第3話
ミカエルは宿のベッドの上に上向きに寝ころんでいた。天井を見ながらも思い浮かぶのはあの少女のこと。布切れを1枚被っただけの少女は、あの後すぐにメイドらしき人物に連れていかれて、ミカエルがすぐにつかまることはなかった。ミカエルは一旦家に引き返し、今後の動きを考えていた。
(任務を一時中断すべきか…しかし見つかったのは今のところあの少女だけ、奴がすぐに私の正体に気づくこともないだろう。もう少し様子を見てから動くか。王に隠れて密輸なんかを行うような奴だ。証拠を隠すことはしてもすぐに消すこともないだろうし。多少、時間のロスはあるかもしれないが。まあ、気長に進めてみせるさ。急ぐのは、苦手だ)
考えながらうとうとし始めたミカエルは、そのまま昼寝をし、次に目が覚めたときにはもう日が傾いていた。
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それからミカエルは、5日間ほど食っては寝、食っては寝の生活をしながら、修理されて戻ってきた武器の使い心地を確かめるため、気まぐれに軽い魔物討伐に行ったりして過ごした。その間、ミカエルを追って来る者や、攻撃してくる者はおらず、フィサリスから武器を手渡されたとき以外、ミカエルはずっと1人だった。
ネイティア家の者はまだ自分の存在に気付いていない、それが確認出来たミカエルは、任務開始6日目の朝に、再びネイティア家に向かった。
今日は実際に屋敷に侵入する。人の配置や動きを確認しつつ、できれば当主やその家族の部屋の位置も確認しておきたいところだ。ミカエルは、フィサリスからもらった結界破りの魔法が組まれた腕輪を身につける。この魔法道具はあらゆる結界をすり抜けられるだけでなく、それを感知させないように作られている、とフィサリスが自慢げに言っていた。ミカエルの注文通りだ。追加で頼んだから、かなりの金を持っていかれたが。
一つの物音もさせず、ミカエルは屋敷の裏の塀に軽々と飛び乗った。間髪入れずにそこから飛び降り、素早く木陰に隠れた。人がいないことを再度確認し、木を伝ってまずは青い壁の屋敷へ、2階のベランダから入り込む。
カーテンが閉まっていたから中の様子を確認することは出来なかったが、音や生き物の気配がなかったから、誰もいないだろう。ミカエルは窓の鍵を魔法で外から開けた。
「なんだこの部屋は。何もかもが壊されている。物置か?」
入った部屋は、かなり埃っぽくて、何より家具という家具が破かれたり、壊されたり、とにかく部屋の中は何頭もの暴れ馬が駆け回ったかのような悲惨な有様だった。だが、よく観察すると破壊される前は人が住んでいたのだろう痕跡がある。割られたティーポットには紅茶の葉が入れられ、ベッドにはぬいぐるみ、クローゼットにはドレスが見える。鏡もあった。ミカエルの身長の倍以上はあろうかという高さの全身鏡だ。粉々に割られてしまっていて、もう修復も不可能だろうことがうかがえる。
ミカエルがそうして部屋の惨状に気をとられている最中、不意に後ろから声がした。
「猫さん、誰?」
「!?」
ミカエルはその場から動くことが出来なかった。生き物は自分が予想だにしていない事態が起こると体が動かなくなる、と聞いたことがあったが、まさかこのタイミングで体験することになるとは。
ミカエルはゆっくりと顔を上げ、声の主を視界にうつした。
「君は、あの時の」
「この間もいた猫さんね。今日は忍び込んで何をしているの?」
ミカエルはいまだに状況を掴めずにいた。ボロボロの部屋でこの前見つかった少女にまた見つかり、だが少女は悲鳴ひとつあげる様子がない。
(なにより、この少女の気配や音に私が気付かなかっただと?人間の何倍もの音を拾う私の耳がドアを開ける音にすら反応できなかった。…それともう一つ、少女は今、なぜドレスを着ている?まるでこの家の娘のような装いだ)
少女は青いドレスを着ていた。夜会やお茶会用ではない、普段の生活で着るような少しカジュアルで、スカートのボリュームもレースなどの装飾も控えめだ。
「猫さん?」
「…あ、ああ、すまない。君があまりにも普通に話しかけてくるものだから、少し驚いてしまって。君は…」
「猫さん、もしかして何か悪さをしに来たのかしら」
「は…」
「だったらこの屋敷ではなく、中央の白い本邸に行くといいわ。ここには…壊れた家具と汚れた女しかいないから」
ミカエルは頭を抱えて、しゃべり続ける少女に待ったをかけた。
「違う、そういうことではなくて」
「じゃあ何をしにきたのかしら」
「まず、君は何者なんだ。私が問うべき質問ではないが、君の態度は余りにも、普通じゃない」
「普通じゃない?」
「少なくとも、そういった美しいドレスを着たレディは、突然現れた侵入者に対して、悲鳴を上げるとか、泣き叫ぶとか、護衛を呼ぶとかするはずだ」
そう捲し立てるようにミカエルが言うと、少女はコテンと首をかしげて、そう、呟いた。その時に首のあたりに血の跡が見えて、ミカエルは思わず距離をほんのわずかだけ詰めた。
「君、また怪我をしているのか。この前ほどではないが、首から血が出ている。痛くないのか」
「痛いわ」
「なら何故治療しない?」
「治療しても意味がないからよ」
どういう意味だと問うたが、少女はそれには答えなかった。
ふと、ミカエルは先ほどから感じていた違和感に気づく。少女の口調だ。姿は12、13歳ほどに見えるのに、もう社交界デビューを迎えた成人の女性のようなしゃべり方をする。
ミカエルは何の予告もなしに、少女に向けて右手をかざした。
「!」
フッとかざした手を左から右へ振ると、少女の体は瞬く間に光に包まれた。さすがに若干慌てた様子を見せる少女に向かって、ミカエルは微笑みを返した。
「安心しなさい。治癒魔法だ」
少女はその青いアネモネのような瞳を大きく見開いた。確かに、首の傷が、痛みではなくあたたかな温もりに変わっていた。首だけではない、彼女の全身に刻まれた傷跡に、その温もりは光の線と一緒に体をめぐっていく。
一通り治癒が完了したのか、少女の体を包んでいた光は溶けるように消えていった。
「…ありがとう。何だか、久しぶりに体が痛くなくなったわ。あなた、良い猫さんなのね。ねえ、お名前を教えてくださらない?私はルネ。このネイティア家の一人娘よ」
ミカエルは間をおいて、目を瞠る
「…君、本当にこの家の人間だったのか」
ええ、とルネは初めてミカエルに笑いかけた。それはまるで、散る定めを知りながらも懸命に空に向かって咲く1輪の花のように、やはりどこか儚さを持った微笑みだった。
少女と同じ名の花があったはずだ、とミカエルはぼんやりと思い出す。
一度だけ、花屋で見かけたことがあった。白い花びらで、中心に向かうにつれて青みが深くなっていく、ユリに似た形の花。この世界では、ルネの花は幸せの象徴とされていた。その為非常に人気の花だが、この花の特徴はそれらだけではない。人の手で育てるのが難しく、さらにかなり珍しい特徴として、魔法で延命もできないことから、その市場価値は並の平民が1年間真面目に働いた給料の半分を出して、やっと1輪買えるくらいだ。
さらに、ルネの花には1つの逸話があった。
「月明かりの下に咲くルネの花を摘み、日が昇ると同時に想い人にその花を渡すと、その二人は
ミカエルはその逸話を、目の前で微笑むルネを見つめながら口にしていた。
それを聞いたルネは、一層その笑みを深くして、だがその瞳に悲しみも交えながら頷いた。
「そう、その花と同じ」
今のミカエルが彼女の悲しみを知る由もないが、ミカエルは自分でも驚くほどのスピードで、彼女に心を許してしまっていた。
一歩、片足を引いて、ミカエルは恭しく頭を垂れた。そして目の前に佇む、この国の最高位に等しい令嬢に向けて、
「初めまして、麗しき花のレディ。私はミカエル。姓は持ち合わせておりません。とある任務のためこちらに忍び込ませていただきました、しがない魔法使いの三毛猫です」
と、猫らしいにやけ顔で言ったのだった。
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