第2話
ミカエルに与えられた仕事は、とある公爵家と隣国との密輸の証拠を集める、というものだった。しかしこれにはかなりの危険が伴っていることを、ミカエルも理解していた。理解した上で密命書にサインをしたのだ。
理由は簡単だ。ミカエルのようにSSS級の魔法使いに与えられる任務、それも報酬が破格で、さらに密命となれば、それなりにリスクが伴うものだろう。それこそ命をかける覚悟で挑まなければ完遂出来ないものも少なくない。それに比べれば今回の密命は安いものだ。国滅亡レベルの魔物を倒す訳でもなく、敵国の王の首を取る訳でもなく、戦争の最前線に駆り出される訳でもない。とある証拠品を密かに集め、上に報告する、ただそれだけだ。さらに期間も1年と比較的長い。それでこの報酬。人が一生遊んで暮らしても余るくらいだ。
ミカエルは金にはあまり興味はなかったが、あるに越したことはない。そろそろ着ている服も新しくしたいと思っていたところだったし、何より武器だ。ミカエルの魔法道具はそろそろ修理時だと思われた。
「サインをする前に、魔法道具を修理すべきだったかな」
寝床に入りながら、ミカエルは僅かに後悔する。だが、もう遅い。
「明日、早速フィサリスを訪ねよう。言い値で頼めば優先的に修理してくれるだろう」
時刻はもうすぐ日をまたごうとしている。ミカエルは背中を丸めて眠りについた。その姿は、最早その辺りにいる普通の獣と変わりなかった。
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翌朝、ミカエルは魔法道具の修理を請け負う店、「魔法道具の病院」に来ていた。
ここの店主とはもう5年程の付き合いになる。ミカエルが初級のD級魔法使いの頃から、魔法道具を修理し続けてくれている。その為か、店のドアを開けたミカエルの顔を見た瞬間、店主はぱっと顔色を明るくさせた。だが、その瞳には純粋な喜びではない、なにか濁った輝きが見てとれた。
「ミカエル!よく来たな!」
店主の男は作業していた手を止めると、ガタガタと煩く物音を鳴らして立ち上がり、散らかり気味の店内にミカエルを誘う。この店の店主は細かいことを気にしない質のか、今さっきまで店主が作業していた机から、何か物が落ちて転がる音がした。
「ああ、久しぶりだな。すまないが、少し急ぎで頼みたいことが…」
「ああ!ああ、引き受けるとも!友人の頼みは聞いてやらねばな!!……で、今回は?」
店主はミカエルと同じ男であったが、体はミカエルより縦も横も倍は大きく、力があり、よく喋り、何より金に目が無かった。
「…言い値で頼む」
店主は鬼灯の如く筋肉が盛り上がる片腕を天に突き上げて、
「任せろ!!」
と耳をつんざくような声で言った。
「フィサリス、少しはその態度を改めたらどうだ。会う度に君は、その現金な態度を隠す様子がなくなっているような気がするんだが」
フィサリスと呼ばれた男は、ミカエルの前で筋肉が盛り上がった胸をさらに大きく膨らませてふんぞり返って言った。
「隠す必要がないからな。お前だって、俺がこんなだからここに来ているんだろう。こんな街の隅の修理屋でなくとも、中心街に行けばもっと強くて丈夫な魔法道具が売っていて、お前はそれを買い占めるだけの金を持ってるってのによ」
「私はこの道具以外を使うつもりは無い。もう手に馴染んで、これ以外では上手く戦えないんだ」
そういって、ミカエルは自分の顔ほどの大きさの麻袋をひとつ、フィサリスに手渡した。
「それに、お前の腕は中心街の職人よりも上だと私は思っている。これからもよろしく頼むよ、フィサリス」
「な、なんだよ急に。まあ悪い気はしないがな」
フィサリスが態度を一変して気まずそうに頭をかく仕草に、ミカエルのペリドットの両眼が三日月型に緩んだ。
「では私は行くよ。しつこくて悪いが、修理、なるべく早めに頼む。終わったらいつも通りに」
「もう行くのか?仕事かよ?」
その問いかけに、ミカエルは一瞬足を止めて、振り返らずにフードを被り直す。フィサリスからは、ミカエルの去り際の表情はフードに隠れて見えなかった。
「あいつ、また面倒な仕事押し付けられたな」
フィサリスはミカエルを不憫に思いながらも、自分の役目はしっかりと自覚していた。
「さて、と。可哀想な友のためにも高速で修理してやっか。言い値だしな!!」
口笛を吹くフィサリスは慣れた手つきで、ミカエルから受け取った麻袋から中に入っている魔法道具を取り出して、作業に取り掛かった。
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一方のミカエルは、早速今回の仕事場に向かい始めていた。自分の武器は修理に出してしまったが、問題は無い。
(今日はとりあえず様子見程度に済ますか)
向かうはネイティア公爵家。この国の3つある公爵家ひとつ。初代国王の魔法使いの弟子が与えられた、地位と権力を持ってからというもの、今日までそれを絶やすことなく継いできた大貴族。まさにイリス国、国王の片腕の住処だ。
調査するのは、王都にあるネイティア家の屋敷だ。彼らの領地へ向かう必要はミカエルには今のところない。彼らの王都にある屋敷は、フィサリスの店から1時間ほど馬車に乗った先にあった。ミカエルは目立たない適当な場所で馬車を降り、通行人のふりをしながら屋敷に近づく。隙をみて手近な木の上に登って、まずは屋敷を俯瞰した。
さすがは王の片腕といったところか、屋敷というにはあまりにも広すぎるその敷地に、ミカエルは珍しく驚愕の声をこぼす。
「でかいな。まるで城じゃないか。ご丁寧に結界まで張ってある。中の人間が許可した奴しか入れないということか」
敷地内をざっと一通り見渡した後、ミカエルは入り口の門からゆっくりと細かな建物の配置を確認しに入った。
まず豪華な門の前に甲冑姿の門番が2人、そこからまっすぐしばらくは美しい花の咲く道があり、その先には瓶を持った女の人魚の噴水、そこを囲むように石畳の馬車道が引かれている。屋敷はミカエルが確認できる限りでは3邸ある。噴水の後ろに白い壁が目を引く一番大きな屋敷、その少し右後ろに青い壁の屋敷。その反対側には茶色い屋根が特徴的な塔が見える。
(庭は白い屋敷の後ろにもありそうだな。だが、やはり忍び込むには裏から入る方が安全か)
ミカエルが街路樹を伝って敷地の外をぐるりと回る。ちょうど裏口らしき場所が目に入った時、ミカエルのペリドットの瞳は別のものも捉えていた。
(なんだ、あれは)
綺麗に手入れされた敷地にはおよそ似合わない汚れて薄黒くなった布切れが落ちている。その一瞬でミカエルの興味は完全にそのボロボロの布切れに持っていかれた。何か、違和感があった。ただの布切れにしては、有機質的、というべきか。
そうしてミカエルが数分ほどその布切れを凝視しながら観察していると、それが、わずかに動き出した。
「!」
風に吹かれてというわけでも、誰かの手に触れたわけでもない。勝手に動いたのだ。
やがてその布切れは、むくりと起き上がった。
「人間…?」
驚いたミカエルの声は思ったよりも大きかったようで、その布切れ、もとい人間の耳に届いてしまった。
ミカエルが危険を察知して去るよりも早く、その人間とミカエルの目はお互いをはっきりと認識してしまった。
人間は、幼い少女のように見えた。それも普通の人間にしては珍しい、白い髪に青い目をした、小さな花のような儚さをまとう、全身に痛々しい傷を負った少女だった、
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