第37話 メリー・メアーの長い首 6


 世古田よこだが笑顔を浮かべている。

「吊ろうか。首」

「え? え?」

 再び縄へアゴを引っかける形になった縦親たてしたは混乱して何度も訊き返した。声は段々涙声になっていった。世古田よこだは断固として繰り返した。


「吊れよ」

「え?」

「どうせ夢の中だ。死にゃあしねえよ」

「え? 止めねえの? 止めてたじゃん」

「だから死なねえんなら問題ないだろ。いい機会じゃねえ? どの程度苦しいかやってみたらさ」

「いやいやいやいや」

「は? 嫌なのか?」

「いやいや」

「嫌だってか」

「いやいやいやいや。嫌じゃねえよ? やるっつったじゃん。やってやんよ。俺のタイミングでやってやんよ! だから離して、一瞬。一瞬だけ」

「待つからやれよ」

「わかった。でも最後にいわせてくれ。すまねえ世古田よこだ、ウチの取り立てが厳しいせいで群平おじさんが……俺はあ……ずっと責任を取りたくてぇ……あっ。そういえば小四の時ぃ」

「長い」

「待って! ごめんごめん」

「謝り慣れてんなあ。金あると詫びるだけで赦されて楽だったろうなぁ」

「そんなんいわれても俺どうしていいか分かんないってぇ」

「吊ればいいだろ。そういってんじゃん」

「ごめんビビってます。正直にいうわ。吊りません。なぜなら今ビビってるから」

「正直にそういやあいいんだよ。意地張りやがって」

「はい。済みません。では今回は中止ということで……」

 そういって縦親たてしたは自転車の上から降りようとした。


「お前そのチャリ小四の時のやつじゃねえ?」

 ぐらぐらの足場で、自然、縄にぶら下がるような姿勢になった。そこへ世古田よこだがそういった。

 急に親しげな声になっていて、だから縦親たてしたも釣られたのだろう。

「なにが? ウッソ。うわっはは。ホントだ名前書いてる。まあ夢の中――ええ!」

 気の緩んだその瞬間、足場の自転車を世古田よこだが蹴倒した。


 当然、縦親たてしたは宙づりになった。

 が、ぎりぎりのところで縄の間に指を滑りこませていた。

「ムリ……ムリ……」

 懸垂の状態で彼は踏みとどまっていた。

 輪っかは顎の先に引っかかっただけで締まるまでにはいたっていない。

 詰まった声で縦親たてしたは助けを求めた。

「ごめん、ごめん、まって――」

縦親たてしたよぉ」

 世古田よこだは笑うと、縦親たてしたの頭を平手で強くひっぱたいた。

「痛い――ッッ」

 反射的に彼は頭を庇った。

 瞬間、自由になった縄は蛇のように喉の柔らかいところへ絡みつき、もはや挽回は不可能というところまで、深く食いこんでいた。


「きゅううううう」

 ゆっくり踏み潰されるアマガエルの声。

 あるいは帯が擦れ合うような音。

 もはや悲鳴を上げられず、縦親たてしたは足で藻掻いた。

 足を振り、蹴り上げ、捻り、逆上がりのようなことまで試みて、彼は必死で生きようとしている。

 シャツのボタンが弾け、ポケットから勢いよく小銭が飛び散った。

 世古田よこだは、それをつまらなそうに拾った。


「金を裸でポケットに入れてるヤツって、何かムカつかない?」

「わかる」

 いや私は気にしないですね。などと話をしている前で縦親たてした苦しみつづけている。

 その顔が真っ赤を通り越して茄子の汁に漬かったみたいな色になり、さらに緑がかって来るのを我々は並んで見守った。

 もっと段階が進むと、隣の群平おじさんみたいに黒ずんで首も長く延びきるのだろう。

「うわ。生々しぃ~。これ〈ホール〉じゃなかったら完全にアウトだな」

 詞浪さんがいい、隣で世古田よこだは父親と幼なじみの首吊り姿を見比べている。


 口調は冷静というか、白けたような感じだった。

「以外とカラフルだろ? 首吊りって。あんときは祭りの夜だったからさ、アパートの窓から祭りの灯りとかが入りこんできて、もっと変な色に見えたな。縦親たてしたはビビって逃げ出すしよ。部屋は掃除もしてねえしよ。これから俺ひとりで、警察呼んで汚え部屋の写真とか撮られて後始末とかやらやることになるのかと思うと、ムカついてきたんだよな」


 そういうと彼は鳥居からぶら下がっている父親へ、助走をつけたキックを叩きこんだ。

 群平おじさんは上下に跳ねたあと、振り子のように揺れ、また縄が捻れてくるくる回転したりした。

 怖いというよりちょっと冗談のような風景になった。

「一人だけ楽になりやがってよ。おい……こっちにもいるな。隅っこで吊ってんじゃねえよ。片付けるヤツの身になれよな。おい、そっちにもいんな? 国旗からぶら下がってんじゃねえよ」

「大暴れだ。すげー、悪役レスラーみたい」


 世古田よこだが暴れているあいだに、縦親たてしたのだんだん黒くなっていった。

 藻掻いていた足が下がり、震える両手がバツの字をつくって、もはやいよいよというところで、彼を吊っていた縄が根元から切れた。


「ひゅううううううっ――。ええ? ええええ! 人殺しじゃん……人殺し!」

 首を掻き毟って縄を解くと、縦親たてしたはいろんなものにぶつかりながら走って逃げていった。

 何度か悲鳴が聞こえたのは群平おじさんの死体にぶつかったのだろう。

「やれやれ。こんだけ怖い思いしとけばしばらくは首吊ろうって気にならないだろ」

 逃げていく幼なじみの背中を見送りながら世古田よこだはそういった。

「もしかしてあのおっさんの自殺願望をなくすためにワザとやったのか?」

 詞浪さんはそう予想したが、世古田よこだは話を続けて「しかし縄が切れるとはなあ。これなら蹴り入れてトドメ刺しとくんだったな」という。

「やっぱり嫌いなのか?」


 世古田よこだは答えなかった。

 彼はぶらぶらぐるぐる回っている父親の方を振り返って「しかし俺は自分で思ってたより怒ってたんだなあ。びっくりしたわ」

 しみじみとそう呟いた。


 群平おじさんの振り子運動がやや治まって来たとき、また縦親たてしたの声が響いた来た。

「助けて、助けて!」

「うるせえなあ。喉だけ頑丈だな、ヘタレのくせに」

「何か近づいて来てない? 戻ってきてるよね」

 詞浪さんがいった通り、彼は走って戻ってきていた。というより逃げて来た。

 闇の中、彼の姿が見えた。その背後に黒い影が飛び交いながら追ってきていて、我々は彼がサーカステントの方か来たのだと気がついた。

 彼が引き連れて来たのは、あの檻の中にいた獣だ。

「みんなごめぇん! 助けて!」

「お前は俺に面倒をかけるマシーンかよ」と世古田よこだが叫び返した。

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