九日目 帰宅後の反省会とアップルパイ
すっかり暗くなって帰宅すると、リビングの方から賑やかな話し声が聞こえた。
待ちきれずに押しかけてきたらしい。勝手知ったるなんとやらで、ソファーに腰掛けすっかりくつろいでいる。
「
お帰りよりも先に、母はそう問いかける。
問いかけておきながら、私の答えは必要としていないようで、すでに皿にアップルパイを盛り付けていた。
「俺のために作っといてくれたんだってさ!」
緩士の前に置かれた皿には食べかけのアップルパイ。もうほとんど食べ終わるところだ。
アップルパイは緩士の好物だ。
特に私の母のアップルパイは小さいころからのお気に入りだったから、母は何かあるとすぐアップルパイを作ってやった。
その何かというのは、おもに悪いことなのだが。
「今年もまた『彼女づくりチャレンジ』してるって聞いたからね」
母からアップルパイを受け取る。この妙にワクワクしている人に緩士のことを告げたのは私じゃない。
近所に同じ高校に通う子がいるから、きっとそこから伝わってきたのだろう。ご近所みんな顔見知りというような今時珍しい我が町内では、隠し事は難しいのだ。
「聞いたからって、アップルパイ作って待つのはどうかと思うよ」
通称『厄払いのアップルパイ』にフォークを刺す。
「緩士も喜んでどうするの。この人はあんたが振られると思ってこれを用意してたのよ」
いい色に焼けた三角形のアップルパイ。わざとゆるめに閉じた一辺からあふれるくらいに、たっぷりとフィリングを詰め込んでいるから、食べるときにはどうしても皿を汚してしまう。
こういう場合はマナーなんかは無視してかぶりつくのが一番だ。
サクッとしたパイ生地の中からあふれる甘いとろみのアップルフィリング。大きめに切ったリンゴがざくざくと心地いい。その中にあるコリッとした歯触りと香ばしい風味は乾煎りしたクルミの仕業。すべてが口の中で混じり合い幸せな時間をつれてくる。
「いいから早く話を聞いてくれよ」
緩士がせっつく。
「あと二口、いや三口でいけるからちょっと待って」
宣言通り大きな口で食べ進めると、「せっかく作ったのに」と母が悔しがる。丁寧に作ったものを一瞬でたいらげられるのはあまりいい気分ではないらしい。
美味しくいただいているのだからいいじゃないかと思うけれど、そうはいかないようだ。
せめてと思い両手を合わせ『ごちそうさま』を言う。母の少々投げやりな『お粗末様でした』を聞きながら、オットマンに腰掛けた。
「晩ご飯までね」
私は横目で時計を確認する。あと一時間ちょっとというところか。
「そんなにいらねえよ。話聞いてきたんだろ?
私が橋本さんと約束を交わしているのは何人にも見られていたから、自然と緩士にも伝わっていたようだ。
私は放課後の公園で橋本さんから聞いたことを緩士に話した。
どこまで言っていいものか悩んだが『橋本さんを泣かせてしまったかもしれない』という緩士の不安を拭えるくらいには話さなければいけないと思い、彼女が『カワイイ』の裏で悩んでいたことを、かなりぼやかした表現で伝えた。着ぐるみのことまでは言わなかった。
そんな感じだったのでどこまで伝わったかわからない。
だけど緩士は、橋本さんの涙がけっして悪いものではなかったということさえわかればいいという態度で、ひとくち分残してあったアップルパイを口に放り込んだ。
「ひろくん、持ってく?」
またしても、答えを待たずにすでに包んであったアップルパイを掲げ母が笑った。
「まじ? さすがおばさん。ありがたく頂戴します」
ははー、と恭しく言って紙袋を受け取る。
振られたあとはいつもこんな感じだ。
さっぱりとしすぎていて、告白が本気だったか疑わしく思えてくる。
それでも本人は本気だと言うのだから、私はこのあともただ見守るだけだ。
「ああ、そういえば」
緩士は帰り支度の手をとめ私に視線を向けた。支度と言っても、三軒隣り、手ぶらで家に来ているから上着を羽織りお土産のアップルパイを持つだけなのだが。
もう一度リビングに落ち着きそうな雰囲気で話を始める。
「なんか、橋本さんに『近くにいる人をちゃんと見なくちゃ』って言われたんだよな。それで次に誰に告白するかって考えてたんだけど――」
緩士が名前を挙げる。
それを聞いた私は、週明けに学校に行ったらまず橋本さんに謝らなくちゃいけないなと思った。
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