第171話・勇者と皇帝になりたくない男
side・サミラス
バルバドス兄さんはもうダメだね。
とうとう腹心の宰相まで私の元に手紙を寄越した。
これ以上は軍も貴族も抑えられないので、帝国の為に助けて欲しいという内容の、らしくないほど弱気な手紙だ。
自身は宰相を退き隠居するので、宰相の家を継ぐ息子を是非とも助けてやって欲しいとある。
流石にこれ以上騒ぎになると帝国が割れてしまうか。
私も決断しなくてはならない。帝国の為に動くか、このまま流れに身を任せるか。
「どなたかな? 来客の予定はなかったはずだけど」
そんな悩みを考えていた時、ふと気付くと誰も居ないはずの私の執務室に見知らぬ男が立っていた。
いつ入ってきたのかすら分からぬが、男の雰囲気からタダ者ではないのが分かる。まさか兄さんの刺客か?
「悪いな。ちょっと急ぎの用でな。これをあんたに届けに来たんだ」
皇宮程ではないが防備が固めてある私の部屋に、誰にも気付かれずに来る男に私が敵うはずもない。
とりあえず話をして様子を見るしかないが、男が私に手渡してきたのは父上の紋章の入った皇帝専用の手紙だった。
「今話題の空の勇者殿とこのような形で会うとはな。一応父上のナイフを見せてもらえるかな?」
「ああ、いいぜ」
手紙もナイフも本物だ。
しかも手紙には父上がバルバドス兄さんに軟禁されていることや、呪いをかけられ勇者が解いてくれたことまで書かれている。
それに皇家に覇王が生まれたとは。
バルバドス兄さんは何を考えているんだ?
「なるほどミレーユは誰にも見つからぬ訳だ。勇者殿が保護していたとはな」
「偶然襲われてるの見つけてな。助けちまった以上、放り出す訳にもいかねえだろ?」
「義理以上の手厚い保護に感謝する」
「構わねえよ。子供を守るのは大人の仕事だ。別に命を賭けてる訳でもねえしな。嬢ちゃんは元気だぜ」
男は今帝国で話題の空の勇者だったか。
見たこともない高速の空中船を持ち、旅をしながら人々を助けているという新進気鋭の勇者だ。
ミレーユも父上もそんな勇者に助けられるとは運がいい。
「勇者殿。すまないが父上に手紙を届けて欲しいのだが可能か?」
「ああ、構わねえぜ。だがその前に聞いておきたい事がある。あんた皇帝になる気はあるのか?」
「ないと、今までは答えて来た。本音では今も出来ればなりたくはない。だが先祖代々守り抜いた帝国を、私の一存で潰すほど親不孝をしたくはない」
「なるほど。道理だな」
「ミレーユの件も悪いようにはしない。魔族が本当に現れるにしても時と場合による。私が生きてる間ならば、私が帝国を纏めミレーユが力を貸す形が一番無難だろう。だがダークエルフという長命種に覇王が生まれたからには、何時になるかは分からない。私が死んだ後は、また別に考えねばなるまいな」
もしかすればこの時期に勇者殿が帝国に来たのは、神の導きなのかもしれない。
勇者殿は信義に厚い男のようだ。一国の御家騒動に巻き込まれてなお嫌な顔一つしない。
空の勇者は報酬や名声にあまり興味を示さぬ気まぐれな男だと聞いていたが、恐らく彼なりの生き方があるのだろう。
空中船で自由に空を飛び、自らの生き方を貫く勇者か。
少し羨ましいね。
「それにしても勇者殿は豪快な男だと評判なのだが、実は皇宮にまで忍び込めるとは驚きだね」
「時と場所は弁えてるつもりだぜ?」
「ああ、感謝する。噂の中の勇者殿だと皇宮に乗り込み、バルバドス兄さんと直接対峙しそうだからね」
「そんなことしたら、収拾がつかなくなるだろうが」
「本当そうなんだよね。私としてはバルバドス兄さんが皇帝を継いで、そこそこの暮らしが出来たら理想だったんだけど。これも運命かな」
偶然か神の導きか結論は後世の歴史学者に任せるとして、勇者殿は帝国に訪れた最後のチャンスだろう。
父上に最後の皇帝なんて称号を与えるのは、息子として忍びない。
「では使いっ走りみたいなことをさせて済まないが。父上にこれを渡してくれ」
「おう。任せとけ」
「ああ、出来れば次からは玄関から入って来てくれ。少し心臓に悪い。正直バルバドス兄さんの刺客かと思って、寿命が縮まったよ」
「了解。オレの名はジョニー。次からは名乗って玄関から入るよ」
勇者殿は手紙を預かるとテラスに出ていき、そこで姿が消えた。
何をどうしたのか見当もつかないが、気持ちのいい男だったのは確かだ。
だが私が皇帝か?
似合わないな。バルバドス兄さんも変な欲を出さずに上手くやってくれれば良かったものを。
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