4「ジャレッド・マーフィーの憂鬱」④




「待っていたよ、ジャレッド・マーフィーくん。まずはご婚約おめでとう。まさかアルウェイ公爵家のオリヴィエさまのお相手に選ばれるとは思っていなかったよ」


 職員室では担任のキルシ・サンタラが紫色の髪を揺らしながらジャレッドたちを迎えてくれた。ただし、からかうような笑顔つきだ。


「一応、ありがとうございます、と言っておきます。ていうか、先生まで知っているんですね」

「もちろんだとも。貴族の子供たちが通う王立学園内の噂は君が想像している以上に早いんだよ。教師にだって貴族がいるんだ。伝達力なら教師も生徒に負けやしないさ」

「勘弁してくださいよ」


 キルシの言葉に職員室内を伺えば、大半の教師たちがこちらに視線を向けていた。見知った教師はキルシと同じようにからかうような笑みを浮かべていたが、普段交流のない教師は慌てて目をそらした。


「でもまさかねぇ、君が年上好きだったとは思わなかったよ。言ってくれればいつだって君と結婚したのに」

「遠慮します。じゃなくて、俺は別に年上好きじゃないです!」

「おや、違うのかい? オリヴィエさまといえば確か私と同い年だった気がするんだけど……」

「先生と結婚したら毎日魔術実験に巻き込まれますから嫌です」

「ひどいなぁ」


 ちっともショックを受けた様子を見せずにキルシが笑みを深くする。彼女は魔術師であり、教師であるが研究者でもあった。

 闇属性の魔術師によく見られる紫色の髪を肩のあたりで切りそろえ、銀縁の眼鏡をしたキルシは一見すると美女なのだが、寝不足のせいで目元に隈をつくり、洋服の上から羽織ったよれよれの白衣のせいで若干残念な感じになっている。


 研究者として有能なため学園から彼女個人に研究室が与えられているのだが、頻繁に生徒を実験台にするため要警戒の教師であった。

 ジャレッドはキルシにとって興味深いようで、観察対象、研究対象とされている。

 関わるようになってからひどい目に何度かあったが、なかなか憎めないのでこうした軽口も言い合うことができる関係だった。


「キルシ先生、そんなことよりもマーフィーくんに魔術師協会からお客さまがいらっしゃるのだと聞いているのですが?」

「あー、そういえばそうだったね。きてるよ。ジャレッドくんも面倒なことになったね」

「そのことも知ってるんですね」

「もちろんさ。君のように優れた魔術師じゃないけど、私は戦闘者ではなく研究者であり探求者だからね。そっち方面では君と同等、いやそれ以上に評価を受けているんだよ。そのおかげもあって、情報が頼んでなくても入ってくる。まあ、君に関しての情報は積極的によこすように頼んでいるけどね」


 にんまりと笑顔を浮かべるキルシに対し、ジャレッドは頬を引きつらせた。

 自分のどこが彼女に興味を抱かせるのか不明だが、キルシの思考と行動は別次元で動いているため予測も想像もできないので対処も不可能だ。

 さらに行動力もあるので心臓に悪い。彼女は自身の興味と好奇心と欲望に忠実すぎるのだ。


「君とはもっと話をしていたいけど、魔術師協会の人間を待たせておくと他の教師から叱られてしまうのでそろそろ解放してあげよう。お客は応接室だよ」

「ありがとうございます。じゃあ、失礼します」

「おっと、そうだ、ジャレッド・マーフィーくん」


 呼び止められ、動き出そうとした足を止める。


「さっきの話だけど、私は側室でもかまわないので君の覚悟が固まって迎えにきてくれることを待っているよ」

「うしろむきに検討させてもらいます」

「素直じゃないなぁ」


 本気なのかそうではないのかわからないが、キルシが会話を楽しんでいることだけは伝わってくる。ジャレッドも彼女との他愛のない会話は楽しかった。


「またね、ジャレッドくん」


 小さく手を振るキルシに手を振り返す。隣ではクリスタが小さく頭を下げたが、どこか不機嫌な顔をしていた。


「どうしたの?」

「どうもしない! さあ、いくわよ! では、キルシ先生、失礼します!」

「はいはい、失礼されます」


 返事をしながら書類に視線を移してペンを動かしだしたキリシに背を向けて、ジャレッドたちは応接室に向かう。

 職員室に隣接する応接室は廊下からも、職員室側からも入ることができる。

 近くにいた教師に声をかけ、職員室側の扉をノックする。


「ジャレッド・マーフィーです。入室してもよろしいでしょうか?」

「お待ちしていました、どうぞ」

「失礼します」


 返事を受け、扉を開けると一礼をして扉をくぐる。


「マーフィーくん。私は一緒に入れないから、教室に戻るね。またあとで声をかけて」


 クリスタに頷きながら、静かに応接室の扉を閉めた。

 応接室の中には、二人がけのソファの前に立つ、スーツ姿の男性がいた。小奇麗に身なりを整えた男性からはあまり魔術師という印象は受けないが、魔術師協会に属している人間である以上、魔術師であることは間違いない。だとすれば、実力を隠すことができる実力者か、もしくは隠すまでもない程度の魔力しか持たないかのどちらかだろう。

 男性がジャレッドに向かって笑顔を見せる。


「私は魔術師協会協会員のデニス・ベックマンです。この度は、宮廷魔術師候補の件を受けてくださり、どうもありがとうございました。さあ、どうぞ、お座りください」

「失礼します」


 デニスに勧められてソファに腰をおろすと、彼はジャレッドに続いて座る。

 嫌味のない柔和な笑みを浮かべたデニスは三十代半ばほどだった。黒髪を揃え、協会員の証拠であるバッジを襟に身につけている。


「以前からジャレッド・マーフィーさまのご活躍と実力は魔術師協会内でも話題でした。今回、ダウム男爵から前向きなお返事をいただき、失礼を承知で馳せ参じました。今回の一件は早い方がいい、と思ったのです。さっそくですが、マーフィーさまは宮廷魔術師をどうやって選ぶのかご存知ですか?」


 問われ首を横に振る。


「魔術師協会の推薦、もしくは宮廷魔術師の推薦などが必要なのは知っていますが、詳細まではわかりません」

「いえいえ、それが普通のことなのです。今まで宮廷魔術師を選ぶのに、これといった決まりがなかったのですから」

「決まりがない?」

「はい。ありません。宮廷魔術師になるだけの実力者は、宮廷魔術師にしかなれません。例えば、マーフィーさまのお母さまであるリズ・マーフィーさまも、戦場では一騎当千の強者であると同時に、『破壊神』とまで恐れられた魔術師でした。あの方の場合は、功績が多すぎて国のお抱えである宮廷魔術師にしかなれませんでした」

「破壊神?」


 まさか母がそんな呼び名をされていたとは夢にも思わず、つい聞き返してしまう。

 ジャレッドの母リズ・マーフィーは幼少期のころ亡くなっている。死因は毒殺。それだけしかわかっていない。犯人も、理由も、宮廷魔術師だった母があっさり死んでしまったわけもわからない。


 物心ついたときには母はおらず、家では母の話を口にすることは禁じられていた。母と親しかった側室が話をしてくれたが、側室も母のすべてを知っていたわけではない。

 祖父母の世話になるようになってからも、尋ねることができず、わずかな記憶だけが母の思い出だった。


「地属性魔術の使い手として戦場で敵も味方も平等になぎ払い、地面を砕き、山を削る姿はまさに荒ぶる神のごとく。私も若い頃に見たときがありましたが、情けないことに失神しました」


 懐かしそうにしながらも、小刻みに震えだすデニスを前にして、


 ――一体母はどれだけ恐ろしい人だったんだ?


 つい、そんな疑問が湧く。

 優しく穏やかな記憶しかないので、まるで別人の話を聞かされているようだった。


「リズ・マーフィーさまは極端な例ですが、宮廷魔術師になれる実力を持つ方々は、その規格外な強さ故に立場を与え、役職を与え、国が欲したのです」

「あの、俺はそこまで規格外ではないので、宮廷魔術師なんて無理だと思うのですが?」

「なにをおっしゃいます!」


 くわっ、と目を見開きデニスが大きな声を上げた。


「あなたはまだ十六歳という若さで、つい先日も飛竜の群れを単身で壊滅なさりました。気付いていますか、普通は騎士団の百人以上派遣されるレベルなんですよ! それに、その前は海魔と戦いましたよね、あの海魔は災害指定級とまではいきませんが、準災害指定といっても過言ではない被害を出していたのです!」

「た、たいしたことをしたつもりはなかったのですが……」

「そもそも、複合属性の大地属性魔術師である時点でもう規格外なのです。あなたは自分が規格外の才能と実力を持ち、それらがまだ発展途上だということを自覚してください!」


 真っ赤になって唾を飛ばすデニスに、ジャレッドはただただ驚くことしかできなかった。




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