第九話 したくもない再会

 占いの後、団長さんの様子が変わったかとえば……まあ、そんなことはなかった。帰る間際まで、占いを信じていないというスタンスは貫いていたし。

 でも、お店を去る間際――


「…………ありがとう」


 小さな声でお礼は言ってくれた。

 もしかしたらあれは形式的なものだったのかもしれない。でも、それでもなにかしらの変化があったのだと思う。

 そうして、数日が経った――






「はぁぁぁぁぁぁ……」


 大通り、今日もどこもかしこも活気ある景気のいい声が聞こえてくる。

 そんななか、私はと言えば――


「またダメだった……」


 肩を落としてトボトボと、歩く姿はなんと惨めなことか。

 あれからずっと仕事を探しているのだが、一向に決まらない。

 もちろん、えり好みなんてしている余裕なんてない。それはもう色々とまわりましたとも。

 通りに並んでいるお店の端から端を練り歩き、大通りに面する有名な大きなお店から、路地にひっそりと構える個人経営の小さなお店まで。

 飲食、服飾、事務に果ては倉庫街の荷物整理まで。

 でも街中を駆け巡ってもどこもダメ。

 なんで? なんでこんなに仕事が決まらないの?


「こんなに仕事って見つからないものだったっけ……?」


 いくら素性のハッキリしない娘だからって、一つくらい仕事があってもいいでしょうよ。


「はぁ……」


 お財布の方も、随分と軽くなってきたものだ。

 いい加減仕事を決めないと、生活も危い。

 これはもう、覚悟を決めなきゃならないのか……。

 歓楽街の夜のお店、娼館で働くという、その覚悟。


「…………はぁ」


 ため息ばっかりついてても仕方ない。

 とりあえず切り株亭にでも行こう。

 この街で数少ない知り合いが居る場所だ。仕事をくれるとまでは行かなくても、なにかしら求人の情報を取り寄せてくれるかもしれないし――

 

「キャッ!?」

 

 っと、痛たた……

 誰かとぶつかった!? 尻餅をついちゃったよ。

 考え事しながら道を歩くものじゃないな。


「ご、ごめんなさい、考え事してて」 

「なっ、なぜキサマここに!?」


 なんだろう……。

 なんだか聞き馴染みのある声のような。


「まさか……こんな所に居るとはな……」

「え……ビ、ビリアン!?」


 聞き馴染みどころの話じゃない。

 私を見下ろしていたのは、一見すれば僅かに揺れる金髪と、切れ長の顔が女性に好かれそうないかにもな二枚目。ぴしりと決めた服がくらいの高さを物語るその人。

 忘れもしない元婚約者、ビリアンだ。


「ビリアン、どうしてここに!?」

「それはこっちの台詞だ。新しい事業の展開にこの街に来たら、まさか婚約破棄を言い渡した相手がいるなどと……ッ!」


 最悪だ。

 追放された先で、まさかその追放してきた元婚約者と鉢合わせになるなんて……。 


「もしやマリー様、ですか……?」


 と、ビリアンの後ろにまるで隠れるように誰かいる……。

 金色の髪にウェーブがかかり、丸い目元と童顔で、お肌も真っ白な清楚なお嬢さん。そんないかにもなご令嬢だ。


「申し訳ありません、まさかあんなことになるなんて……」


 あんなこと? それってどのこと?

 というか、この子に見覚えがない。社交界とかで一度顔を合わせた人なら忘れることなんてなかったけど……。

 あれ、待てよ。

 私に婚約破棄を言い渡したビリアンと一緒にいて、最近彼には新たに婚約の話が持ち上がっているとかなんとか。

 もしかして……この人が噂の新たな婚約相手!?


「本当に、本当に申し訳ありません!」


 さっきからずっと頭を下げっぱなしの彼女。その理由はきっと婚約破棄のことだろう。

 この様子だと、彼女も事情を知らなかったのかもしれない。

 なんか箱入り娘っぽいし、ありそうな感じがする。


「……大丈夫。私は気にしてないから」


 むしろもう関わりたくないくらい。


「ですが……」

「エレオノール、君は本当に優しい娘だ。こんな奴に情けをかけるなんて」

「ビリアン様……」

「いかがわしい占いなんぞで恥をかかせたてくれた女に、私はかける言葉も思いつかないよ」


 このエレオノールって娘が知らなそうなことをいいことに、ビリアンってば言いたい放題ね。婚約パーティーの時だって、最初に占いをして欲しいって言ってきたのはそっちでしょ。

 全く……こんなのに付き合ってたってろくなことない。 


「あー……それで要件なんてないでしょ。だったらもういいでしょうか?」

「いいわけあるか!」


 ビリアンが声を荒らげる。


「フン、お前がぶつかってきたせいで、また公衆の面前で恥をかかされたではないか」


 偉そうになにを言ってるんだか。

 歩きながら考え事をしていたのは私も悪いけど、人の注目を集めてるのはアナタが大声で騒いでいるからじゃない。


「どうした、謝罪の一つもないのか?」


「……っ」


 どうして……どうして、こうなる。

 せっかく、新しい生活を始めようとしているのに。

 こんな人間に頭を下げる必要なんてない。そんなことは分かってる。

 でもここで言い争ったところで、それで何になる? むしろ下手に刃向かってこれ以上の騒ぎになる方が厄介だ。

 なにせ向こうは貴族、こっちは追放されて元令嬢と言えどただの小娘だ。話が大きくなればなるほど、こちらが不利になる。

 頭を下げよう。それが賢い生き方だ。


「貴様のようないかがわしい女、地面に這いつくばって、頭を垂れるべきだろう」

「ビリアン様、いくらなんでもそれは……」

 

 私は負けたわけじゃない、まして彼に屈したわけでも。

 ただこの場をやり過ごすために、膝をつこうとしているだけ。

 頭上でこちらを見下ろしながら、ビリアンが気持ち悪くニタニタ笑っている。目を合わせることすら不快感を覚える彼に目を合わせなくてすむと思えば、いいことじゃないか。

 そうよ。これでいいのよ。こうやってやり過ごせば、それで。


「…………」

 

 でも……。

 地面が異様に冷たく感じる。見上げる空がとても高く見えてしまう。

 胸の奥から、それが溢れてきてしまう。

 たった一つの、この感情。

 悔しいという、その思いが……!


「これはなんの騒ぎだ?」


 膝をつこうとしたその直前、私達を囲む人垣の中から一際通る声が聞こえてきた。

 人々もそうするのが当然のように彼の前に道を作る。まるでヒーローの登場だった。

 でも彼らが道を空けたのは、そこに現れたのがヒーローだからではない。騎士団の人間が現れたからだ。


「ウィ、ウィル……!?」

「ん? マリー。一体なにを」

「おお、騎士団の方ですか。いやー助かりました」


 ビリアンがまるで助けを請うかのように、ウィルへと駆け寄った。


「貴方は?」

「私はヴェールヌイ男爵家のビリアンと申します」

「おや、ヴェールヌイ家の御方でしたか、これは失礼を。私、フランベル騎士団第一連隊副隊長のウィルと申します」


 ウィルが、深々と一礼する。

 今まで見たどんな貴族の人よりも、綺麗で丁寧なお辞儀だった。


「それで、一体なにが?」

「いえね、そこの卑しい娘が私にぶつかってきて、危うく怪我をさせられるところでしてね」

「ほう……」

「それなのに謝罪の一つもない。まったく困ったものですよ」

 

 薄ら笑いをかべながらビリアンが見下ろしてくる。

 よくもまあこんなに「自分は悪くありません」と言えたものだ。


「そういうことでしたか……」


 今度はウィルが、私へと目線を向ける。

 恭しいその態度が、改めて思い起こさせる。

 騎士団の一員である彼もまた、貴族側の人なのだ。

 普段であればそれはさほど気にもしなかっただろう。彼の立場を思わせない優しさが快く思うことだってあった。

 でも、ことこの場において、その立場ほど恨むものはない。

 彼が貴族ならば、彼が味方するのもまた、貴族なのだから――


「む、君、腕を怪我をしているではないか?」

「え?」


 ウィルの突然の指摘に思わず驚く。

 改めて腕に目を向けてみたら、確かに肘の辺りが少し血で滲んでいた。恐らくぶつかって転んだ時に擦りむいたのだろう。


「ああ、これくらい平――」

「これはいかん!」


 突然、ウィルが駆け寄ってきて、え!?

 突然、体が抱き抱えられて、ええ!?

 突然、いわゆるお姫様抱っこさせられてない!?


「ちょ、ウィウィル!?」

「急いで治療をしなければ、さ、騎士団の詰め所へ」

「お、おいちょっと待て!?」


 驚いたのは私だけではない。

 駆け出そうとするウィルを、困惑しているビリアンが呼び止めた。


「そ、その女が私にぶつかってきたのだぞ!?」

「ええ、聞き及んでおります」

「だったら――」


 ビリアンの問いかけに、どういうわけかウィルは不思議そうな顔をしていた。

 

「ビリアン様は先程、『危うく怪我をするところだった』と仰っていたと思いますが?」

「あ、ああ……」

「では、お怪我はないのですね?」

「そうだ。だから」

「それは良かった!」


 と、大げさなまでに安堵の声を上げるウィル。


「であれば、私は怪我人の救助をするのが、騎士としての務めでございます」


 目を丸くして驚くビリアン。

 だがすぐに正気に戻り、ウィルに問いただす。


「き、騎士の務めだと!? そんなことより、他にやることがあるだろう?」

「他にやること? これはただの不幸な事故でしょう?」


 しかしウィルは、やはり当然のように答えを返す。


「私はその場をこの目で見たわけではございません。しかし状況は男爵にお怪我はなく、相手の女性は怪我をしている。もしこれが不幸な事故でないならば――」

「?」

「傷害を起こしたのはビリアン様ということになりますが?」

「なっ!?」


 た、たしかに状況だけを見ればそういうことになる、よね。

 もしかして、ウィル……。


「まして男爵ともあろう御方が、このような公衆の面前で『私はかわいそうな被害者だー』などとのたまい、周囲に同情を求めるような心の狭い御方ではありますまい?」


 いつの間にか、周囲からもクスクスと笑い声が聞こえていた。

 そうだ、やっぱりそうだ。

 ウィルは、私を助けようとしてくれている。

 

「ぐ、ぬぬぬ……っ!」

「怪我人の安否を気遣い、余計な調査や手間を省いて頂ける男爵の心遣い、騎士団の一員として心より感謝致します」


 それでは。そう言い残し、ウィルはクルリと反転、私を抱いたまま走り出す。

 取り残されたビリアンは、地団駄を踏みそうなくらい、真っ赤な顔で悔しそうにしているのが少しだけ見えた。

 でも、私も同じだ。抱き抱えられ大通りを運ばれ、顔が爆発しそうなくらい真っ赤になっていただろう。

 それでも――

 少しだけ勇気を出して、ウィルの顔を見上げてみる。

 目が合った。

 そして――子供みたいに意地悪そうに笑っていた。

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