エースはまだ自分の限界を知らない [7.5 第二次WBC編]
草野猫彦
一章 代表選考
第1話 ドリームアゲイン
西暦20XX年――。
地球は核の炎に包まれることもなく、地域紛争は頻発していながらも、平穏の中にも小さな悪意を隠し、それなりに厳しくそれなりに優しく時が過ぎていっていた。
そしてその年、行われたのがWBC本選の予選。
これまでの実績から既に、20ヶ国は予選免除で出場が決まっている。
翌年の三月に行われる本選に出場する、それ以外の12ヶ国が決まったのであった。
ちなみに日本は、この世界ランキングでは一位である。
アメリカは上位三位にも入っていないのだが、これは仕方がないと言えば仕方がない。
国際大会などよりも、MLBの試合の方が重要だと考える人間が多いのだ。
その閉鎖的な環境から、果たしてWBCなどに価値はあるのか、という疑惑はずっと続いている。
ただ第一回大会などは、アメリカはそこそこ本気の面子であった。
そこで負けてしまったからこそ、MLBの価値を守るために、選手を出し渋るようになったのではないか。
もちろんシーズン開幕前のこの時期に、本気の試合をやって故障するリスクはある。
だがMLBのオーナーも選手も、WBCに出場することに対して、メリットがあまりに少ないと考えている。
WBCにも一応賞金というものがある。
また選手には出場に際して、ある程度の金額が払われる。
だがそれはMLBはもちろん、NPBの年俸に比較しても、あまりにも安いものである。
10数日の大会期間に、何試合も出場して、NPBのオールスターMVPの賞金と同じぐらい。
そんなものにシーズン前の、重要な調整機関をあてるわけにはいかない。
しかもこれを、WBCを主催するMLBの球団オーナーが言っているのだ。
日本はWBCにおいて、過去最多の優勝数を誇るチームである。
特に前会やさらにその前の大会などは、他の全てのチームを圧倒したものである。
ただ直近の他の国際大会は、主力となる選手の故障や、MLBへの挑戦の時期が重なり、戦力を集めるのに失敗してベスト4で姿を消している。
それでもいまだに他の大会で結果を残しているため、世界ランキングは一位なのだ。
次の大会も、優勝を狙うのか。
もういいんじゃないか、という声もないではない。
少なくともメジャーリーガーを全員招聘するような、そこまでの価値はないと思っている。
サッカーのワールドカップに匹敵するような、そんな大規模な大会。
当初はMLBもそれを狙っていたのだろう。オリンピックから野球が正式種目から外れてしまったという背景もある。
だがワールドカップと違って、その国の代表に、その国を代表するような選手が出てこない。特にアメリカ、お前である。
ただ、そこは日本の国民性とでも言おうか。
参加することに意義があるし、参加するからには勝ちにいくべきだ。
それになんだかんだと言って、野球はやはり日本の中では、相当に大きな金が動くスポーツである。
競技人口も最近は、また増えているという。
そんなスポーツの世界大会には、それなりの選手を召集したい。
お偉いさんたちは、密室の会議で決める。
だが特に変な偏向もなく、普通に実力で決めていった。
まずは50人をリストにして、そこから最終的に30人の登録メンバーを決める。
ただピッチャーだけは特別に、故障者などが出た場合、リーグ戦と決勝トーナメントの間に、二人の入れ替えが認められる。
この二人は10人の予備メンバーの中から選ぶことが出来る。
「まずは上杉でしょう」
「上杉ですな」
誰もが認める日本の大エース。
国際大会においても無敗の男である。
日本というチーム自体が負けても、上杉個人が負けたことはない。
大会開催時にはもう34歳であるが、去年も沢村賞を受賞し、おそらく今年も受賞するであろうと見られている。
ぶっちぎりの沢村賞最多受賞者であり、巷ではもう沢村賞ではなく、上杉賞を作るべきではないか、などとも言われている。
もう二度と出ないであろうと言われていた、300勝投手。
去年の時点で、その領域を超えていた。
二年間を怪我のため、先発としては登板していなかった。
もしその怪我がなかったら、果たしてどこまで勝利数は伸びていたか。
MLBで一年プレイして、巨額の年俸のオファーを受けたが、関心を示すことなく帰国。
こういった日本代表としては、絶対に出てくるであろう日本のエースである。
ピッチャーは14人以上が定数として決められていて、そこに先発、中継ぎ、抑えを入れないといけない。
球数制限が存在するので、上手くやりくりしなければいけないわけだが。
選出委員の頭の中には、当然ながらものすごく少ない球数で完封する、怪物の名前が浮かんでいた。
「佐藤はどうでしょう。兄の方ですが」
「ああ、佐藤ね」
「リストには入れるしかないでしょう。球団が出すかどうかは別ですが」
直史の所属するアナハイムは、今年も優勝候補の双璧と呼ばれている。
来年までの契約がある以上、来年三月に行われるWBCには、球団の許可が出ないのではないだろうか。
正直なところ、先発も出来れば中継ぎも出来て、抑えも出来てしかも球数を節約出来る。
こんなピッチャーは当然ながらリストに載るわけであるが、どうにも日本の野球界では、佐藤直史は異端児である。
リストアップしないわけにはいかないが、どうしても気分が乗らないところはある。
本人は日本代表などであると、比較的乗り気になるのだが。
かつてWBCの前に、日本代表と大学選抜で勝負し、大学生だった直史が、日本代表をノーヒットノーランに抑えた。
あれがトラウマになっている、プロ野球関係者は多い。
後の日米決戦では、アメリカを完全に封じてくれたことに、おおいに喜んだものであるが。
直史に限らず、MLBから選出するのは、チームがかなり嫌がるのだ。
まだしもアメリカ代表に出すのならともかく、他のチームの代表なので。
それでも大介や武史を、リストアップしない理由にはならない。
どのみち正式な決定は、来年にならないと決まらないのだ。
ただ前例からするとラッキーズの井口、シアトルの織田あたりは、出場が難しいだろう。
一方でトローリーズの本多は、WBCで使用されるスタジアムが地元のトロールスタジアムのため、チームとしても出さざるをえないか、と思える。
やはり問題は、佐藤兄弟と大介、それに樋口あたりであるのだ。
所属チームが確実にワールドチャンピオンを狙えるチームのため、シーズン前の調整は慎重に行わなければいけない。
MLBで三年連続、そしておそらく今年もサイ・ヤング賞と取るであろう選手や、四年連続、そしておそらく今年も三冠王を取るような選手の出場を認めてくれるのか。
このあたりは契約がどうなっているのか、に全てがかかってくる。
「佐藤を呼べば白石はついてくるし、白石を呼べば佐藤もついてくると思うのだが」
「ただチームから二人というのはさすがに向こうも拒否するのでは……」
そんな会話をしつつも、リストの作成は進んでいったのである。
直史にとって四年目のMLBシーズンが終わった。
チームとしての結果は別として、四年連続四度目のサイ・ヤング賞受賞は間違いないだろう。
個人としてのキャリアにおいては、それでMLBの連続受賞記録に並んだことになる。
そして来年には、おそらくそれを更新する。
今年は古巣というか、アナハイムに戻って大活躍したわけであるが、本人は涼しい顔。
もっとも直史はただ、表情を作る余裕もないほど疲労していただけであるが。
やはりポストシーズンは疲れる。
そんな直史がオーナーであるセイバーからの誘いを受けたのは、オフシーズンに日本へと戻る前のこと。
MLBアワードの各種表彰が、まだ終わっていない11月初旬だ。
呼ばれたのは直史だけではなく、相棒でバッテリーを組む樋口と、今年からアナハイムに加入したNPBからの移籍組である阿部。
つまりアナハイムにおける、日本人メジャーリーガーである。
アレクが呼ばれていないのは、あくまで国籍がブラジル人であるからか。
アメリカの永住資格を取りたいと、前に言っていたものだが。
執務を行う部屋ではなく、事務所の応接室に呼ばれたのは、来年の契約などだとすると異例の措置だ。
「なんで呼ばれたんだと思う?」
「日本人だから呼ばれたみたいだけどな」
阿部のほうに視線を向けても、彼も首を振るだけである。
とりあえず一年目としては立派な数字を残したし、進退に関係した話ではないと思うのだが。
「待たせてごめんなさい」
そう言って入ってきたセイバーは、なぜか鼻の頭を赤くしていた。
また転んだかぶつけたかしたのだろうか。ドジっ子アラフォーにはあまり需要がないと思う直史である。
対面してセイバーは座り、その隣には書類らしきものを持った、秘書が同じく座る。
直史の見知った早乙女ではなく、この一年は良く見た球団職員の男性だ。
「シーズンが終わって早々だけど、確認しておきたいことがあって」
まだこれから、各種MLBの表彰イベントは控えている。
直史は一度日本に帰国する予定だが、阿部なども新人王の候補にはなっている。
樋口はいつも通り、普通に帰国するのだろう。
日本人だけを集めて、わざわざ話をするのか。
あるいは国籍別に話をするのか。
「来年のWBCのことですが」
その導入で、ああ、と直史たちは分かった。
WBC初期はともかく、回を重ねるにつれて、日本人メジャーリーガーを出場させたくないオーナーは多くなっていった。
祖国アメリカの戦力なるわけでもなし、ましてやランキング一位の日本への戦力追加。
「三人はどうしたいですか?」
なのでセイバーの質問は、阿部にとっては意外であったろう。
直史と樋口は、ある程度セイバーの性格を把握しているが。
樋口は四回目だが、直史としては三回目のWBCとなる。
ただ一度目は大学時代に、樋口と共に特例で選出されたものだ。
世界最強のバッテリーとも言われる、直史と樋口。
確かに実績を見てみれば、この二人を上回る者はいない。
どうすんべ、と直史は樋口を見たが、樋口も同じ表情をしていた。
「そういえばアレクには代表権ないんでしたっけ?」
アメリカ代表の中には、国籍がアメリカでない人間もいたはずだ。
またアメリカ国籍であっても、キューバ代表として出場した例がある。
アレクは日本でのプレイ経験も長く、そのあたりは直史も把握していない。
「彼も持っているけど、彼の場合はさらにアメリカとブラジルの代表権もあるから複雑なのよ」
ただアレクまで参加するとなると、アナハイムは主力が四人も抜ける可能性があるのか。
WBCはオリンピックなどと違って、明確な出場資格があるわけではない。
一応は七つの条件のうち、どれかを満たせばいい。
1・当該国の国籍を持っている
2・当該国の永住資格を持っている
3・当該国で出生している
4・親のどちらかが当該国の国籍を持っている
5・親のどちらかが当該国で出生している
6・当該国の国籍またはパスポートの取得資格がある
7・過去のWBCで当該国の最終ロースターに登録されたことがある
直史たちの場合は、完全に1の条件に当てはまる。
アレクは1でブラジル、2で日本とアメリカの条件を満たしているらしい。
ただ直史が思うに、アレクは日本もアメリカも代表としては参加しないだろう。
ブラジルは前回、一応予選を突破している。今回はいない。
だがそのブラジルでも、アレクは出場しないと思う。
基本的にアレクは、金が目的でプレイをしている。
それに眉をひそめるのは、恵まれた人間だけであろう。
アレクは将来的には、家族も全員アメリカに連れて来たいなどと言っていた。
そんなアレクが故障の心配があり、年俸への査定も関係ないWBCに、出場するわけがないのだ。
直史には郷土愛から、樋口には打算から、WBCへ出場しようかなという意思はある。
だが果たして、出場するだけの価値はあるのか。
それにアナハイムという球団に対する愛着もある。
他に代表として選ばれそうな選手も、それなりにいるのだ。
「ちなみにターナー選手と、ボーエン選手とゴンザレス選手が、候補にはなっています」
やはりアナハイムの主力である。
「まあすぐに決めなければいけないわけでもないですが、私自身は選手のWBCへの参加を、特に止めるつもりはありません」
セイバーの視野は、全世界を向いている。
今のMLBが盛り上がっているのは、単純にスーパースターがいるからだ。
そのスーパースターのプレイを見せることによって、世界全体の野球の市場を広げたいというのはある。
セイバーの視点は、短期的なものと長期的なもの、両方を持っている。
ただ選手たち全員が、そんな高い次元から物事を見ているはずもないのだ。
どうしようか、と三人はとりあえず、クラブハウス近くのレストランに入ったりした。
レジェンドである二人に対し、MLB一年目がようやく終わった阿部は、比較的口数が少ない。
「日本からはまだ何も言ってきてないよな?」
樋口の質問に対し、直史は首を傾げる。
「俺の場合は直前の交代だったから、例外だったしな」
「そういえばそうか」
樋口もその時は同じ扱いで、学生から特別にエントリーされた。
だがその後に一度、正式な手順で選ばれている。
NPBから声がかかるのは、日本シリーズも全て終わった、オフに入ってからだという。
ならばMLBのワールドシリーズが終わったこの時期、連絡があってもおかしくない。
ないということは、選ばれないのではないか?
ただ直史も樋口も、代理人を雇わずに自分で交渉している。
阿部は代理人がいるが、そこで少し止まっているのだろうか。
もしも声がかかっているなら、大介と武史あたりにも、連絡があるはずだ。
もしかしたら今回の日本代表は、メジャーリーガーを抜きで構成されるのだろうか。
セイバーに言われるまで忘れていたが、声もかけられないのは寂しい。
日本代表にはそれなりに愛着のある直史である。
そんな直史の端末に、着信音がかかってくる。
見れば瑞希からの連絡であった。
「ちょっと嫁からの連絡だから」
そう言って電話に出る直史。
「もしもし?」
『今、大丈夫?』
「ああ、話は終わって男三人で食事してるとこ」
『NPBからなぜか私に電話があって、WBCのことについて、樋口君とも連絡が取りたいって言ってるんだけど』
どうやら連絡が取れなくなっていたらしい。
そしてそこに、樋口の端末にも連絡が来る。
懐かしのバッテリー、上杉正也からであったが、こちらはメールだった。
『なんだがNPBが来年のWBCへの参加について、お前と連絡が取れなくて困ってるぞ』
似た者バッテリーである。
なお、その後に阿部には、普通に代理人から連絡が入ったのであった。
×××
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