冷酷な王弟殿下のふたりの花嫁。~なんでも一緒を望む妹が、私と同じ相手に嫁ぐと言ったので、こうなりました~

みこと。

本編

冷酷な王弟殿下のふたりの花嫁。

「私もおねえさまと一緒に、ハーリッド大公のもとに嫁ぐわ!」


 双子の妹、リサの発言に驚いて、私はあやうく手に持つフォークを落としそうになった。


「で、でもねぇリサ。この縁談はリリアに来たもので……」


 お料理の向こう側から、お母様が言う。


「うちの国は、一夫多妻が許されてるでしょう? 大公殿下ともなれば、妻のひとりやふたり気にされないと思う。おねえさまと離れるなんて、イヤ。私も大公妃になる! ライオネル様にそうお願いして!」


 困ったように、両親が顔を見合わせる。


 朝食の席が、いっきに家族会議の場となってしまった。

 

 大公殿下ライオネル・ハーリッド様からのお話が来たのは、まったくの奇縁だった。

 現国王の末弟にあたられるライオネル様は、類まれな美貌の持ち主でありながら、人間嫌いの傾向にあり、滅多に王都に出向かれない。いつもは領地に引きこもっておられる。


 御年二十五歳。私の八つ上。

 実はこれまでに何度かご成婚されているにも関わらず、次々に奥方に先立たれるという不運に見舞われ、現在は独り身。


 あまりに謎めく私生活と、魔性すら思わせる冴え冴えとした美しさから「妻を殺して、その血をすすっているのでは」と、そんな恐ろしい憶測まである。

 吟遊詩人がモデルを伏せて、冷酷な"血濡れの大公"という歌を作ったとも聞く。

 その不敬な吟遊詩人がどうなったのか。誰もわからないことから、噂がさらに噂を呼んだ。


 そんなライオネル様と私は偶然、王城で出会った。

 出仕した父への用向きがあり、私が登城した日。

 その日はちょうど、ライオネル様が陛下とお約束されていた日だったらしい。

 

 回廊ですれ違っただけだった。


 一目見て噂の王弟殿下だとわかるほど、人間離れした神々しい容姿。

 つい見惚れてしまった私を、ライオネル様が目に止め、近くの誰かに何かをお尋ねになった。


 それだけの関わりだったのに。


 我が家に、すぐに使者が来た。

 伯爵家長女リリア・ウェルネスを妻に迎えたい、と。


 後妻になってしまうものの大公家との家格差。我が家からは断りにくい。

 私の病弱を理由に辞退するか……。

 逡巡している間に強く押され、整ってしまった縁談だった。


 本決まりになり、三か月後にはいよいよ輿入れという土壇場になって、妹のこの要望。


 持参金は? ウェディング・ドレスは?

 そのどれもが急には無理なものでしかなく。


 妹の一時のワガママとして流れるだろうと思っていたのに、両親と大公家の話し合いから、そのまま。

 何も持たずに来てくれて良いという言葉で、リサは私と一緒に大公家に嫁ぐことになった。ドレスは特急で仕立てくれるらしい。


 ……びっくり……!



 ◇



「おねえさま、見て見て! このドレス、すごく似合うでしょう?」


 リサが弧を描いて回るたび、豪華なレースがふわりと広がる。

 彼女は満面の笑みだ。


「そんなに大公妃になるのが嬉しいの?」

「まさか! 大公妃なんてどうでもいいわ! おねえさまとお揃いのドレスで、おねえさまと一緒に行けるのが嬉しいの!!」


 豊かな金髪が光を弾いて波打ち、すみれ色の瞳が愛嬌たっぷりに細められる。

 薔薇色の頬は、私にはない肌の明るさ。


 リサは昔から、とても健康だ。

 

 私はずっと病弱だった。ベッドの外に出ているより、熱を出して寝込んでいる日々の方が多かった。


 私とリサの姿は、こんなにもそっくりなのに。

 彼女は元気に庭を走り、私だけ、ベッドの中。


 寂しかった。


 でも、そんな私に、リサはいつもいろんなお土産を持ち込んでくれた。

 かわいいお花、様々な葉っぱ、繊細な翅の蝶、たまにカエル。


 リサの話はいつも興味深く、私も彼女と共にお日様の下で駆けまわっているような、そんな錯覚を何度も覚えた。


 リサが私に触れると、じんわりとあたたかく、その熱で私は"生きている"ことを感じていた。


 リサは私のことが好き。私もリサのことが好き。


 それは強い確信で、揺ぎ無い事実だった。


 私と同じ服、私と同じアクセサリー。

 リサはなんでもお揃いにしたがった。


 でもまさか、同じ人のところへお嫁入りしたがるなんて、思ってもみなかった。


 そして今、そんな彼女が血を流して私のすぐ横で倒れているなんて。


 私の大切なリサが。


 可愛い妹が死んだ・・・なんて。


 信じたくない。軽やかなリサの声は、まだ耳に残っているのに。


 いつの間にか出来ていた血の海に、細い金の髪が沈んで赤く染まる。



 これは夢だと、悪い夢だと……。




「震えているな。私が怖いか」




 にやりと、ライオネル様の口のが上がる。


(ああ──!!)


 噂は真実ほんとうだった。


 ライオネル様の妻殺し。


 それは彼の嗜好で、私はいま彼の城の地下で、頼る者もおらず冷たい石壁を背にしていた。


 嫁いだ時、城の空気がおかしいとは思っていた。

 召使たちはろくに目も合わさず、ぴりぴりと緊張し続けている様子で。

 重苦しく息を詰めながら、私に夜の装いを用意した。


 肌に添う、白い絹地の薄い寝間着ネグリジェ

 胸元の紐は心もとないほどに細く、リサが横にいなければ、不安で倒れていたかもしれない。


 私と一緒に地下に連れ込まれたリサは、先に彼の凶刃やいばでこと切れた。


 ライオネル様の整い過ぎた容姿が、死神の面のように映る。

 形の良い青い目は硬質の光を宿し、ただ玩具おもちゃを見るように私を眺め、手にした剣を振りあげた。


 キュッと目を瞑る。


(リサ──!!)


 私が心で叫んだのと、太い悲鳴が響いたのとは、同じタイミングだった。



「ぎゃあああああ!!」



(え?)


 開いた目に飛び込んできた光景を、私は一生忘れないと思う。


 黒い触手がライオネル様を縛り、その口にぐいぐいと押し入っていく。


(何?!)


 触手のもとをたどれば、それは。

 横たわったリサの手から伸びていた。


(ええええええ!!?)


 リサの亡骸が異形と化していた。

 寝間着からこぼれる手はゴムのように自在にうねり、真っ黒に伸びてライオネル様を絡みとり、押さえつけ、ついに。

 リサの身体が跳ね起きた。


 リサからライオネル様に向けられているのは、明確な殺意。


 それを全身で感じる。

 

「リ、リリリ、リサ?」


 生き返ったわけではない。

 それよりももっと深い異質な気配。

 人間を超えたナニか。


 リサはもう漆黒の塊りになっていた。

 

 黒い影となった全身で、リサはライオネル様の命を搾り取ろうと襲い掛かっている。


(窒息? 圧死?)


 そんな言葉を脳裏に巡らせながら、私は動くことも出来ずに嘘のような現実をただ見守る。



「ぐぁ……っ、あ゛……っ」



 やがてライオネル様の手が、力なく虚空に伸び、小刻みに痙攣し、そして、落ちた。


 ゴゥッ!!


 "生命いのち"が目に見えるとしたら、まさに私が見ているものがそうなのだろう。


 ライオネル様の身体から、淡く白い光が、すさまじい勢いでリサだった影・・・・・・に吸いあげられていく。

 

 それは一瞬だったかもしれないし、悠久の時間ときだったかもしれない。


 地下室は異界となって、有り得ない光景はやがてそっと、変容し始めた。


 ライオネル様の生気を奪いつくした黒い影が、その形を人間ひとのそれに変えていく。


 長い脚に、逞しい腕に。

 厚い胸板に、短い黒髪に。


「リ……リサ……、な、の?」


 リサを感じて、影に問いかける。


「ええ、そうです。おねえさま」


 ゆらりと立ち上がりながら答えるのは、低い、男の人の声。

 さっきまで聞いていたライオネル様のお声、そしてライオネル様のお姿。


「────!!」


 私は目を見開いた。

 

 まるで違う声に聞こえるほど、その声は甘く、私を慈しむ響きが込められている。

 侮蔑と愉悦しか宿してなかった眼差しが、憧憬と愛情の色を孕む。


「一体これは、どうなってるの……?」


 自分の口から絞り出した声が、弱々しく消えそうだ。


 リサの死、目前に迫った恐怖、そしてライオネル様に変わったリサ。

 私はいま、目の前で繰り広げられた事態に、ついていけていなかった。


 リサだったライオネル様が口を開く。


「私は、あなた方人間が言うところの"双つ影ドッペルゲンガー"です」


「"双つ影"?!」


 聞き返した私にリサ、いえ、は「そうです」と答え、続けた。


「この世と鏡の境に住まう幻影。命の火が消えゆく人間に、その死を知らせる役目を持った、神の影。神が地上に落とした影ゆえに、その姿はなく、人間を写して世に現れる。だから私は、あなたの前に現れた。あなたは小さな頃から、"死"のすぐ隣にたので」


「!! 待って! じゃあリサは?! 私の妹はどうなったの??」


(やっぱりライオネル様に殺されて──)


「リサは、はじめからいません・・・・・・・・・


「!!」


「あなたは双子ではなく、たったひとりで生まれてきました」


「でもリサはずっと一緒に生きて来たわ! 私と一緒に育って、私と笑いあったもの!」


「あれは、あなたの望み。外で自由に遊びたい。健康な身体で走り回りたいと願う、あなたの思いを私がかぶっただけの姿」


「……え……?」


 何を……言っているの? リサはいなかった? リサは私の願いのカタチ? 何を言っているの!!?


「私はあなたに死を告げるため。あなたの夢を写しながら、あなたに会いました」


 ライオネル様の声が、ゆっくりとその意味を私に染み込ませてくる。


 身体に力が入らない。

 崩れ落ちそうになる私を、そっとライオネル様になったリサが支える。


 リサとは比べ物にならない、大きい手。

 生気が流れ込んでくるような、そんな力強さを感じる。


(こんなに温もりを持った手が、幻影? リサだって温かかった。何度も触れて、確かに彼女は生きていたのに)


「私は……もう死ぬの?」


 目の前にいるのが"ドッペルゲンガー"なら。

 "死の影"と呼ばれる幻影なら。


 出会った人間は、近いうちに死出へ歩む。


 ずっと病気がちでベッドから出れる日がなかった幼い頃。

 十代になり、こうして外を歩けるようになって、少しずつ健康になっていけると思っていた。


 けれど"死"の予告は、こうしていまも残酷に、私の前にいる。


「それは……」


 言いにくそうにライオネル様が──"双つ影"が言葉をのむ。


「──申し訳ないのですが、死にません・・・・・


「……え?」


「本当は死ぬ定めでした。だが私はあなたが、その……とても気に入ってしまい、あちこちからほんの少しずつ生気を拝借して、あなたに注いでまして……。花や木から、上澄みをすくうように細々と」


(! それで部屋や庭の花がすぐに枯れて)


「そして今は、そこの"クズ野郎"の生気をあなたに移したので──」


 転がっている"ぐちゃぐちゃ"に、"双つ影"が目を向ける。


「え!?」


 "クズ野郎"って言った。

 ラ、ライオネル様のこと?

 確かにリサを殺し、私まで殺そうとした最低最悪人間だけど。


「たぶん、人の寿命分くらいには普通に生きれると思います」


 うん、と頷きながらライオネル様の姿をした"双つ影"が言う。


 同じ姿かたちなのに、まったく印象が違う。

 ライオネル様の長身を見上げているのに、どちらかと言えばずっと親しんできたリサの空気が強い。


 全身から私に寄せられる思いが伝わってくる。

 それはとても馴染み深く、覚えがある感覚で。

 戸惑いを感じながらも、自分がどこか安心しているのを実感していた。


 目の前にいるのは、間違いなく私が知るリサ。

 私のことが好き・・・・・・・なリサ。


 ポッ


 急に頬が赤く染まったのを感じた。




「ただ、困ったことがありまして」


 静かな声が、落胆のを帯びる。


「困ったこと?」


「私は、"双つ影"として禁忌を犯しました。人の命を奪い、あなたの命を延ばすという行為は、本来禁じられたものです」


(!!)


「そのため、"双つ影"の力が使えなくなりました……。つまり私はリサの姿に戻れず、当面・・"ただの人間"として、この"クズ野郎"の姿で過ごさなくてはいけないのです」


 心底忌々しそうに、"双つ影"が言う。

 でも、当面ということは……。


「力は戻るんでしょう?」


「ええ。ですがおそらく、数年はかかるかと」


「禁忌を犯しても数年で無効なんだ……」


 思わず、ぼそりと本音が漏れる。


 だ、だって。"双つ影"、すごくない?


「それでも数年といえば、リサがいないことは誤魔化せません。それにリリアを怯えさせた姿でいなくてはならないなんて、こんな……こんなッ……。あなたに嫌われてしまう!」


 "双つ影"が泣きそうに表情を歪めて吐露したけれど。

 それは確かにさっきまで恐怖の対象だった、ライオネル様のお顔なんだけど。


(捨てられた仔犬みたいで可愛い)


「!!」

 ふいにそう思ってしまった自分に驚いた。


「平気よ。あなたのことは怖くないわ。私は大丈夫みたい」

 

 嫌うわけがない。

 だって、姿が違っても"リサ"だもの。


 伝えた途端、ぱっ、と"双つ影"が顔を上げる。

 希望をともしたキュンとした


 あうっ。

 もともとライオネル様の造形はズバ抜けて良かった。

 中身は酷かったけど、いま、この中身は、私が子どもの頃からの味方。私の命の恩人。


(そ、そう。だから慌てることはないの)


 ドキドキと早鐘を打つように響く心音は、事件と真相を知った動揺だから。



 気持ちを落ち着けようと、私と"双つ影"は血の臭いが充満する地下室を出た。

 "ぐちゃぐちゃ"は放置されているけれど、原型を留めてなさ過ぎるので、"双つ影"は後でどうとでも出来る・・・・・・・・・・と言い切った。


 それ・・、ライオネル様のなれの果てなんですけど……。こわ……。



 階段をのぼりながら、私たちは話をする。


 王弟殿下ライオネル様のことを国王陛下にどう報告したらと悩んだ私に、リサはあっさり言った。「話したところで信じて貰えないでしょうから、そのままで良いのでは」と。


 えええ?


 さらに「こんな話を信じてくれるのは、あなたのご両親くらいですし」と付け加えた。


 ええええ?!


「お父様とお母様はご存じだったの?!」

「それは……娘が急にひとり増えたわけですから」

「────。それで、なんでもリサと一緒に動けとおっしゃってたのね」


 私のそばには常にリサがいた。どこに行くにも、嫁入り先にまでも。


「私があなたの命をつないでたのを、彼らは知ってましたからね」


 なんてこと。

 里帰りした時には、きっちり詰め寄らなくては!!


「あなたが私を遠ざけないなら、しばらく"ライオネル"で良いです」


 "双つ影"はそう言うと、嬉しそうにはにかんだ笑顔を見せた。

 

 ぐはっ! び、美形すぎるっ。

 ライオネル様の容姿で、この微笑みは反則だわ!!


 リサだった頃の話し方は面影もない。

 高貴で落ち着いた口調。ライオネル様の外向きの態度そのままだ。


 なのに、あんなに感じていた"他人"を感じない、この距離感。

 う~~っ。ど、どうしたら。なんだかとても体が熱いわ。生命いのちを注がれたせい?

 

「数年後のことは、また明日にでも考えましょう」


 火照る顔を手であおぎながら、私たちは問題を先送りにした。




 こうして。

 ライオネル様に成り代わった"双つ影"と私は、ハーリッド大公領での生活を続けることになった。

 ふたりの大公妃のうちの一人、リサが事故死したという発表は、"またも大公家の呪いか"と人心に哀しみを落としたものの。


 喪も開けた頃、人々は王弟ライオネル・ハーリッドの人柄が、すっかりあたたかく変わっていることに気づく。

 彼が、国に民に心を配る名君となったのは、花嫁、大公妃リリアの影響あってのことだろうと領民は喜びあい、大公夫妻は広く慕われることになった。


 大公妃との間に子が出来ないことだけは惜しまれたが、優れた養子を迎え、ハーリッド領は末永く栄えたと歴史は語る。


 いま、"神の影ドッペルゲンガー"がどこにいるのか。それは城の鏡たちさえも知らぬ話だ。

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