風光明媚な地獄へようこそ!

伊東へいざん

第1話 鬼ノ子村

呪われた村


「風光明媚な地獄へようこそ!」

 男は、歪んだ死骸に吐き捨て、窓の外に目をやった。さっきまでの激しい霙が嘘のように晴れ、青々とした空の元で一面白銀の雪景色が広がっていた。男はその美しい景色に大きな溜息を吐き、転がっている死体に舌打ちし、廃虚を出た。


 10年前・・・秋田の山奥のそのまた奥の森吉の山懐には、かつて金、銀、銅の採掘で栄えた阿仁マタギと呼ばれる狩猟民族の村があった。しかし時代の流れで今では限界集落が点在するばかりとなったが、東日本大震災で火葬船が竣工されるや、全国の火葬待ちの遺体が家族を連れて殺到し、鬼ノ子村は一気に潤い奇跡的に息を吹き返した時期もある。秋田県北秋田市阿仁打当火葬船村。山並みに囲まれたこの盆地は、常態的に廃線が囁かれる単線が走っている。紅葉シーズンには、赤い大又川橋梁に差し掛かると運転士が車両の速度を緩め、観光客に景観を堪能させてくれるスポットもある。橋梁の眼下を這う鬼ノ子川には今日も船が浮かび、長い煙突から薄っすらとした一筋の水煙が空に消えていくのが見える。

 村復興の勢いとコロナ過の移住ブームで、少しは人口も増えたが、結局高齢者の死が上回り、点在する村々の総人口は4千人を切った。移住者にしても、先住民とのトラブルが絶えず、永住を断念して村を去る者が後を絶たなくなった。活気に満ちていたはずの村々は、地元民の少子高齢化が相まって、このところ更に過疎化の一途を辿り始めていた。

「地元民の意識改革なしに鬼ノ子村の未来はない」

「都会の恵まれた環境で好き放題暮らして来たやつらが、役立たずになったからと言って、今度は田舎で安穏と暮らそうなどと虫がいいんだよ。此処に来たら此処のしきたりに従ってもらわないと」

「移住者を受け入れる以上、彼らとの対立は、村の存亡に関わる絶対に有ってはならないことなんだ。移住者に村の掟を強いるなどという時代錯誤は移住対策の根幹を揺るがす。村民の意識改革こそ喫緊の課題なんだよ。宣伝に力を入れるのもいいが、温い! もっとこの村の良さを前面に出さないと!」

「しかしこのパンフレットは東京の有名な広告代理店に…」

「やつらに何が分かる! ライターとカメラマンが2、3日だけ来て、ちょちょっと体裁よく作り上げただけじゃないか! 他の自治体と比べてみなさい。殆ど同じだ。こんな制作側に都合のいいマニュアルどおりのパンフレットでこの村の何が分かるんだ!」

 紛糾気味の場に村長の小笠原清次が割って入った。

「村には移住者にとってマイナス部分だってあるということをちゃんと説明してやらないとそれは詐欺だ」

「しかし、この村はこれと言って観光客が喜びそうなものはない。税収を上げるには都会の人間に来てもらって金を落としてもわないと…」

 村長はいつまでも旧態然としている副村長の加藤に業を煮やしていた。

「加藤くん、あんたは何処に目を付けているんだ!」

 役場に村長の怒鳴り声が響いた。

「風景があるだろ、静けさがあるだろ、質素な山菜料理や川魚があるだろ。我々にとってはそれが日常でも、都会からの彼らは、そういった素の生活を求めて来るんだよ。それに一番大切なのは真実だ。真実を話して “移住すれども定住せず” のジレンマを脱する必要があるんだ」

「村長、それはあくまで理想論で…」

 副村長の陰湿な声が響いた。しかし、村長はその発言を遮った。

「“それはあくまで理想論で” というが、それこそが移住者の知りたいことなんだよ。この村に来る移住者の誰がフランス料理や豪華ホテルを求めて来てるんだ? 移住に関する真実が知りたいんだよ。根拠のない虚飾まみれの絵空事など三日でバレる。現に地元民との間でトラブルが絶えないじゃないか。現実を示して、その対抗策を説明して、ともに新しい村の未来を設計するという希望を抱いて暮らしてもらうことが彼らの望みでもあり、我々の仕事なんだよ」

 言葉尻を捉えて、また副村長が呟いた。

「そんなんじゃ移住者はひとりも来ませんよ」

 村長は副村長を睨み据えた。

「浮ついた夢を懐いて来た移住者に嘘八百を並べ立てて、これからも彼らを次から次と地獄の現実に落とすのかね」

「税収を上げないと村が潰れてしまうんです!」

「地獄に落とした移住者はすぐに去るか、年金ぐらしになるんだ。どっちにしたって今のやり方では村は潰れてしまうんだ。それより、この村から移住の成功体験者を増やして行くことが必要なんだ。兎に角、今後、移住者向けパンフレットは役場の我々で作成する。すぐに各課の課長を集めてくれ! 編成チームを作る」

「村長の仰ることは確かに正論です。正論ですが、それでは美味しいとこ取りの身勝手な移住者の所為でどうにもならなくなりますよ!」

 消極的な職員に村長の小笠原は切れた。

「誰の責任でこうなっていると思ってるんだ! 移住はしたものの長く住み付いた移住者がひとりもいないのは、彼らの責任ではない! 集落の根深い掟に追い詰められる所為で “移住事故頻発” と、マスコミが騒ぎ出しているんだ。声高に移住者誘致を呼びかけながら、移住者に対する住民らの幼稚な阻害をほっとき、改善策さえ講じていない我々じゃないか!」

 村長の檄に、副村長の加藤は反論できなかった。仕方なく課長たちに召集を掛けるために重い腰を上げるしかなかった。


ムラ社会のドツボ


 村独自で作る新パンフレットの作成会議で残業を終えた課長たちが副村長の家に集まっていた。総務課長の福田完たもつ、住民福祉課長の神成博康、振興課長の千葉元子である。

「あの村長じゃ駄目だ。話にならない。編集し直したところで、あの何の変哲もないパンフレットの素案を見てみろ。この村の歴史というが、朽ちた渡し場に今にも崩壊しそうなボロ屋」

「あのボロ屋ってただのボロ屋だと思っていたけど、荷受けの建物だったんだね」

「昔は川が流通路だったんで、あのボロ屋は道路側は二階建てに見えるけど、川から見ると三階建てなんだよ」

「それで渡し場の朽ちた片鱗があるのか…知らなかった」

「そんなことはどうだっていいんだ! あんな所が観光の場になるわけがない。都合の悪い事までパンフレットに明記するなんて頭がどうかしている。こんなパンフレットじゃ移住者なんて誰も来ない」

 副村長の加藤の持論をぶちまける場になっていた。普段、めったに与しない会計課長の高関春枝と村づくり振興室長の吉田翔も誘われていた。彼らはともに介護を必要とする親を抱えていてすぐに帰宅しなければならない身の上だったが、パンフレット作成会議の流れで居心地悪げに同席していた。その高田春枝が恐る恐る加藤に質問した。

「あの…火葬船とかはパンフレットに載せられないんでしょうか?」

「火葬船と言ったって、火葬場だぞ。火葬場を観光名所に出来るわけがないだろ」

 春枝は頭ごなしに否定され、火葬船の価値に対して言いたいことも有ったが、口を噤むしかなかった。吉田翔は春枝の言わんとしたことを察したが、副村長には何を言っても通じないだろうと、それとなく現状を繰り返した。

「家の出入りから日常の暮らしぶりまで筒抜けの相互監視の強い土地だと悟られてはならないし、住民に協力させて諸手を挙げて歓迎しなければならない。どうすればいいんでしょう」

「この土地に永住するなど、地縁血縁のある者でも難しいというのに、村長の言うような綺麗事では村の疲弊に拍車がかかるだけだ。なに、移住者とのトラブルが起きて、やつらがこの土地を出て行くまでに搾り取るだけ搾り取れる方法を考えればいい」

 吉田翔はもう少し掘り下げて加藤の本音を誘った。

「しかし、村長は “移住の成功体験者を増やして行くことが必要” だと仰っていました。移住者がこの村に根を下せる政策でなければ…」

「吉田くん、そろそろお父さんを看なければならないんじゃないのか?」

 副村長は暗に振興室長の吉田を敬遠した。吉田はその言葉を待っていた。

「はい、では私はそろそろ…」

「私も父の薬の時間なので…」

 会計課長の高関春枝も気を利かせて吉田と席を外すことにした。ふたりが帰ると副村長はいつもの毒気を吐いた。

「役立たずどもが…」

 場に重苦しい空気が充満した。

「新パンフレットの叩き台は村長にお願いする。我々には荷が重過ぎるので、村長の具体的な構想を窺ってから制作に取り組ませてもらうことにしよう。パンフレットの全責任は村長に持ってもらおう」

 部下たちは加藤の意見に呼応し、異議を唱える者はいなかった。妻・睦子の持て成しですっかり酩酊した部下たちは三三五五に加藤家を散って行った。加藤は再び毒気を吐いた。

「どいつもこいつも…役立たずどもが…おい!」

 睦子の返事は返って来なかった。

「役立たずがここにも居たか…」

 睦子はその夜、ひとり酒を呷る加藤を後目に身支度を整えて家を出た。睦子は専門学校に進んで動物看護師の資格を取り動物病院に勤めていたが、両家の勧めで郷里に帰って幼馴染の加藤邦治と結婚したものの、反りが合わず、村の生活にも馴染めず、この村に骨を埋める気にはなれなくなっていた。移住者たちの風が動物病院時代の活き活きとした自分の目を覚ましてくれていた。自分を取り戻すために、離婚届を残して郷里を捨てたのだった。


 移住者の誰もが幾度となく移住候補地を訪れ、役場を訪れては耳触りのいいPRに酔いしれる。地域の住人は旅人には開放的で揺るぎない親切心を浴びせる。移住者はその地に天国という幻影を見てしまう。掛け替えのないこの親切な地元の人たちとの人間関係に絶対に軋轢が生じないようにと細心の注意を払い、土地の有力者や隣人への手土産を忘れずに移住生活を滑り出す。

 しかし、いつかは己に向けられる絶望的なまでの噂を耳にすることになる。“何がいけなかったのだろう”・・・これまでの生活から鑑みて何もいけなかったことはないはずだ。ところが、村の掟の根幹には “嫉妬” が蔓延っていた。移住者が理知的であればあるほど、村人は嫌悪を抱いた。都会の臭いがする移住者の生活スタイルは、まるで吸血鬼にとっての大蒜か銀の十字架に匹敵し、村人の心を遠ざけた。

「都会の連中は税金を渋るくせに、設備はハイカラなのを揃えやがって…」

「玄関にカギを掛けてどういうつもりだ。中でやべえことをやってんじゃねえのか…」

 誰が言い出しっぺなのか、村中を悪意が伝播し、それが事実として定着する。弁解をしようものなら“抵抗された”“脅された”と、また喧伝され、移住生活は次第に孤立へと追いやられていく。移住者には定年組が多い。年金生活者は村にとっては厄介者でしかない。役場の益に繋がらない。医療の逼迫にも追い打ちを掛ける。合理的に生きてきた彼らは、村民との交流に妥協や忖度がない。そうした移住者に村民の異物感は更に増大していった。

「ここで生活出来てるのは誰のお蔭だ。移住者に出来ることは労働奉仕と村に金を落とす事だろ。それが出来ないならさっさと出て行け!」

 それが数多の移住者に強いる村の掟のひとつだ。副村長の加藤は、そうした村の掟を厳守することこそ正義だと固く信じていた。


 翌早朝、村長の小笠原清次は鬼ノ子村を見下ろす高台にたって満足げだった。北秋田市は鬼ノ子村集落のある阿仁地区、そして森吉・合川・鷹ノ巣の四地区からなり、その四地区の各集落には合わせて大小一五〇以上の神社が点在している。神社は一年を通してその集落独自の祭事が催される場所である。未だ “根子番楽” を越える観光素材がないことに業を煮やし、小笠原はひと月ほど前から北秋田市全域の神社を調べ歩いていた。世話人に会い、観光レベルに成り得る行事のある神社を模索していた。驚くことに、一五〇以上もの神社が存在しているにも拘らず、宮司が常駐している神社は数ヵ所に過ぎなかった。全ての集落の祭事には、その限られた数人の宮司が駆けずり回ってその祭事を納めていた。

 この集落には掛け替えのない伝統が未だ息づいている。身近過ぎて気付かなかった己を反省していた。“鬼ノ子村獅子踊り”…この行事は素朴だが充分観光素材になる。鬼ノ子村神社から出発して集落を回り、鬼ノ子村共同墓地で先祖供養の獅子踊りを舞い、鬼ノ子神社に帰還して奉納する。かつて慶長年間(1596~1615年)に佐竹公が元常陸太田(現茨城県)から秋田に転封された折、崩れがちな家来の士気を奮い立たせるために、足軽達の道中芸として披露された大名行列を模し、棒使い、駒踊り、獅子踊りからなる舞が始まりといわれる。棒には、腰車・行き違い・追い討ちなどがあり、駒踊りには、ぶっこみ・場ならし・三拍子・五拍子・三番叟・よりもどし・鎌倉・島乗り・七五三かたのりなどが組み込まれている。獅子踊りは五穀豊穣を祈願して踊るとされ、笛と太鼓のみの囃子で、二匹の獅子が一匹の獅子を巡って激しく掛け声を入れて奪い合う様には、集落民の誰もが心躍らせた。そして再び鬼ノ子村神社に帰還し、馬子役の謡が響く境内は、祭事のクライマックスに相応しい神聖な空気に包まれる。獅子踊りの祭事こそ鬼ノ子村の最も誇れる観光の売りになる。先人が火葬船を建造した努力も無にしてはならない。火葬船は火葬のためだけの意味より、鬼ノ子村の未来が復活する糸口となる。

 四地区に点在する神社を隈なく周り終えた小笠原村長は、小高い丘の上に立ち、そう確信していた。この丘は、かつてはこの集落の祭り事の中心地だった。坂の麓には小笠原も通った小学校があった。運動会になると集落民が挙って料理を持ち寄り、会場を囲んで露店が立ち並び、お祭りさながらの大賑わいだった。麓の小学校も今では廃校になり、その跡形もないが、僅かに玉石の校門が残っている。麓からグランドへの坂を上り切ると、入口に公民館と神社が佇んでいるが、その存在を知る集落民は殆どが鬼籍に入ってしまった。誰だろう…荒れ地となったグランドとは対照的に、公民館と神社の周囲には草ひとつなく綺麗に管理されている。公務に追われて、自分が育った集落の何を見ていたのか…鬼ノ子村の誇れる歴史を伝える努力を怠って来た。副村長の加藤らは今、限界集落に向かおうとしている流れを必死で止めようとするがために、余所者を受け入れる余裕が無くなっている。そうではない…余所者こそこの村を未来に導く。鬼ノ子村は風光明媚なだけの村ではなく、未だ歴史が息づいている魅力的な集落であり、村の歴史を絶やさずにもっと活気付けるために移住者の力が必要なんだということをアピールする必要がある。加藤らは逆行してしまっている。あの男…移住者の新庄要こそ、そのカギを握っているのではないかと小笠原は考えていた。

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