第四章 I show 相性
第一話 されど気温はハイなまま
夏を越え。モミジやイチョウが色をつけ。されど、気温はハイなまま。『四季とはなんぞや』と地球様に文句をつけたいくらいには暑さを感じる、二学期が訪れた。
早いもので、暦は九月中旬。筆舌に尽くしがたいほどに色々ありすぎた家庭教師ライフも、なんやかんや五ヶ月目である。
やたらと青かった夏休みはとうに過ぎ去り、高校では通常授業が再開。勉強漬けの長期休みであったことが幸いし、我が教え子は夏休みボケに陥ることもなく、毎日学校に行けているようだ。優秀優秀。
どちらかと言えば俺が夏バテ、もとい夏明けバテ気味なため、神楽坂の方が元気なくらいである。大学生など、もはや老人。やはりJKの若さには敵わない。
「はいはい、センセっ! ここ教えて!!」
「ほいほい。さて、どれどれ」
テーブル越しで向かい合い、質問が出れば対応する。そんな、いつもの授業風景。
このスタイルは季節が変わろうとも、出会った当初と変わっていない。
しかし夏を経て、彼女自身には変化が起きていたようだった。
「あー、そこは二つ保存則を立てて連立だな。計算は面倒だが、考え方はさほど難しくない」
「ふむふむ、なるほど。あ、あと、この問題も教えてくれない? 運動方程式は解けたんだけど、その後どうすればいいのか分からんとよ」
「あー、そこは──」
と、コレこのように。最近の神楽坂は以前よりも積極的、かつ具体的に質問をするようになった。非常に、良い変化だ。
神楽坂の質問が具体的なのは、夏休み中にしっかりと基礎固めができた証拠だろう。知識があるから、『何を聞けばいいのか』をしっかり自分で把握できている。ゆえに、質問も多くなる。何も知らなかったら、そもそも質問すらできないからな。
そういう意味で、これはとても良い変化だ。随分と質問上手になった。あとは俺が、知識の使い方を教えてやればいい。
……と、ここだけ見れば、まあ、順調そのものなのだが。
「どうだ? 今の説明で大丈夫か?」
「うん! すっごく分かりやすかった!!」
「そうか。まあ、また何かあったら質問してくれ」
「……えへへ」
最近は教え子としてだけではなく、恋愛教師としての変化も見られており。
「教えてくれてありがとね? セーンセっ♪」
「っ!?」
こうして、急に俺の耳元まで唇を持ってくるようになったのは。どう考えたって、悪い変化だろう。
「あははは! センセー、また顔真っ赤にしとるぅー! そろそろ慣れようよー!」
遠慮なく俺の顔面を指差し、「ぷぷぷ!」と小バカにする失礼JK。
「だ、誰が慣れるか、こんなの! 大体、毎日毎日至近距離で囁いてくる女なんて居るわけないだろ! どこに女心を学ぶ要素があるんだよ! 自重しやがれ恋愛教師!!」
「ふっふっふ。自重しないよ、家庭教師クン。世の中色んな女の子がおるけん、もしかしたら、毎日耳元で囁いてくる子も居るかもしれないでしょ? そんな子に対して、毎回顔まっかっかにしてたら、センセーも男としてみっともないでしょ? だから、アタシが耐性をつけてあげようとしてるの。……あと、慌てふためくセンセーを見てるとアタシが楽しい」
「お前それ絶対最後のが本音だよな!? マジでやめてくんねぇかな!?」
「ぶっぶぅー。女の子に声を荒げるのはマイナスポイントですぅ。今日のセンセーは三十点」
「な、なんたる理不尽……」
散々好き放題されたあげく、なぜか結果は赤点ギリギリ。ここ数日はずっと、このザマである。オープンキャンパスの時に八十点を取って以来、結局自己ベストの更新はできていない。
「ふふふ、センセーはいつになったら、アタシの百点を貰えるんだろうね?」
「知らん。つーか、今はお前が生徒として合格点取るのが最優先だろ。そろそろ授業再開するぞ」
「はいはい、わかりましたぁー」
微塵も敬意を感じない敬語で返事をしつつ、教え子は再び筆記用具を手に取った。
小さくて柔らかな指に握られているシャーペンの持ち手は塗装が剥がれかけており、かなり色あせているように見える。
生意気で、自由奔放で。話しているだけで、疲れることもある彼女。しかし、それはなにより、彼女が受験生として努力を積み上げてきた事実を示す証左だった。
「……まあ、この調子でいけば心配無いか」
「ん? 今何か言った?」
「あー、いや。ただの独り言だ。気にせず頑張れ」
「? う、うん、わかった。がんばるね」
そう言って首を傾げた教え子を見て、少し発言を後悔する。
もう神楽坂は十分頑張っている。出会いが最悪だったのを忘れてしまいそうなほどに、今の彼女はひたむきに取り組んでいる。それを一番知っているのは、俺だ。
だから、頑張れ、なんて言葉はかけるべきじゃなかった。
──きっと、そんな迂闊さがあったから。俺は後で、あんな大失敗をしてしまったんだろう。
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