そして春が来る。
湊賀藁友
そして春が来る。
「俺色に染めてやるよ!」
夏も終わって、日差しに柔らかさが増してきた頃。
いつもの公園で一人佇んでいたときに突然そんなことを言われて、私は一瞬言葉が出てこなかった。
彼はみんなの人気者。だから私も流石に名前と顔くらいは知っているけれど、これまで話したことは一度もなかったのだ。
「……えっと、どういう……?」
混乱で発言がカタコトのようになってしまったが、どうやら彼は私の言葉の意味を正しく理解してくれたらしい。
「そのままの意味だ。
ほら、俺の色に染まれよ」
あぁなんだ、噂のアレか。
そう理解したら急に、一瞬動揺した自分が恥ずかしくなってくる。
私は心の中でふうとため息をついて、それから何でもないような素振りでじとりと彼を見た。
「いやです」
「え!?」
私の返答にひどく驚いた様子の相手に、少しだけ腹が立つ。
人気者の彼のことだ。そういうことを言えばホイホイと“染まって”くれる相手ばかりだったのだろう。
「私、そんな安い女じゃないの。分かったらもう話しかけないで」
苛立ちのままにそう告げると、彼は数秒ぽかんと呆けた後、ハッとしたように声を出す。
「おっ、おいっ!」
「……なに?まだ何か用なの?」
まだ食い下がるつもりか、と言外に伝えたというのに、その直後彼から返ってきた言葉は私が想像もしていないものだった。
「………………悪かった、ごめん」
まさかきちんと謝ってくれるなんて。
てっきり言い返してくると思っていたのに、こちらとしては拍子抜けだ。
「……別にいいわよ」
もう、こんな風に謝られたら突っぱねられないじゃない。
頭が冷えてきたら、何だかさっきまで怒っていた自分のことが段々と幼稚に感じられて居たたまれない。
この空気感をどうしたものかと悶々と頭を悩ませていると、再び彼が口を開いた。
「……明日もまた、話しに来ていいか?」
その言葉で、先程までの居たたまれなさはどこかへ吹き飛んでしまった。
いつも大体他人を見下している彼がらしくもなくおずおずと話しかけてくるのがおかしくて、思わずくすりと笑ってしまう。
「ふふっ。ええ、待っててあげる」
私のその返答で嬉しそうに輝く笑顔にぽかぽかとあたたかい温もりを感じながら、私は「じゃあまた明日ね」なんて言って手を振った。
■
それから、彼は毎日私に話しかけてくるようになった。
いつも一人ぼっちで、話と言えば気が向いたら誰かがしている会話を聞くくらい。実のところ少しだけ寂しかった私は、彼という話し相手にどんどんと好感を抱くようになっていって。
今までは明るい彼を遠くから眺めるだけで、なんとなくのイメージでしか彼を認識していなかった。
けれど彼と話すようになって、彼のことを沢山知って、単純にも彼に好意を抱くようになってしまって。
そんなある日のことだった。
「染まってくれと言えば染まるような相手ばかりだった」
そう彼が話しだしたのは、初めて話した時の彼の態度について、なんとはなしに私が質問したとき。
いつもカラッとしている彼らしくもなく苦しそうに話すから、何度も「無理して話さなくてもいい」と言いたくなった。
……だけど彼がその話をすることを嫌がっているわけではないことが分かったから。
話そうとしてくれていることが分かったから。
必死に言葉を紡いでいることが、伝わってきたから。
だから、私は彼がぽつりぽつりと口に出す言葉を、時々頷きながらも黙って聞いていた。
「沢山の人が俺を必要としてくれるけど、“俺自身”をちゃんと見てくれる人なんていないように感じて」
「求められるばかりの日々を過ごすうちに、俺何やってんだって思っちまってさ」
「でも嘆いたってどうせ何も変わらないから、だから」
「誰も“俺自身”を求めてくれないなら俺だって同じようにやってやろう、誰の心も求めず体だけの関係だけを求めてやろうって」
「…………そんな時に、君に話しかけたんだ」
どこか暗い表情で話していた彼の顔が、ほんの少し明るくなる。
「まっすぐで、堂々としてて……外面だけ明るくして頭ん中ではこんな風にジメジメしてる俺とは全然違うと思ったよ。
……生まれて初めて、自分から誰かを染めたいって思った。俺色に染まった姿が見たいって思った」
ジリ、と焼くような視線がまっすぐに私を見る。
「好きなんだ。
……俺の色に、染まってくれないか」
顔が熱いのはきっと気のせいじゃない。
彼が、私の好きな相手が本気で私を好いていてくれていることが嬉しくて、思わず頷きかけた、その時。
強い風に吹かれて、近くの枝から一枚の葉が落ちた。
ひらひらと踊るように地面へと落ちていったそれを見て、熱かった筈の顔から一気に温度が引いていく。
……そうだ。どうして忘れてしまっていたのだろう。
私が彼を縛り付ければ、必ず彼は苦しむことになるのに。
「…………ごめんなさい」
「………………そう、か……。
…………突然告白とか迷惑だったよな……ごめんな!」
彼は明るく笑っているつもりだったのだろう。
震えた声で、どこまでも悲しそうなままで、なのに私に謝ってくる彼の言葉に、私は怒鳴るようにハッキリと告げた。
「っ迷惑なんかじゃない!!!……嬉しいよ、大好きだよ…………!!
……でも、私は貴方には染まれないの」
あぁもう、告白を断った私が泣きそうになってどうするのよ。
泣きたいのは彼の方である筈なのに。
私には、泣く資格なんてないのに。
「ならなんで、」
混乱した様子でそう呟く彼に胸の中のドロドロとした感情が溢れて、いっそこのまま理由を話して面倒臭いやつだと思って嫌ってくれればいい、なんて自傷じみた思考回路に従うように言葉を投げかける。
「私を彩る物が全部無くなって、みすぼらしい姿になって、物も言わずに数ヶ月立っているだけでも変わらず好きでいてくれる?無理でしょう?」
「え……?」
もうここまで言ってしまえばどこまで言っても同じことだ。
私は今まで隠していた全てを吐き出すように、次々と口から言の葉を落とした。
「私が貴方の色に染まるっていうのはね、私の眠りが近いことの合図なの」
「ほんの少しの間だけ貴方の色に染まって、そしたら貴方に貰った色は剥がれて落ちて、後に残るのは一枚の葉も残っていない枯れ木みたいな私!」
「そんな姿で四ヶ月も休眠期間に入る私に、話すことが出来なくなる相手に、貴方は愛想を尽かさないって断言できる……?」
「私の休眠期間中に、休眠期間がない上長く付き合っていられる常緑針葉樹に乗り換えることがないって断言できる……!?」
「もし自分が貴方の恋人なんだって思ったまま休眠期間に入って、目が覚めた時貴方が私じゃない誰かを優しく照らしてるのを見るなんて──私の方を見ない貴方の光だけを浴びて生きていくなんて、私には耐えられない!!」
「だからっ!!!
…………だから、もう……!!」
そのあたたかさを。
優しい毒を。
私に、与えないで。
「モミジ」
柔らかい声が、あたたかくて優しい温度を宿したまま私の名前を呼ぶ。
「……」
「四ヶ月会えないのは確かに寂しいだろうな。その間に何度も君の声が聞きたくなるだろうし、君に話したいことだって沢山増えそうだ。」
「…………」
「……だから、待ってるよ」
「……え……?」
「君に話すことを沢山探して、君に会える春を楽しみにして、目覚めた君が寒い思いをしないように、寂しくないように、変わらず世界を照らしながら……君に会える春を、同じように変わらず待ってるからさ」
彼が笑う。
私への優しさを溢れるほどに詰め込んだひだまりで、慰めるように私をあたためながら、笑う。
「タイヨウ。……本当に、いいの?」
「ああ」
「…………一年の内の三分の一、会えないんだよ?」
「分かってる」
「だったら──!」
「俺は、一年ずっと君じゃない誰かと一緒にいるより、一年の内の三分の二を君と過ごしていたい」
「!!」
……何よ、それ。
「ずるい。……ずるい。
そんなこと言われたら私、夢見ちゃうじゃない……!!」
「その夢は叶うんだから好きなだけ見ればいい。
……信じて、くれるか?」
タイヨウの問いに返事はしない。
頷きもしない。
でもその代わりに、上の方の葉が一枚、太陽のように紅く染まった。
■
そのもみじの葉の全ては、すぐに紅に染まった。
太陽の光を存分に浴びたお陰だろうか。それはそれは美しい紅色へと衣を塗り替えたモミジを見たタイヨウの喜びようといったら、もう秋だというのにうっかり夏のような気温にしてしまいそうなほどで。
彼らは幸福だった。
満ち足りていた。
愛し合っていた。
…………だが冬が来ると、モミジは眠ってしまった。
しかし、タイヨウは一人ぼっちにはならなかった。自分がモミジを待っているように、モミジも自分と会えるのを待ってくれていると知っていたからだ。
とはいえ声は聞きたくなるし、やっぱり話をしたくなるし、雲のせいで視界が遮られた時は雪で怪我を負っていないか心配になるし、どうしたって早く会いたいという気持ちはどんどんと募っていく。
──君がいないと、時間が長く感じるな。
それでも、君との約束だから。
君のために、たくさんたくさん面白い話を用意しとくよ。
雪が降った。
雪が溶けた。
日の出ている時間が、少しずつ長くなってきた。
街の緑が増えてきた。
夜に吐く息は白くなくなってきて、聞こえる鳥の声も増えてきて。
────そしてそろそろ、春が来る。
■
とある小さな公園の中心。
一本の大きなもみじの木が、太陽に照らされながら静かにそこにそびえ立っている。
「あっママ、見てみて!
このもみじ、よく見たらお花が咲いてるよ!」
「あら本当。赤くて綺麗ね」
「ね!なんか、太陽みたい!」
そして春が来る。 湊賀藁友 @Ichougayowai
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