第二十九話 舞い込む不運

 ビリアンが店に訪れてからというもの、どうも不幸なことが起こっている気がしてならない。


「スゥー……スゥー……ってキャッ!?」


 夜中。ガタンと鈍い音と共に急に揺れを感じ、そのままベッドから転げ落ちたかと思えば………。


「痛たたた……って、えぇ……ベッドの足が折れてる……」


 決して新しくはないものではあったが、壊れるほど古いものでなかった。その足が折れるなんて……しかもこのタイミングで。

 それだけじゃない。買ったばかりの靴を初めて履けば途中で雨に降られたり。

 新しく美味しいお店を見つけたかと思えば、並んでいれば自分の直前で売り切れ。

 かといって、今度は早くに向かおうとすれば……。


「げ、臨時休業……」


 などなど。

 上げだしたらキリが無い。

 これはやっぱり、同じ占いをしてしまったせいなんだろうか。






「うへぇ……」


 占い小屋だって、常に開いているわけではない。

 午前と午後で時間を分けて、その都度休憩も取るし、もちろんお昼の時間には昼食だって取る。

 だけど今日に関しては、ここのところ立て続けに起こる不幸な出来事に翻弄されて、はぁ……昼食を買いに行くのも億劫。

 この世界に出前でもあれば、すぐにでも頼んだんだけど。


「やあ、やってるかな」

「ああ、ウィル……」


 休憩の看板を出しているにも関わらず、テントへと堂々と入ってきたのはウィルだった。


「マリー、お昼は食べたかい?」

「ううん、まだ……でも今日は外に出る気がしなくて」

「それならちょうど良かった、ほら」

 

 そう言って、片手に持っていた二つの紙袋を見せつけるように軽く持ち上げる。

 どうやら、昼食を買ってきてくれたようだ。

 

「ありがとウィル。助かるわ」


 ウィルから袋を受け取る。中には、分厚い二枚のパンに野菜やハム、チーズが挟まれたサンドウィッチが入っていた。取り出して、ガブリと一口。


「ん、美味し」


 野菜のシャキシャキ感、ハムの塩気、そこにマスタードと混じったソースが絡み合い、シンプルながらも奥深い味わいが広がってくる。

 ウィルも袋から自分の分を取り出して、一口食べると心配そうに尋ねてきた。


「だいぶ疲れているみたいだな」

「ああ、うん。まあ、その……色々と……」

「忙しい、というのもありそうだが……ちょっと心配だよ。なにかあったんじゃないのか?」


 さすがに、ウィルは鋭いな。


「実は、占いでちょっと厄介なことしちゃってね……」


 私の不調の原因は、明かだ。

 占いでタブーとされる行為、それを知らずとはいえ行ってしまったから。

 ある程度期間を置けば問題ない、とされているけどその期間に具体的なものはない。概ね一ヶ月というのがよく言われる期間だ。

 問題なのは、その一ヶ月という期間。

 ビリアンを同じ相談内容で占ったのは、ちょうど一ヶ月経つか経たないか。

 結構、微妙な期間なのよね……。

 

「らしくないな」

「私だって、占いに失敗することくらいあるわよ」

「いや、そうではなく……君が占いに振り回されているのが、らしくないと思ったんだ」


 ウィルに言われるまで、気づかなかった。

 普段は占いを信じても信じなくてもいいと言っているのに、自分のこととなれば占いに翻弄されるとは、なんとも滑稽な事ね。


「そうね、ウィルの言う通りかも。ちょっと気にしすぎだったかも」

「本当に困っているなら、私はいつだって手を貸すぞ」

 

 そう言ってくれるのは心強い。

 でも、前から気になっていたのよね。


「ねえ、ウィル?」

「なんだ?」

「ウィルはどうして私にそこまでしてくれるの?」


 初めて会った時から、ずっとそう。

 この街で右も左も分からない私を路地裏で助けてくれてから、いつも助けてくれて。なにかを返せるわけでもないのに、一体なぜ。


「そう、だな……」


 珍しくウィルが考え込む。

 いつもは悩むこともなく、爽やかなまでにキッパリと告げるのに、この時ばかりは、困った様子すらあった。


「最初は、まあ騎士団員としての義務で、困っている女性を助けただけだったよ。ただ……」

「ただ……?」

「占ってくれたことが、きっかけになったのは間違いない」


 あの日、切り株亭で占ったウィルへの占い。職場環境を良くするにはどうしたらいいのか? という相談も、今では懐かしくすら思える。


「でも、たかだが占いじゃない」

「確かにそうなのかもしれないがな。でも俺にとっては、訳あってなかなか他人に相談できなかったことだった。だから――君の占いに救われた」


 救われた。

 その一言は、不思議と自分の心の奥で反芻していた。

 私がしたことはただの占いだ。根拠もなければウラもない。そんなあやふやなもの。

 でもその占いが、私のしたことが誰かの助けになった。それはやっぱり嬉しいことだった。 


「それもあって、俺は可能な限り君を助けたいと思っている」

「そ、そっか」

 

 そんな照れもせず真っ直ぐに言われちゃうと……こっちも恥ずかしいな。


「でも、この間のレックスさんのお店のようなことはよしてくれよ。あの時はよかったからいいものの、下手をすれば私どころか騎士団の名誉にも関わってしまうのだから」

「あはは、ゴメンね~」


 こうしてウィルと話していると、気が休まる。

 不運だって、吹き飛ばしてくれる、そうな気さえしてくる。

 うん、そうだよきっと大丈夫だ!


「邪魔をするぞ」


 その時、再び天幕の入り口から声が響き渡った。

 ウィルの時と同じく、聞き馴染みのある声である。

 でもその声の主は、決して好ましい相手ではなかった。


「ビ、ビリアン……」


 元婚約者のビリアンだ。つい先日、あれだけの悪態をついたのに、再び小綺麗な顔で醜悪な笑顔を振りまき現れた。


「今、占いは休憩時間で……」

「占いに用はない。用があるのは君だ……おっと、騎士団の方もいらっしゃいましたか。これはこれは」


 ビリアンが恭しく頭を下げる。

 ウィルは無言のまま、挨拶を返すことなく静かに立ち上がる。


「……席を外そうか?」

「え、と……」

「いやいてくださって結構。その方が都合がいい」


 都合がいい?

 一体、どういうことなの? 


「それで……一体何の用?」

「そう邪険にしないでくれたまえ」


 ビリアン、なんだかいつもの雰囲気と違っている。

 いや、これが社交界などでのビリアンの顔なんだろうが、婚約破棄を言い渡されてからこっち、私にこんな穏やかな様子を見せたことなど一度も無い。

 なんなんだ、この落ち着きは。

 先日のようにローブで身を隠し、ビクビクと怯える様子もなく堂々としていて……不気味にすら感じるほどだ。


「実は……謝りに来たんだ」


 は……?

 今、なんと言った?

 謝り、謝りに来たですって?


「あ、謝りにって……一体なにを」

「もちろん、君に婚約破棄を言い渡したことだ」


 なにを言い出すかと思えば、婚約破棄の謝罪?

 いまさら、なんで……。

 ううん、それだけじゃない。


「マリー、君は……!?」


 ウィルが目を見開いて驚いている。

 ビリアンの突然の告白によって、私の過去がウィルに知られてしまった。

 私の困惑も知らず、ビリアンは話を続ける。


「婚約した君はいずれ嫁ぐためにと、わざわざ我がヴェールヌイ家にやってきてくれた……そんな君に、私はなんと酷いことを言ってしまったのか」

「…………」

「本当に、すまなかったと思っている。騎士団の方の前で私は正式に謝罪する、この通りだ……」


 私は、なにを見させられているのだろうか。

 あのビリアンが、最も貴族らしい貴族で、外面だけだったビリアンが、今、私へと深々と頭を下げている。


「なんで、急に……そんなこと」


 正直、頭が追いついていなかった。

 なぜ今になって急に謝罪してきたことも、ウィルにもそのことを知られてしまったことも。いくつもの疑問で頭がパンクしそうだった。

 

「私は君に確かに婚約破棄を言い渡した、だが……実は正式に婚約が破棄されたわけではないのだ」

 

 婚約が破棄されていない?

 確かに、私も一方的に言い渡されて、特に婚約破棄の書面を交わしたりとかはしていないけど。でも、だからって――


「恥ずかしい話……私が一方的に告げただけで、書面状はなにもかわっていないんだ」

「え……」

「だから、私と君の関係は正式には今でも」

「待って。待ってビリアン!」


 婚約が正式に破棄されていないことも驚きだけど

 でもそれ以上に、彼が今まさに話そうとしている事の方が衝撃だ。

 まさか、まさか彼は―― 


「復縁しよう……って言いたいの?」


 正式に婚約破棄がなされていない。

 だからここにきてもう一度やりなおそう、と?

 い、いやいや……おかしいでしょ。さすがにそれはないわ。

 大勢の貴族達の前で私を一方的に婚約破棄を言い渡して、この街に来たかと思えば、通りの真ん中で地べたに這いつくばらせようとする。

 その上、私の占いまで馬鹿にして。

 そんな相手ともう一度やり直そう?

 無理、出来るわけがない!?

 一体、なにを考えているのよ……。


「フ、フフ……フフフフフッ……」


 不気味な笑いだった。

 あらゆるものを嘲笑うような、醜悪な笑い声。それがビリアンの口から漏れてくる。

 

「君と復縁……? 馬鹿を言うな。そんなわけないだろ!」

 

 恭しく下げていた顔を、勢いよく上げたビリアンがこれ見よがしに醜悪な笑顔を振りまき、笑い続ける。

 まさかとは思っていたけれど、どうやら復縁が目的ではないらしい。

 では、一体なにが目的なの?


「私と君の婚約関係はいまだ続いている。それがどういうことか分かるか?」

「……?」

「君は婚約に際し、我がヴェールヌイ家へと入った。婚約関係が解除されていないと言うことはつまり、君はまだ我がヴェールヌイ家の一員なのだよ!」


 確かに婚約に際し、私はアリアンロッド家を離れ、ヴェールヌイ家へと入ることとなった。婚約が解消されていないのなら、一員のままというのは理解できるけど、でも、それがなんなの?


「分からないか? 分からないのなら教えてやろう」

 

 まるで勝利でも確信したかのように、ビリアンは嬉々としたまま、お店の中をグルリと見渡す。


「君の占い小屋は、随分と盛況なようだな」

「?」

「街の女性達に持て囃され、ずいぶんと稼ぎを出しているだろう。なんともまあ羨ましい、いや――喜ばしいことだ」


 占い小屋が流行ることが、喜ばしい?

 どうしてビリアンが喜……ッ!?


「ようやく気づいたようだな」


 まるで悪魔のように、ビリアンの口がつり上がる。


「そうだ、君が我がヴェールヌイ家の一員ならば……この占い小屋の権利は我がヴェールヌイ家、つまり私にもあるということだ!!」


 占い小屋の利権がヴェールヌイ家に、ビリアンにもある……!?

 ど、どういうことよ……。


「そっ、そんな……言いがかりよ!」

「ほう?」

「だってそうでしょ。私は貴方に一方的に追放されて……こうして一人でやってきたのにそれを」

「だが君がヴェールヌイ家の一員であることに変わりはない」

「でも」

「私にはこう言っているように聞こえるぞ?『ヴェールヌイ家の一員であることを隠し、家へと収めるべき金を納めず、自分の懐に隠していた』と」

「なっ」

「それは……いわゆる横領というものではないのか?」


 婚約が正式になされておらず、私がいまだヴェールヌイ家の一員だとするのなら、私がしていた占い小屋の利益は、ヴェールヌイ家に収める義務がある。

 それを怠っていたということは……罪に問われるのは私の方だ。


「どう思われますかな、騎士殿」

「それは……」


 ウィルが言葉を濁している。

 でもウィルも分かっているはずだ、これが法的には十分説得力があるということを。


「失礼、騎士団の方もこんな場で問われても、簡単に返答はできませんな……しかし困るなぁ、こんなことをされては。これでは形の上での婚約者とはいえ、さすがに私も訴えなければならないぞ」

「…………ッ」

「が、さすがの私も鬼ではない。その横領分は大目に見てやろう。その代わり……」

「?」

「この占い小屋の権利を渡してもらおうか」


 そうか。

 これが狙いだったのか。


「君をいびって小銭をせびるなど貴族らしからぬ事などしたくはないのでな。ああ、もちろん君が働いてくれて構わないよ。利益は、全てッ、頂くがなッッッ!」


 ビリアンは、最初から占い小屋を奪い取るつもりだったんだ。

 この街で事業を失敗したヴェールヌイ家は今、資金的にかなり追い詰められている。そこで私の占い小屋を手に入れ手借金の返済等に当てるつもりなんだ。断れば横領で訴えられ、頷いても私は一生、彼の元で奴隷のように働かされる。

 完全に、追い込まれてしまった。


「フフ、君の占いのとおりだったよ。近々いいことが起こり、新たなチャンスが生まれる、と。まさにその通りだったな! ハッハッハッハ!」


 ビリアンの笑い声が、テントの中に木霊する。

 私はただ、それを黙って見ていることしか出来なかった。

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