第29話 エルフちゃんとエリカの退院

 十月中旬。だいぶ涼しくなってきた。

 ついにエリカの退院日になったのだ。

 病院では原因不明とされたものの、症状は回復してきていた。リハビリで歩行訓練なども頑張ったエリカはついに退院可のハンコを勝ち取ってきた。


「おめでとう、エリカ」

「うん、ありがとうお兄ちゃん」

「おめでとうございますぅ、エリカちゃん。ララもうれしいですぅ」

「私もララお姉ちゃんにそう言ってもらえるとうれしいですっ」


 お互いにおめでとうを言う。

 もうベッドから完全に起き上がっていて、パジャマではなく外出用の普段着を着ている。

 この普段着もエリカは中学生で体も最近大きくなってきたのでララちゃんと買いに行ってきたものだ。


 いろいろ準備を一通り終わり、ついにその日を迎えたのだ。

 感激もひとしおだった。


「「「エリカちゃんおめでとう」」」


 三年以上病院でお世話になったナースのお姉さんたちとも今日でお別れだ。


「ありがとうございます」


 エリカが深々と頭を下げる。

 本当にお世話になったのだろう。感謝が姿勢からにじみ出ている。

 エリカは基本的に義理堅いというか真面目だ。

 そういうところはハルカに似ている。


 バスだと急変したりしたら困るので、こういう日はけちけちせずタクシーを呼んであった。


「退院ですか?」

「そうです」

「おめでとうございます」


 俺たちの荷物が多いからか退院だと見抜いた運転手の洞察力は相当のものだ。

 そろそろ初老かというおじいさんだけに苦労もしてきたと見える。


「うちの孫娘もずっと入院していてね」

「そうなのですか」

「原因も分らなくて……倦怠感などがひどく長時間歩けないような症状でね、別段どこも悪くないというんだ」

「へぇ」


 あれエリカに症状が似ている。

 もしや、とは思ったがさすがにすぐには言い出せない。


「あのっ、それ、私の症状とそっくりで。実はよくなる方法があるんですけど」

「そうなのかい?」


 運転手さんも疲れたような表情だったが目を一瞬開けて驚いた。


「国家機密なんですけど」

「国家機密……」

「黙っていてくれるというのなら」

「ええ、そりゃあ黙ってますよ。かわいいかわいい孫娘が元気になるなら、それくらい」

「こちらのお姉さん、実はエルフで」

「はい、エルフって何だろうねぇ」

「ファンタジーとか知りません?」

「そういうのさっぱりで」


 そうか、エルフって知られていると思ったけど、そもそも興味ない人はそれ以前に知らないんだな。

 俺は一つ考えを改める。


「ああ耳が長いのね、妖精さんだ」

「そうですそうです」


 おっと知識の一部と一致したらしい。妖精ならあながち間違いではない。


「それで嘘みたいな話なんですけど魔法が使えるんです」

「魔法。そりゃ見てみたいねぇ」

「これでどうでしょうですぅ」


 ララちゃんは指先に火をともす。


「ちょっとお客さん、タクシーの中は火気厳禁で。でもすごいねそれ」

「でしょう」


 こうして話はとんとん拍子で進み、後日お孫さんの容態を見に行くことが決まった。

 電話番号などを交換してタクシー料金は要らないというので、無料で乗せてもらってしまった。


「では、またお電話で」

「はいっ」

「退院おめでとう」

「ありがとうございます」


 さて俺たちは自分たちのことをしよう。


「……ただいま」

「おかえり!!」

「おかえりなさい」


 妹が震えながら家の玄関を潜る。

 そうして俺たちが待つ上がりかまちへと一歩、進んでくる。

 俺に飛び込んでギュッと抱き着いてくる。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……」

「どうした?」

「私、家に帰ってこれた。もうずっと病院生活だと諦めてたのに」

「ああ」

「全部ララお姉ちゃんのおかげで」

「そうだな」

「お兄ちゃんにもハルカちゃんにも迷惑ばかりかけて」

「それはいいんだ。兄妹だろ」

「うわあああああああああああああああん」


 大粒の涙が両目からこれでもかとぽろぽろ零れ落ちてくる。


「ひぐ、ひぐひぐ、わあああああん、ひぐっ」


 全然泣き止まない。

 そりゃあずっと病院で我慢してきた。

 泣かないように。いくら寂しくても俺たちを引き留めないで、一人きりのベッドの上で戦ってきたのだ。辛かっただろう。


「ああ、泣いていいんだ。ここは家だからな。もう我慢しなくていい」

「ひぐっ、ひぐっひぐっ、お兄ちゃん……ありがとう」


 妹が泣きやむまでにはだいぶかかった。

 顔をぐりぐりしてくるので俺の胸は涙でべとべどだ。

 かわいい妹が退院祝いで泣いてしまうくらいなら、これくらい安いものだ。

 俺は妹の頭を撫で続けた。


 ララちゃんも後ろでめそめそしている。

 魔力障害で死んでしまうというのはララちゃんの言だけに、その重みを知っているのも彼女だけだ。

 俺たちはちょっと調子が悪いのが重いだけだと思い込んでいた。

 そのうち治る。大人になればきっと、と思っていた。

 楽観視しないと不安な将来のことなんて考えられなかったから。


 でもそれは不治の病で、十八歳くらいまでに魔力の流れを正常にコントロールできるようにならないと死んでしまうらしいのだ。

 日本でも突然死とか不明死というのはある。ただそういうのは原因が分からないので、重要視されてこなかったのだ。

 ララちゃんが居なかったら……。


「退院おめでとう」

「ありがとう、お兄ちゃんっ、ちゅっ」


 妹からも感謝のキスをほっぺに貰ってしまった。

 真っ赤になって妹が二階に走っていく。

 俺は驚いた。あの体力がなかった妹が走って階段を上っていく姿が見られるとは思わなかった。

 こうして毎週の病院へのお見舞い通いは終わりを告げた。両親の念願がかなった瞬間でもあった。

 通院はこれからもすることになっているが、二週間に一回でいいそうだ。


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