飾って透明人間
睡眠欲求
0 moratorium/少しだけ
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結菜は玄関の前にいた。座っていた。季節は冬だった。一八になる彼女は寒さに震えていた。彼女にはそうしておく他なかった。築三十年ほどのアパートの二階は強風が吹けば倒れてしまいそうなほどボロかった。その廊下に彼女はいた。
「寒い」
彼女は言った。それ以外のことは考えられなかった。考えようとしても寒さに阻まれる。日は落ち、黒い雲で空は覆われていた。彼女がそこに座り始め五分後には雨が降り始めた。だがその扉は開かなかった。雨が時より風によって流され、彼女を打ちつける。彼女は動かない。他に行く場所もなかった。目に光は宿っていない。
「寒い」
彼女は言った。
「寒い」
彼女は言った。
「寒い」
彼女は言った。一定間隔でその言葉のみが出てきた。それ以外の言葉は発しない。一時間経ってもその扉は開かない。時間は二十三時をとうに過ぎていた。雨は強くなり続けた。彼女の足や腕にはいくつかアザがあった。それが雨に当たる度、痛んだ。彼女は表情を歪ませる。階段を上がる音がする。一段一段しっかりと踏み登るその足音は彼女の耳にも届いていた。視線を階段へ向けた。彼女が最初に見えたのは黒い傘だった。次に帽子。昔のサラリーマンが被っているような帽子だ。それは再流行するのにまだ時間が必要な代物だ。次にメガネ。そしてマスク。服は茶色ロングコートを着ていた。手は黒い皮の手袋がはめられている。階段を登り二階についた男は彼女に近づいてくる。彼女は下を向く事しかできなかった。なるべく不審に思われないように。彼女を打ちつけるはずの雨が彼女に当たらない。彼女は顔を上げると目の前にさっきの男が立っていた。彼はしゃがみ込んだ。彼女はどこか違和感を覚えた。彼は胸ポケットから手帳を取り出し、何かを書き始めた。書くのをやめるとそれを彼女に見せた。
『どうしたの?』
そう書かれていた。その文字はどこか優しく丁寧な字だった。
「寒い」
彼女はそう返答した。そして彼女はその違和感の正体に気づいた。彼は顔がない。メガネや帽子、マスクなどが宙に浮いているのだ。
「ない」
彼女はそう一言言った。彼はまた書き始める。
『透明人間』
そう書かれていた。彼女はその字を見て納得した。それだけの説得力があった。彼は透明人間だった。
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