
「……え?」
思わず目を開くルネ。ミカエルはそんなルネの様子も、彼女今抱えている心情も知らない。
「治す…?それは、あの時治してくださったように、魔法でってことですか?」
「ああ。一週間前のあの日、私は君が吹き飛ばされた瞬間を見たわけではないが、風魔法と薔薇の棘で血を流す君を見て、どうして私は君を治す力を持っているのに、何もせずに隠れていなくてはいけないのだと、激しく後悔した。だが私は本来この屋敷にいてはいけない存在。だから大っぴらに君に治癒魔法を施すことはできないが、偶然会えた日に傷の痛みを和らげたり、見えない場所の傷を癒すことくらいなら出来よう。本音を言えば、少しでも怪我をしたら私のところに来てほしいくらいなのだが、さすがにそれをしては、私にも君にもデメリットが大きすぎるから」
「ま、待って…待ってくださいミカエル様!」
「…やはり無理だろうか」
「違いますわ!…ミカエル様、私のこと、何か調べて、それで問い詰めに来たのではないのですか?」
ルネが恐る恐る聞くと、帰ってきたのは答えではなく問いかけだった。
「問い詰めに?私が君にか?何を」
「何って、私がどうしてお義母様に虐待されていたか、とか」
「ふむ…。君はそれを私が聞いたら教えてくれるのか?」
ルネは今まで俯いていた顔をハッと上げた。目の前にはあの日と同じ光景が広がっていた。
ただ、そこに1匹の三毛猫がいないことを除いて。
「……いいえ。ごめんなさい」
「何に謝っている、ルネ」
「あなたを、間違えて理解していたことに対して、です。ミカエル様は私が布切れ1枚で倒れていても、私の部屋が荒れ果てていても、いつも体のどこかに怪我をしていても、何も聞かなかった。そんなところを好ましく思っていたはずなのに、私、今ミカエル様を他の人と同じだと考えてしまいました。他の人のように、“助けたい、でも出来なくて申し訳ない、私は悪くない…悪いのは全部お義母様とお義兄様だから”って。だから、ごめんなさい」
「君は……いや、何でもない。それで、私の提案は承諾してくれるだろうか?」
ルネは一歩前に出て、食い気味に頷いた。断る理由がどこにあろうか。
「ええ、勿論よ!私たちは約束して会うことは出来ないけれど、その提案は必ず守ると約束するわ。ミカエル様と会えた日、私がもし怪我をしていたら」
「ああ。私が必ず治そう。花は、切られても美しく咲くことが出来る。愛情さえあれば」
その瞬間、2人の視線は重ならずとも、心は確かに厚いカーテン越しに重なっていたのだった。
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