第28話 メリー・メアーと虹の架け橋 6



 ホテルを裸足で出歩くのはたいそう気持ちが良い。特にお風呂上がりなどは。


 髪も濡れたまま、炭酸水片手に、私と詞浪さんは夜の屋上へ出た。というより整備されていない屋根の上に出た。風が吹いて心地よかった。

 私はプロジェクターを持ち出して、無声映画の壁面上映会を催した。

 〈ホール〉式の恋愛映画に、詞浪さんはすぐ飽きてしまった。カマキリ少女のラブシーンはお気に召さなかったらしい。


 そもそも娯楽というものをあまり嗜まない性質というのもあった。

 夕食も、けっきょくほとんど食べていない。

 競技という義務を失って、もう食事を摂る必要がなくなったという風情だった。消化器官の退化したウスバカゲロウのようだ。


 彼女はセンセイの見つけたあの自転車を持ってきて整備した。未練はないといったが、少なくとも愛着は持ったままでいることが、その手つきから分かった。

 湯上がりのラフな格好のまま、彼女はサドルに跨がった。

 両足をペダルに乗せてしまい、曲芸のようにバランスを取りはじめる。九階建てのホテルの、滑り台みたいに傾斜した屋根の上である。

 素敵なスリルを楽しんでいるようでもあった。


 彼女はついに両手を離して、地図を眺めはじめた。

「あっちが……北。海だな……。ねえ、現実そっくりだっていうけど〈ホール〉に果てはあるの? 地球の原寸大レプリカ?」

 レプリカ、と私は答えた。たぶん原寸大の。

 宇宙に果てがないように〈ホール〉にも果てがない。少なくとも観測できる限りはそうなっていた。

「どこまで行っても誰もいないんだ?」

 と詞浪さん。

 屋上から大きな橋が見える。

 向こう岸は淡路島だ。

「気になってたんだけど。ここって修学旅行のルートから外れてるんだよね。現実と同じならバスは神戸辺りにいるはず。〈ホール〉に来た人はみんなこの辺にワープしてくるの?」

 そこは〈ホール〉の七不思議。

 私にも不明だったが、一種の〈駅〉みたいなものがあるのだと考える事にしていた。


 客人は〈扉〉を通じて〈ホール〉へ現れる。

 ちょうど、何処から汽車に乗っても停車駅が決まっているように〈扉〉の現れる地域は、ある程度決まっているようなのだ。

 だいたいは睡った場所から近い〈駅〉で降りるようだ。深海や南極基地に〈扉〉が現れたりはしない。


 実際、ここ以外では、長崎と群馬に〈駅〉があるのを、私自身が確認している。

 長崎なら長崎、群馬なら群馬近辺、マサチューセッツ州エセックスで睡ったなら、マサチューセッツ州エセックスに近い〈駅〉に〈扉〉は現れるというわけだ。もちろん〈扉〉の場所に数キロ以上の誤差はある。ピッタリこのホテルに到着するわけではない。

 そもそも〈ホール〉は気まぐれだから、必ず決まったルールが適応されると期待してはいけない。


「ねえ。憶えてないんだけど、私の〈扉〉ってやつは、離れたところにある気がする」

 自転車を前後に揺らしながら詞浪さんはそういった。

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