10「暗躍」①





「これで二度も失敗しているのよっ! お前たちにいったいいくら支払ったと思っているのっ!」


 甲高くヒステリックな声を荒げて、女性がティーカップを少年に投げつけた。

 女性が投げたとはいえ、至近距離から放たれたティーカップは少年の額に直撃して割れた。破片で額から血を流した少年だが、気にした様子も見せず平然としていた。

 女性はそんな少年に気味悪さを覚え、冷静を取り戻す。


「三度目の失敗は許されないわよ」


 乱れた呼吸と髪を整えながら、女性は静かに言い放った。四十を超えたくらいの女性は、金を使って磨き上げた美貌を歪めたままだった。容姿こそ、美しさを保ったまま歳を重ねたと思えるが、内面から現れる醜悪さが滲みでているようにも見える。


「承知しています」

「今度もまたしくじったら依頼を取り消して、別の人間を雇うわ」

「お言葉ですが、我らの組織ほど優れた暗殺者は大陸にいません」

「ならばなぜ二度も失敗するのよ!」


 再び声を荒らげる女性に、少年は静かに言葉を放つ。


「前任者の失態は言い訳できません。ですが、私が任務にあたる以上、標的は必ず射殺します」

「二言はないわね」

「我らヴァールトイフェルの名にかけて」


 くすんだ青い髪の間から、鋭い瞳が覗く。

 女性は今更ながら、年齢的になら自分の息子と変わらない目の前の少年が暗殺組織の精鋭なのだと思いだす。


「いいわ。私は、あの忌々しい邪魔な女さえ消してくれれば誰であっても構わない。だけど、証拠だけは残さないでほしいのよ。旦那様にバレてしまえば、すべて水の泡になってしまうのだから」

「もちろんです。我ら暗殺者は証拠を残すような真似はしません」

「ならいいのだけど……。仮に失敗しても私につながるような証拠だけは残さないでちょうだいね!」


 深々と頭を下げて返事をする少年に満足した女性は、標的の新情報を思いだした。


「そういえば、あの女の近くに魔術師がいるわ」

「魔術師、ですか。身元は御存知でしょうか?」

「急だったから知らないわ。でも、確か……十六歳の魔術師と聞いているわ。なんでもその歳で随分と優秀みたいよ? メイドひとりに後れを取っていた前任者とあなたを同じだと決めつけたくはないけれど、魔術師相手にそんなもので太刀打ちできるのかしら?」


 女性の視線の先には、少年の傍らに置かれている弓と矢がある。

 暗殺組織ヴァールトイフェルは武器の使い手を育成し、どんな相手でも必ず仕留めると名高い。実働部隊の精鋭たちに共通していることはそれぞれが特化した武器の使い手であることだ。


 魔力を持とうが、魔術に頼るのではなく、武器を持ってして相手を殺すことを信条としているらしく、青髪の少年は弓矢の使い手だった。

 だが、弓矢で魔術師に勝てるとは誰もが思わない。

 前任の暗殺者は剣の使い手だったが、魔術を使うメイドに返り討ちにあっているのだ。

 女性が心配になるのも無理はない。


「ご心配なく。我らヴァールトイフェルはたとえ相手が魔術師であろうと倒してみせます」

「その言葉を素直に信用できればどれだけいいのかしら」


 前任者が失敗している以上、少年の言葉にいまいち信頼できない。

 所詮はただの暗殺者、殺しを生業とする者などたかが知れている。つまり殺すことしかできない荒くれ者だ。その程度にしか女性は思っていなかった。


 実力だけならおそらく子飼いの騎士や魔術師を使ったほうが早い。だが、それでは足がつく恐れがあるため使えない。そんなジレンマに苛立ちを抑えられない。

 彼女は内心、暗殺が成功すれば用済みになった少年がこのことを他言しないように殺すつもりだった。


「まあ、いいわ。成功さえしてくれれば成功報酬は弾むから、なんとしてでもあの女を殺してちょうだい!」

「はい。できましたら、前任者が紛失してしまいましたので、申し訳ございませんが標的の写真を改めてくださいますか?」

「そういえばそんなことを言っていたわね。用意してあるわ、ほら」


 鏡台の引き出しから一枚の写真を取りだすと、少年に手渡す。


「まったく。標的の写真をなくすなんて、前任者はなにをしているのかしら?」

「死にました」

「――え?」

「正確には、二度に渡る失敗の罰を受けた結果、死に至りました。代わりに私が依頼を遂げさせていただきます」

「そ、そうなの、お悔やみを言わせてもらうわ」


 なんの躊躇いもなく、仲間が死んだことを言った少年と、二度の失敗で平然と仲間を殺した組織の対応に女性は怯えた声をだした。

 ここではじめて、前任者の代わりと名乗った少年が現れた理由を知った。


「ありがとうございます。おそらく奴も奥様のお心遣いを死後の世界で喜ぶはずです」


 少年はそれだけ言うと、怯えた女性を気にすることなく標的の写真を食い入るように見つめる。

 写真には、ブロンドの髪をバレッタでまとめた、穏やかな笑みを浮かべた女性が写っている。三十代半ばに見えるが、実際はもっと上だと情報として知っている。


 ――優しそうな人だ。


 少年は、少しだけ標的を哀れに思った。だが、するべきことは実行する。

 たとえそれが、ただの女の嫉妬が原因だったとしても、暗殺組織の人間として依頼は遂行しなければならない。


「この標的の名は?」

「ハンネローネ・アルウェイよ」



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