言葉を忘れた旅人は、囚われの天使に恋をする

枦山てまり

第1話 出会い

 言葉は、単なる道具だ。人を簡単に操ることができる便利な道具。騙される奴が悪い。


 俺はずっとそう思っていた。


「……あの」


 かすれるくらい小さな声で、俺は店番に声をかけた。


「どうしたんだい? にーちゃん。そんなボロボロな上着をかぶって」

 

 所々破けて、すす汚れた外套を羽織る俺を、服屋の親父は心配そうに見つめている。その様子を見て確信した。


 これは、いける。


「……実は、旅の途中で盗賊に出会ってしまって…。持ち物も全部奪われてしまった挙げ句、家族も……」


 俺がうつむき、言葉をつまらせると、服屋は優しく声をかけた。


「皆まで言わなくていい。それは、辛かったな。お前さん、まだ15、6くらいだろうに」


「…………」


「これ、着ていきなさい」


 服屋は俺に上等な上着を羽織らせた。動物の毛皮があしらわれており、使われている布の手触りも良い。これはきっと良い値がつくだろう。


「……でも、こんな高価なもの」


 申し訳なさそうな俺に、服屋は朗らかに笑う。


「お代はいいんだ。その代わり、お前さんはこれから強く生きていくんだよ」


「はい。ありがとうございます……!」


 服屋に会釈して出店通りを歩き出す。


 店を背にして歩きながら、俺は不適に笑った。


 -このやり取り、何度目だろうな。


 俺は人混みに紛れた先で、その上等なコートを質屋に売った。コートは予想以上の良い値がつき、俺は非常に満足だった。


 先ほどの商人の笑顔が頭をよぎるが、何てことはない。


「……言われなくても、俺は強く生きてくよ」


 俺は今まで、色々な街を転々としてきた。その経験をふまえても、言えることは一つ。


 この街の商人は人が良すぎる。


 だが、それは俺にとって好都合。これならいくらでも稼げそうだ。


 次なるターゲットを探そうと、辺りを見まわしていると、良さそうな人物を見つけた。


 噂が好きそうな婦人の店。手作りのアクセサリーや、宝石細工を売っているようだ。こういう店では物乞いをするより、適当な情報を売る方がうまくいくだろう。俺はボロボロな外套の上に、それなりのローブを羽織って店に近づいた。


 店には先客がいた。ゆるくウェーブがかったブロンド髪の少女。歳は俺とあまり変わらなそうだが、上等な衣服を着ている上に、ハーフアップにした髪には空色の上品なバレッタが輝いている。


 -金持ちか。あいつもターゲット候補だな。


 内心でいつものように計画を練っていたが、そんな考えも一瞬で打ち消されてしまった。


「ありがとうございます」


 少女の声が聞こえた。


 凛としていて、透き通るように美しい声。それでいて、聞いていると何だか暖かくなる。


 その声に、どうしてか俺の心は惹かれていた。


 -もう少し、聞いてみたい


 似合わない想いが浮かんだからだろうか。俺は、彼女を見つめていたようで、少女はこちらに気づくと首をかしげていた。


「……?」


 言葉を発することなくこちらを不思議そうに見つめている。少女の淡い空色の瞳が、「どうかしましたか」と問いかける。


「えっと…、こんちは」


 はっとして、とりあえず挨拶すると、少女は微笑んで小さくお辞儀した。言葉はない。


「挨拶くらい、口でしてもいいんじゃねえの?」


 声が聞けなかったのか残念だったからか、少し拗ねたような口調になってしまう。少女が驚いてこちらを向いたので、俺は小さく付け加えた。


「……まあ、いいけど」

 

 俺の機嫌を損ねたと思ったのか、少女は慌てて鞄から小さなメモ帳を取り出すと、何かを書き始めた。


【すみません。私、わけあってお話することができないんです】

 

 見せられたメモには、申し訳なさそうに小さな文字が並んでいる。メモから視線をはずすと、彼女は必死になってぺこぺこ頭を下げていた。


 こんなに謝られては、居心地が悪い。しかし、俺はどうしても先ほどの出来事が引っかかってしまう。


「でも、さっき店で話してたよな」


 不思議に思って尋ねると、少女は驚いて口をつぐんだ。


 聞こえたのは一言だったが、彼女は確かに話していた。俺が惹かれたのは間違いなく彼女の声だ。


 -声が出せるのに話せないのか…。相当お嬢様っぽいし、知らない奴とは話しちゃいけないとか言われてんのかな。


 結局は身分の差なんだろう。いくら人が良すぎる街でも、そういう所はどこも同じだ。


 自分で出した結論に何だか気落ちしてしまっていると、少女が俺の手をつかんだ。何かを否定するように勢いよく首を振る。


【ちょっと来てください!】


「……え?」


 驚いた俺に構わずに、少女は俺の手を引いていく。彼女の白くてか細い手を振り払うすべもなく、俺は一緒に走り出した。

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