恐竜使いの少年1

 ともえ梨丸なしまるがティラノサウルスを引き連れて魔界から帰還したら、待っていたのはカメラの群れだった。


 それは蛮勇なる魔界探索士の梨丸を讃えるためではない。世界でもここでしか見られない、生きたティラノサウルスを撮影するためだ。文明の利器である馬車を太古の恐竜がいているというのは一部のマニアにウケがいいらしい。もちろん飼い主である少年に許可を取る者はいない。それどころかフラッシュがかれる始末だ。


 少年は恐竜の足音に負けない程度の大声を出した。もっとも、体重10トン超が繰り出す重低音にちっぽけな人間が張り合うのは不可能なのだが。


「おい! フラッシュ焚くな! 法律違反だぞ!」

 普段から命のやりとりをしていると、どうしても言葉遣いは荒っぽくなってしまう。群衆からざわめきが起こり、やがてフラッシュの回数は減少していった。代わりにヤジが飛んでくる。


「ティラノもっとゆっくり歩かせろ! 写真がブレるだろ!」

「直立した姿が撮りたいんだけど!」

「鳴き声録らせて! ティラノサウルスちゃんガオーって吠えてみて!」

「そのワイバーン、恐竜に食わせてみてよ!」

「ちょっとその馬車外して全身像撮らせてくれ!」

「サービスわりぃぞ、このアウトローが!」


 恐竜たちはよく調教されていて決して人間を襲ったりはしない——という情報が知れ渡っているからこそ人々は魔界探索士に平然と暴言を吐く。


 ——まあ、いつものことだけどさ。

 魔界探索士は、収入だけを見るなら夢のある職業だ。その派手な年収が独り歩きし、一般人から嫉妬されることは多い。今回のヤジも、18歳でそれなりに稼いでいる梨丸への妬みが混じっているのだろう。


 2040年3月現在、ここ山梨やまなしけんみなみ都留つるぐん鳴沢なるさわまちは魔界特区として潤っている。その税収で整備された魔界探索士専用道を、梨丸は嘆息しつつ淡々と歩いた。


 富士山と河口湖かわぐちこに挟まれたここの濃厚な土の匂いをぐと、帰ってきたという気持ちになる。

 鳴沢町では税収の源である魔界関係者が手厚く保護されていた。探索士率いる猛獣への禁止行為が条例で定められているほどだ。フラッシュ撮影の禁止もそのひとつ。それを取り締まるのが警察の点数稼ぎになって久しい。


 恐竜も戦闘でそれなりにダメージを負っている。すぐに休ませてやらなくてはならない。役所での手続きはそのあとだ。

 遅めの昼食はどこで食べようか……そんなことを思いながら歩く梨丸の前に、ひとりの金髪少女が立ち塞がった。


「あの……あなたにお願いがあって来ました!」

 思わず見蕩みとれてしまうほどの存在感だった。


 ——魔界の最前線ここらじゃあんまり見ないタイプの美人さんだな……。


 色素薄めの長い金髪はおそらく地毛。ライトグリーンの眼に淡いピンクの唇が可憐で印象的だ。顔立ちは日本人に近いが、驚くほど白く長い手足は日本人離れしている。おそらく梨丸と同年代だろう。ワンピースにベルトを締めただけというシンプルな服装が、かえってその素材の良さを際立たせていた。ヒールのある靴を履いていることから、少なくとも同業者ではないことがわかる。


 ——撮影に来たアイドルさんか?

 世界唯一の魔界への入り口ともなれば、テレビ局員もたびたび訪れる。だがプロの撮影隊に居てしかるべきディレクターや音響の姿が見当たらない。


 梨丸は少女へ視線を固定したまま、後ろ手でティラノサウルスを制止した。恐竜のく馬車が、時間差をおいてガクンと止まる。


「危ないですよ。【猛獣に 踏まれないよう 気をつけて】っていうのは鳴沢町の標語にもなってるんですから」

 全高4メートルを誇る巨大恐竜からは、小さな人間の少女など見えていない可能性もある。


「あの……ワタシ、リリ・花野井はなのいっていいます。あなたにお願いがあって来たんです!」

 少女は似たようなことを繰り返した。両手をぎゅっと握りしめている。それだけでも必死さが伝わってきた。

「——専用サイトでも、巴さんは期待値ナンバーワンのルーキーだって書いてありました! SNSの議論でも、恐竜使いの巴は個人勢で最強だって——」


「あの……ちょっと待ってください」

 少年は目の前の少女を制止しつつ、よく観察した。


 真っ先に疑うべきは詐欺だ。魔界探索士はハイリスクハイリターンの職業である。危険な仕事の旨味うまみだけを吸い取ろうとするやからは意外と多い。

 しかし、どうやら彼女は反社会的組織の人間ではなさそうだ。悲壮感に潤んだ眼や、拒絶されたらどうしようという焦りの表情は、演技だとは思えない。


 しゃがんで頭を下げてきたティラノサウルスの鼻先を撫でながら、梨丸はそう確信した。魔界では獰猛に戦うネックも、町中では至って大人しい。

「お願いって、魔界関係のことですか?」


「はい! あのですね……」

 少女の顔が和らいだ。話を聞いてもらえて嬉しかったのだろうか。それは思わずお願いを聞いてしまいそうになってしまいそうな魔力を秘めていた。

「——巴さん、魔界最強種って倒せますか?」


「…………え」

 朗らかな笑顔からヘヴィな言葉が出てきて、梨丸は一瞬言葉を失ってしまった。


 凶悪極まりない魔界において、ヒエラルキーの頂点に君臨する個体群——それが魔界最強種だ。

 そんな最強生物が持つという、この世の条理をねじ曲げる魔界の秘宝。それは完全に世界唯一のオーバーテクノロジーだ。ひと欠片かけらでも手に入れれば、数千億円の価値がある。


 全ての魔界探索士が憧れる、究極の目標といえよう。


 それが無ければ人生詰みです——とでも言わんばかりのリリの顔。よほどの事情があるのだろう。多くのギャラリーから注目を浴びているのもいとわず、少女は道路の真ん中に立つ。そしてティラノサウルスと梨丸の顔を交互に見てから申し訳なさそうに語り出した。


「ワタシの妹が病気なんです。全身の細胞が少しずつ変異していくっていう、世界でも数例しか無い珍しい病気。日本じゃ正式な病名も付いてないくらいで、現代医学じゃ治せないって言われました。目一杯延命しても余命は半年から1年だって、お医者さんが」

 リリはそこまで話すと目を伏せた。つらい現実を思い出してしまったのだろう。


「家族のためか……」

 少女は再び意志の強い視線を向けてくる。

「でも、魔界最強種が持ってるっていう【エルフの万能細胞】なら、どんな病気でも治せるって聞いたんです!」


 魔界最強種の打倒と、魔界の秘宝の入手。これは梨丸がいずれやらなくてはならないことだ。しかし今までは踏ん切りが付かなかった。相手は今までに多くの恐竜たちを退けてきた、モンスターの頂点なのだから。

 慎重派の梨丸は、恐竜使いの数少ない生き残りだ。


「魔界最強種って、生半可な相手じゃありませんよ? 今まで多くの同業者たちが挑戦して、命を落としてるんです」

「ワタシは家族のためなら何でもします!」

 リリは涙をこぼしながら懇願こんがんしてきた。身体の前で両手を合わせるのは宗教的な作法なのか。それとも本能的に体が動いたのだろうか。

「——あなたと一緒に魔界に降りて、命を懸けてお手伝いします! お金も……ローンでいつか必ずお支払いします! だからどうか万能細胞を手に入れてください!」


 群衆に取り囲まれているからといっても、格好付けて安請け合いすれば命取りになる。魅力的な相手からの哀願にも、軽々しくはうなずけない。だが。

「家族のためか……」

 梨丸はもう一度同じことをつぶやいた。


 今までも似たようなことを言う人物が来たことはある。魔界の秘宝を高値で買うから取ってこいと。だが梨丸は金のために魔界探索士をやっているわけではない。札束で頬を叩かれても少年の心は動かなかった。

 しかし家族のために命を懸けるとまで言われては、梨丸も黙ってはいられない。それは少年と同じ動機だからだ。


 死という最大のリスクを前に尻込みし、今までは日銭を稼ぐだけで前には進めなかった。誰かが背中を押してくれるのを待っていたのかもしれない。


「——俺の父はドラゴンの帝王に食われました」

「……噂には聞いています」

 それは業界内では有名な話だった。梨丸のことを直接指名してきたからには、少女もそれなりに調べてきたのだろう。


「ドラゴンはカラスみたいに戦利品を巣に溜め込んでおく習性があると言われてます。父もそうやって食われながら連れて行かれた。そのねぐらは魔界富士の山頂」

「……」


 梨丸は富士山のある方角を見た。ふもとの道からでは木々に阻まれ見えないが、本物の富士山は毎年多くの登山客が訪れる平和な山だ。

 だが魔界の富士山頂はドラゴンのねぐらであり、魔界の中で1番の危険地帯である。そこまで到達したことのある探索士は今までに存在しない。


「俺はそこまでたどり着いて、父の遺品くらいは取り返したいと思ってる。魔界探索士をやってるのはカネ目当てじゃないんです」

「あなたならワタシの気持ちを理解してくれると聞いて、ここまで来ました。危険な魔界探索を、お金じゃなくて家族のためにやってる人だからって」


 時価数千億円のお宝を取ってきてほしいという依頼なら、当然依頼料もそれ相応になる。とても個人では支払えない金額だ。そもそもが取りにいって即入手できるような物ではない。その持ち主は魔界のモンスターの最強格である。ベテラン探索士ほどその怖さを知っているので、この仕事を受けようとはしないだろう。


 なので『家族のため』という情が通じる梨丸を頼った。それは少年としても理解できる。


「魔界はあなたが思っている以上の地獄です。素人にできることはあまりない。万能細胞を入手できるって保証もない」

「モンスターのおとりになれとあなたが言うなら、ワタシはそれに従います。あなたが万能細胞を手に入れて妹を助けてくれるなら、ワタシはあなたの命令を何でもききます」


 訴えかけてくる、真摯しんしな少女の目——それに嘘はなさそうだった。

 人生の重大な決断を下すきっかけというのは、このような何気ない日常の中に潜んでいるのだろう。ギャラリーに囲まれた道ばたで身の上話をすることになるとは、全くの想定外だったが。


 ——これじゃ美人さんにお願いされて命を捨てにいく馬鹿野郎みたいじゃねーか。

 そんなことを思いながら梨丸は決心した。


「妹さんは今どこに?」

「東京の病院です」

 リリは涙をぬぐった。本当の美人は化粧なしでも美人だということがこのとき判明した。


「わかりました。じゃあこのあとで東京の役所に届け出がありますんで、そのあと妹さんと面会させてください。俺も命を懸ける以上、相手の顔くらいは知っておきたいんで」

「それじゃあ……」

 色白少女の頬が笑顔に染まる。


「魔界最強種の1体・ゴールデンゴルゴーンの討伐およびエルフの万能細胞の入手、探索クエスト受諾じゅだくしました。その他の契約条件なんかは車の中でまとめましょう」

「……ありがとうございます! 誰も話を聞いてくれなくて、役所も万能細胞を譲ってくれなくて、本当に困ってたんです!」

 リリは梨丸の手を強く握ってきた。その温かな手は涙で少し湿っていた。

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