第11話 メリー・メアーの尾骨 4



4


 夕陽を眺めながらバーベキューをした。

 二人はバーベキューの準備自体が楽しいようだった。

 カクテルグラス片手に機材を探し、うんちくを披露しあいながら食材を選び、炭に火が点くと歓声を上げた。


 準備をしているうちに夜になった。

 我々は時間を気にしなくていい。二人の社会人は、その事をたいそう喜んだ。仕事の時間を逆算してスケジュールを立てなくていい。明日を怖がらなくていいなんて。

 感動してそう叫んだあと、女性は急に山の方角を振り仰いで、桃色の耳をぴくぴく動かした。


「動物の声みたいなのがしなかった?」

「いや? こうですか?」

 そういってタジマくんが犬の鳴き真似をしたので、我々はゲラゲラ笑った。

 女性も声のことは忘れて、口に含んだカクテルを、タジマくんに吹きかけてたりしている。毒霧攻撃だ。なおタジマくんはとても喜んでいた。


 ここに遠吠えをするような大きな生物はいませんよ、と私はいった。

 しかし心当たりはある。たぶん女性は〈悪夢の兆し〉を聞いたのだ。

 とはいえ、まだささいな兆しでしかないように見えた。

 やがて仕込んでいた、マンガみたいな肉塊が焼き上がると、我々はまた動物の鳴き真似をして、この強敵へ挑みかかった。


 タジマくんが飲酒運転をして花火を軽トラックいっぱい調達してきた。

 我々は花火で砂浜を埋め尽くした。

 一斉に点火し、光の乱舞に歓声を上げた。

 花火が終わって静かになると、女性は少ししんみりしたらしかった。


「最後に花火したの、いつか思い出せないな。中学は受験で忙しくなったから、ホントにちいさな子供の頃だったんだろうな。大人になってからは、そんな時間なかったし、花火大会で道が混んだりするとイライラした。順当に行くと花火なんかしないまま死んでいく人生だったのかな?」

 それで今は何歳なんですか? 私が尋ねると、女性は湿った空気を追い払うように「忘れた! 三歳!」といって、お酒をあおった。

 そして手持ち花火を手にタジマくんを追い回しはじめた。

 これは子供の頃は御転婆だったに違いない、と私は考えた。

 もちろん〈ホール〉では人に花火を向けてもいい。タジマくんも悦んでいるようだし。

 タジマくんはタジマくんで業の深い子供時代を送ったのでは、と思わせるような片鱗を見せていた。彼は女性に追われながらぐねぐねうごいて上着を脱ぎ捨ててしまい、進んで素肌に花火を受けるのだった。


 海の上に満月がのぼった。我々は自分を開放して、月へ叫んだりした。

「わああああああ!」

「あおわあああああん!」

 タジマくんが変な叫びをあげる、といって女性は笑った。

 それから、背を反らせて遠吠えの手本を見せてくれたので、我々もそれに倣った。

 客人たちの言動がいささか獣じみてきたのを私は感じた。


 もう遅い時間になった。

 客人の男女は部屋へ戻りたそうにした。

 挨拶をして別れようという時、タジマくんが私を呼び止めていった。

「先輩を休ませてあげられそうでよかったです。ありがとう」

 そういう彼の目が潤んでいた。

 私も彼らの過酷な日々を思ってほろりとした。

 彼らにもっと「癒やされて」帰ってもらいたいと考え、今より社会常識を振り切ればもっと開放されるでしょう、そのためには形から入るのが一番です、などとアドバイスをした。

 具体的にはそう、まず裸になります。


「そこまではっちゃけられないよ」

 タジマくんは冗談だと思ったようだ。

 そこへ今にも眠りこみそうな先輩が催促に引き返してきて、むにゃむにゃとシャツを脱ぎ始めたので、彼は慌てて部屋まで連れて行かなくてはならなかった。

 〈ホール〉に関する注意事項もある。明日の朝にまた、と約束をして、今度こそ私たちは別れた。

 翌朝、二人は全裸で現れた。


「おはよう、カンムリくん」

「おはようだワン」

 二人とも裸で、さらにタジマくんの首にはベルトが巻かれていた。

 リードは先輩の手にあった。

 どちらも満面の笑みを浮かべて、これから始まる一日にうきうきしている。

 誰がそこまで開放しろといった。

 とはいえ自由だ。〈ホール〉では、誰しもが犬になっていい。


 タジマくんは自身の心境を説明して、

「子供の頃、首にベルトを巻いて廊下を散歩していたら、先生に怒られたのです。特に飼い主役をやった子が酷く説教されて可哀想でした。僕らは楽しくやっていたのに。今その時のことを思い出している、そんな感じですね」

 とんだ逸材でしたねと私はいい、先輩はタジマくんのあごを撫でてやった。

 タジマくんはちょっとだけ冷静になったらしく、四つん這いの姿勢のまま、困ったようにこちらを見上げた。犬として見れば可愛い仕草である。


「やり過ぎですかね? でも形から入ってみようって考えると、こうなったわけで……」

 素敵ですよと私は請け負った。

 あなたが望むのなら、ここでは裸になるのも、わんわんになるのも、おしっこをもらすのも自由なのです。

 私は解放された人間を見るのが大好きなのだ。

「そこまで人間性は捨てられませんよ」

 やはり冗談だと思ったらしい。

 彼らは笑って、さらに、よほどおかしかったのか仰向けに倒れたり、地面を掘ったりしはじめた。

 昨日よりもなお、タガの外れた感じで、私は制限時間が近づいたのを感じていた。

 悪夢に人間性を奪われつつあるのだ。


 客人は、自身の悪夢とともに〈ホール〉へやってくる。

 悪夢ははじめ姿を見せないが、じょじょに客人の行動や感情を蝕み、最終的には人間性を奪い去ってしまう。

 そうなると現実の世界へ帰還するのは、ほぼ不可能となる。


 考えた結果、私はバカンスをもう少しだけ継続することにした。

 悪夢はまだ姿を見せていないし、帰るための〈扉〉の場所は分かっている。

 彼らの日頃のストレスを思って、できるだけ〈ホール〉で遊ばせてあげたいと考えたのだ。

 何か異常を感じたら教えて下さいと釘を刺して、私たちは新しい一日を開始した。


 とびきり豪華なサンドイッチを作って食べ歩きした。

 美術館を見てまわり、大企業の迎賓館だという、竜宮城みたいな施設を見学したり破壊したりした。

 それから、もはや日課になった浜辺の散歩をした。

 二人は浜辺を走り、ゴロゴロ転がったり、波に吠えかかったりしている。

 私は一緒になって遊びながらも要注意の目で様子を窺っていた。

 悪夢がどういう形で現れるか、それは人それぞれだ。

 焔の形を取ることもあれば、迷宮の姿で現れたり、人間そっくりだったりもする。

 あるいは肉体の変化として出てくることもあった。

 いずれにしろ、最後には客人の人間性を食い尽くしてしまうという事だけは共通していた。


 今、二人の客人は浜辺で拾ったいい感じの棒を取り合って遊んでいる。

 平手の応酬から、相撲のまねごとになり、次に歯をたてあい、そのじゃれ合いから段々ムキになって、ついに首を咬み合い始めたところで、私は限界と判断した。

 二人を呼び寄せ、時間ですと宣告した。現実へ帰らなくてはなりません。

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