イリュージョン——あの子はどこから現れた?1

 竜宮城のイロコとの接触から数日後、梨丸なしまるとリリは東京を訪れていた。魔界まかい管理局かんりきょくで未帰還者の情報を調べてもらうためだ。

 通勤時間帯の東京はオフィス街すら人であふれていた。


 ——電車とかバスの通勤ラッシュも、職場とか学校に行くためのもんなんだから当然といえば当然か。

 そんなことを思いながら、梨丸は守衛に頭を下げつつ庁舎の門をくぐる。


 財務省の西隣——霞ヶ関かすみがせきの中央合同庁4号館。その無骨な建物の片隅に、魔界管理局という異質な機関があった。


 窓口前の椅子に並んで座り、職員が戻ってくるのを待つ。梨丸が書類などをチェックしていたら、リリがこちらを見上げてきた。

「霞ヶ関のお役所っていうから緊張してたけど……何か普通の町役場と変わらないんだね」


「そうだよね。他のお堅い省庁とは違って、魔界管理局まかんの職員は比較的フレンドリーだし」

 少年はちらりと周囲をうかがう。【魔界】という山梨県鳴沢町なるさわまちにしか存在しない超ローカルエリアを管轄する組織なので、人の流れは少ない。あまり周りに遠慮する必要はなさそうだ。


 緊張をほぐすかのように、リリはホッと息を吐く。

「お隣の財務省なんてもうガチガチの近寄りがたい雰囲気だったけど、何でこんな空気が違うんだろうね?」


「そりゃアレだよ。魔界なんて超リスキーな場所、普通の人なら行こうとは思わないでしょ。だから探索士おれらと友好的な関係じゃないと、魔界の情報が手に入らないんだよ。お役人だって仕事で魔界に行って死にたくないだろうし」

「……そうだね、うちのお父さんみたいに学術目的で行く人もいるけど」

 リリは少しだけムッとしてしまった。しかし美人にじっとりと睨まれても逆に嬉しくなってしまうのはなぜだろうかと梨丸は自問する。


「ああ学者先生たちは別だよ。うちの父ちゃんもそうだったから。メシを食うのも忘れて探究に没頭するタイプ」

「そうなんだ」

 少女の機嫌はあまり上向かない。


 係長補佐が窓口に戻ってきたので、雑談は中断する。

 第三者が戻ってきた途端、少女は余所よそ行きの顔に戻った。微笑でもなく、不機嫌さを思わせることもない、ニュートラルで柔和な雰囲気。この辺の適応具合はさすがだと少年は感心する。


 ファイルを抱えた係長補佐が対面に座る。

「やあ巴さん、お待たせしました」


「どうも。で、情報ありました?」

 梨丸は軽く会釈した。魔界探索士の担当窓口職員とはある程度の顔見知りなので、言葉も軽い。

「竜宮城の乙姫と目されていた相手ですが……結論から言うと、彼女は人間でした」


「おお……マジで人間だったのか……」

 梨丸は感嘆の口笛を吹こうとして失敗した。隣を見ると、リリは笑いをこらえているように見えた。機嫌はなおったのだろうか。

 役人はA4の紙をめくりながら話を続ける。

「まあ、あくまで探索士の手紙に同封されていた髪の毛が、イロコという女の子の物であると仮定すれば、ですよ?」


「その辺は信じていいんじゃないですかね? 別にヒロさんやショウさんが嘘をつく理由もないんですし」

 竜宮城に行ったまま戻らなかった探索士——ヒロからの手紙には、イロコの物とおぼしき長い黒髪が同封されていた。それは相棒の探索士ショウによってすぐDNA検査に回された。それが終わったと連絡があったので、魔界管理局に来たのだ。


 竜宮城の乙姫を“母”と呼ぶ少女——イロコに関する情報を多方面から探るために。

管理局こちらとしましては疑う理由もありません。しかしそうすると不可解なんですよねえ……」


「なにがですか?」

 梨丸はグイッと身を寄せて相手の書面をのぞき込む。

「そのイロコという女の子、年の頃は小中学生程度、ということでしたね?」


「そうですね。見た感じだと」

「それなら彼女は『未帰還者』ではありません。その年齢に該当する女子は、魔界へ出入りしていないんですよ」


「え?」

 梨丸はあてが外れて気の抜けた声を出してしまった。


 竜宮城の乙姫は、イロコを手元に置いておく何らかの理由があるはず。乙姫を攻略するにはその“娘”の情報を探るのが先決だと思ったのだ。少女が人間ならその個人情報は必ず魔界管理局に残っている。それを手がかりに乙姫の弱点を探ろうと思っていたのだが。

「ご存じの通り、魔界へ入るには必ず鳴沢町の突入坑とつにゅうこうを通らなくてはなりません。しかしデータを全て洗ってみても、該当する人物が見当たらないんですよ」


「……正規の手段じゃなくて、荷物の中に子供を入れてったってことは?」

「荷物は必ずスキャンされています。見逃しはないかと」


「魔界への別の突入ルートがあるとかは……」

「ないですねえ……そもそも突入坑ひとつだけでも莫大な維持費がかかっているんですから。あのリフトなんて特別製の金食い虫ですよ。秘密の抜け穴を維持する予算なんて下りませんって」


「マジすか……」

「それともうひとつ」


 係長補佐はファイルを閉じてしまった。おそらくは個人情報保護法にでも反しないようにだろう。

「——このイロコさんの遺伝情報と、今まで魔界に突入した人間の遺伝情報を比べてみましたが……イロコさんの親類縁者すらいないという結果でした。念のため警察にも情報提供を依頼しましたが、そちらも該当者無し」


「いない?」

「魔界へ入る際には必ず遺伝情報をご提供いただいてますからね」


「ええー……じゃあ探索士の誰かが魔界で子供を産んで、そのままモンスターに殺されちゃったってことも……」

「考えられませんねえ。魔界に人が入れるようになってここ5年。イロコさんは小中学生。計算が合いません」


「まいったなあ……遺伝情報さえあれば何らかの情報が掴めると思ったんですけど……」

「お力になれず申し訳ありません」

 係長補佐が軽く頭を下げたので、梨丸も反射的に机に手を着いて相手より深く頭を下げる。


「いえいえ、とんでもないです」

 それから少年は庁舎の地味な天井を見上げた。考えをまとめようとうんうんうなってみたが、もちろん都合よく天恵てんけいが舞い込んでくるということもない。


 イロコは地上から魔界に降りたのではなかった。こっそり忍び込んだのでもなかった。日本の政府機関が把握する限り、親類縁者はいない。魔界に最初から人間が生息していたなど聞いたことがない。モンスターが人間を生むなどあり得ない。梨丸はつい誰にともなくボヤいてしまう。

「——じゃあ、あの子はどこから現れたんだ?」

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