第35話 メリー・メアーの長い首 4
4
それは確かなことのように私には思えた。
〈ホール〉での悪夢はじょじょにエスカレートしていく法則があるし、その見え方には個人差が現れる。
隠す理由はわからないが、かといって報告されてもどうするわけでもなかった。私と詞浪さんは夜祭りの悪夢を楽しみに来たのだ。
ところで、その眼鏡には何か思い入れでもあるのですかと私は訊ねた。
曲がったままのフレームを直さずに使っているようだし、時々眼鏡を外すのは度も合ってないのではないか。
「おやじさんの形見だからだよなあ!」
べろべろに酔っ払っていた
一体どっちなのだろう。
「うわっ。なんだこいつ」
「イカ?」
祭り囃子に誘われたのか、海から〈ホール〉の烏賊君たちが嬰児のような鳴き声をあげながら這い上がって来ていた。
烏賊君の一匹は、烏賊君は私の足を這い上がってくると、貝殻へでも潜るように、帯の中、摩訶不思議な結び目のなかへ分け入ろうと努力し始めた。
しかしけっきょく帯迷宮は抜けられず、結び目の中に頭を突っ込んだまま、ぐったり垂れ下がってしまうのだった。捕獲。
「俺はもう驚かないよ」と
そのとき彼の眼鏡がさっと煙で曇った。
「へいらっしゃい。らっしゃい」
浴衣のソデを肩までまくりあげた
紫と薄緑色をした烏賊君の身に串を打ち、屋台のバーナーの上にセットする。それを詞浪さんは楽しそうにぐるぐる回しはじめた。
ときどき刷毛でタレを縫って、その度、じゅうじゅうと勢いよく黒煙が上がった。
煙は屋台の天井にわだかまって、やがて何ともいえない、渦巻きめいた気流を描きはじめた。
それが蛍光灯へ絡みつくと、周囲には無数の条虫に似た影が回遊しだすのだった。赤や緑の電飾の灯りも相まって彼岸の灯籠みたいだ。
そこにちょうどトイレから
「プラモデル焼いた時の味がする」
首をかしげている
ヨーヨー吊りの水風船の中には酒が詰まっていた。
金魚すくいの金魚はみんな死んでいて、林檎飴はみんな首折れ。
千本吊りの紐の先には、関節がぶらぶらの人形が結わえられていた。
地面に小銭と色とりどりのポップコーンが散らばっている。
上を向くと、お面と綿菓子の群れが吊られていた。
こうした屋台の様子も男たちの記憶や恐怖心を反映したもののはずだった。
鉄板の上で焦げ始めている焼きそばに気づいて、彼はそれを掻き回し始めた。
「もったいねえな。こういうのすげえ気になるんだよ」
「あの容器で食べたい、あの発泡スチロールのやつ! 紅ショウガをケチらず乗せろよ。輪ゴムでパアン! って留めろ」
「うるせえなあ」
酔っ払いが騒ぎ始め、
「やっぱ仲いいのか?」
そういったところへ、
「……やっぱり酔い潰して捨てていく気なのか?」
そうして遊んでいながら、やはり
○○○
我々は夜祭りがどこまで続いているのか気になった。
湾曲した海岸沿いに進んで、美術館と神社の横を通り、フェリー乗り場の広い駐車場へ辿り着くと、そこでサーカスのテントを発見した。
白いテントは闇の中にうずくまる何かのように見えた。
その辺りでは夜店も途切れて、蛍光灯の灯りもラジカセの祭り囃子もすっかり遠ざかっていた。
テントの脇に予備の足場やコンテナ、ワイヤーと古タイヤなんかが積み重ねて置いてある。
サーカス団の姿はなく、車も停まっていない。
「何か息づかいみたいな音がしない?」と詞浪さんがいった。「それに動物の臭いがする」
我々はテントの闇の中へ入っていた。
テントの中央付近に、三つの檻が置き去りにされていて、天蓋の破れ目から射しこむ月明かりに照らされている。
手前の二つはからで、扉も開けっぱなしになっていた。ただし、一番奥の檻にはあきらかに何者かがいた。
それはまさに詰めこまれているという表現がピッタリで、格子の隙間からは中にいる何かの獣毛がはみ出して、鉄柱の姿が隠れてしまうほどだ。
息を吸うと体が膨らむので、そのたび檻は内側から押し広げられてギシギシと軋んだ。
中にいるモノの姿は、真っ黒で見さだめられない。
深夜、部屋の隅にわだかまっている闇が、獣の形をとったかのようだった。
我々が入っていっても唸ったりする様子はない。
「寝てるのかな」と詞浪さん。
「おいおい近づくなよ」
眼鏡の
確かに寝ていようが悪夢の世界の生物である。避けて通るに越したことはない。
が、そんな事を気にする詞浪さんではない。ぽっくりの足で檻に蹴りをいれたりしている。
「よーしよしよし。来い来い。かかってこい」
「おすそわけだぁ。そうだよ悪夢も酔わせちまえば怖くないぜ!」
酔っぱらいも参加して檻のなかへビールを流しこんだりしたが、今のところ獣は低い息づかいを繰り返すだけだ。檻の鍵も見つからない。他に見るものもなく、我々は引き返していった。
きっとサーカスが始まるのは明日からで、今はまだサーカス団の本隊が到着していない状況なのだ、と私は考えた。
もしサーカスの本隊が到着するとどうなるのだろう? とはこの時にも思いはした。
○○○
次に、美術館の方に夜祭りの影響はあるだろうかと思い立って入っていった。
中は静かだ。展示作品を眺めはじめると、
作品から目を背け、レプリカの教会に入ったときなどは、声を上げて何かを振り払うような素振りさえした。
腕を振った拍子に彼の眼鏡が飛んで、我々は事態を理解した。
宙を舞った眼鏡のレンズが、一瞬だけ青黒い男の顔を映し出したのだ。
私は眼鏡を拾って覗いてみた。
青黒い顔に眼鏡をかけた中年の男が見えた。
どことなく
どうやら、この眼鏡をかけたものにだけそれが見えるようだった。
すべて首吊り死体だった。
教会の天井から、首吊り死体がぶら下がっている。
それも同じ男が複数体。
他の展示品でも同じだった。
絵画の登場人物はことごとく
ずっと
一度認識すると、それは眼鏡を外してもそこら中に見えるようになった。
「やっぱり……やっぱりお前、群平おじさんを見てたんだな……なんで隠してたんだよ」
「騒ぐなよ。おら酒でも飲めって」
「いらねえよ!」
「あの時も逃げたよな、お前」
どうして隠していたのですかと訊くと、彼は話し始めた。
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