第2話 囚われの天使
少女に連れてこられたのは、出店通りからほんの少し離れたところに建つ立派な屋敷だった。壁面に施された装飾からは長い歴史が感じられる。厳重な扉の前に立つと、より一層迫力があった。存在感に圧倒していると、少女がメモを見せてくる。
【そういえば、自己紹介がまだですね。私の名前は、エルシー・キャンベル。エルと呼んでください】
「俺はリューガ。適当に呼んでくれ」
屋敷に入ると、一人のメイドが慌てて駆け寄ってきた。
「お嬢様!? もうお帰りになったのですか? そのお連れ様はいったい……?」
メイドの口ぶりから、この屋敷は彼女の家なのだろうと予想できる。やはりエルは大豪邸のお嬢様であるようだ。
いつものやり取りなのだろう。エルがメモ帳にペンを走らせるのを、メイドが側からそっと覗いている。
【ただいま、カレン。心配はいりませんよ。こちらは私の友人です。おもてなしに、あとで私の部屋にお茶を持ってきてください】
「ご友人ですか? わかりました。すぐ準備いたします」
エルはどうやら、俺を友人として紹介したようだ。友人。何だかむず痒い。慣れない響きに落ちつかないでいると、エルが俺の手を引く。
【私のお部屋に案内します】
エルの部屋は屋敷の内装と同様に、おしゃれなアンティーク家具が並ぶ落ち着いた空間だった。奥には大きな出窓がついていて、腰掛けられるようになっている。
エルは出窓に腰掛けると、俺を手招きした。窓からは、先ほどの出店通りが見渡せる。
【私の家は代々、この街の商人たちを取りまとめているんです。今は私の父が、その役目を担っています】
「へぇー、どうりで、こんな豪邸なわけだ」
ということは、彼女の父親がここの商会の長、ということになる。つまり、ここは人が良すぎる商人たちの元凶というわけだ。
【皆さん、いい人ばかりでしょう?】
「ああ。むしろ人が良すぎて心配なくらいにな」
俺の返答に、エルがくすくす笑う。何か変なことを言ったかと困惑したが、エルはすぐにペンを走らせた。
【父の教えなんです。「自分の家に帰ってきたような、ほっとした空間をつくる」】
なるほど。その感覚は、俺も身に覚えがある気がした。
「だから皆、親身に話を聞くわけだ……」
俺の小さなつぶやきが聞こえたのか、エルは心配そうに俺の顔を覗きこんでくる。何でもない、となだめると、エルは再度ペンを握った。
【この街は、大半がリューガのように旅人で、定住者が少ないんです。だからこそ、いつか再びこの街を訪れた時、ほっと安心できる場所にしようと、父はいつも言っているんですよ。特に、言葉を大切にしようって】
「……言葉?」
【たぶん、父がそう言い始めたのは私が生まれてからだと思いますが】
ペンを走らせていたエルの手が止まる。どうしたのかと顔を上げると、扉をノックする音がした。
「お嬢様。お茶菓子を持って参りました」
「はーい」
一瞬、エルの様子が変だった気がしたが、メイドが運んできた美味しそうなお菓子を見て、彼女は満面の笑みを浮かべている。メイドが部屋を出ていった後、俺たちは部屋にあった小さなテーブルを挟んで座り、しばらくお茶菓子を堪能することになった。
「そういえば、俺は何でここに連れてこられたんだ?」
色々あって忘れていたが、俺は突然エルに手を引かれてこの屋敷に来たのだった。怪訝そうな俺をみて、エルは椅子を俺の隣に持ってくると、先ほどのように筆談をし始めた。
【リューガが私の声を聞いたからです】
ぽかんとしている俺に、エルは続けた。
【色々説明する前に、見ていただいた方が早いですね】
エルはペンをおくと、首に巻いていたスカーフをするするとほどき始めた。
「エル、それ……」
そうして露になったのは、エルの白い首元には似合わない、赤黒い痣のようなものだった。古い紋様にも見える痣が、首輪のようにエルの首に刻まれている。
【これは、 “呪い”なんだそうです】
衝撃の告白に俺は思わず困惑する。
【この呪いは、私が一生の間に紡ぐことのできる言葉の数を縛っているんです】
人間の一生は限られている。そのことを考えると、これは当たり前のことのようにも思えてくる。しかし、彼女が言っているのはそういうことではないのだ。
ペンを止め、エルが席をたつ。テーブルから少し下がると、エルは俺をしっかりと見据えた。
エルが首元の“呪い”に手を添える。
すると、真っ黒な魔方陣が出現し、彼女を囲んだ。その光は紫でひどく毒々しい。
エルの前には、黒い半透明な水晶が浮かんでおり、六角柱の水晶の中には、黒みがかった紫色の光がたまっている。その光は水晶全体には行き渡っておらず、光は水晶の三分の二ほどになっていた。
下から柔い風が吹き上げているかのように、エルの美しいブロンドの髪がなびいている。その姿はまるで、悪魔に監獄された天使のようで、何だかとても痛々しい光景だった。
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