1「ジャレッド・マーフィーの憂鬱」①
「娘が申し訳なかった」
アルウェイ公爵は、祖父とジャレッドに心底申し訳なさそうに謝罪するとオリヴィエとともにダウム男爵家をあとにした。
公爵たちを見送ったものの、ジャレッドも祖父も力なくソファに座っている。
「噂とは違いましたが、元気なお嬢さんでしたね」
そこへメイドを率いて現れたのは、ジャレッドの祖母でありダウム男爵夫人であるマルテだ。
「お祖母さま、話を聞いていたんですね」
「ええ、もちろんですとも。可愛い孫の婚約者がどういう方か興味がないと言えば嘘になりますからね。しかし、ずいぶんと大変な条件をつけられてしまいましたね」
「本当にどうしましょうか。宮廷魔術師に俺がなれるはずがないですよ。国が選んだ最高の魔術師十二人ですよ! いくら空席があるからって――」
「お義母さまとの同居は大変そうですものね」
「――って、そっちですか!?」
自分と祖母の大変の意味の違いに、つい大きな声をあげてしまった。
祖父も同じだったようで、ジャレッド同様に驚いている。
「私は、どちらかと言えば彼女とお前がうまくやっていけるかどうか心配だ」
「そっちも不安ですよ。噂を信じたくないですけど、あまりいい話を聞かないですから」
悪い噂しかないオリヴィエのことを思いだすと、爵位が上であったとしても正直お断りしたい。
だが、祖父は静かに否定した。
「いや、噂に関しては心配しなくていい。公爵は厳しい方だ。噂のようなことはあるまい」
「仮にもアルウェイ公爵家の長女が男遊びや女遊びに呆けているなど、公爵さまが許すはずがありません。性格のきつさは確かにあるようですが、噂に関しては無視してもかまわないでしょう」
祖父母の言葉にジャレッドは首を傾げた。まるで祖父母は以前から公爵のことを知っているような言い方だった。
いくら貴族同士とはいえ、男爵と公爵とでは位が違いすぎるのだが、なにかしらの関係があるのだろうかと興味がわく。
「お祖父さまとお祖母さまはアルウェイ公爵とお知り合いなのですか?」
ジャレッドの問に祖父は頷くことで肯定した。
「あまり公言はしていないのだが、アルウェイ公爵の先代から付き合わせていただいている。戦場を何度もご一緒し、ともに戦ったことは一度や二度ではない。先代と、現アルウェイ公爵とはそんなご縁があって頻繁に手紙のやり取りをしているぞ」
「知りませんでした。父もそんなことは言ったこともなかったので、初耳です」
「あの馬鹿息子には言っておらん。あのろくでなしが公爵家と繋がりがあるとわかればなにをしでかすかわかったものではない」
「言っておきますが、今回の婚約も、もとはジャレッドが相手になることはなかったのです」
「えっ?」
祖父はおおげさにため息をつくと、メイドの入れたお茶で喉を潤すと語りはじめる。
「アルウェイ公爵からご息女のことで相談を受けたのが始まりだった。悪い噂のこともそうだが、婚約者を決めても今回のお前のように無理難題をつけられ、その、あまり言いたくはないがオリヴィエさまの口の悪さに良家のご子息がついていけず破談になることが数件続き、私を頼られてきたのだ」
「最近は晩婚も多いようですが、貴族では二十代前半で子を産むことが一般的です。はやければ十代で子を産む方も少なくありません。一般的には違うとしても、貴族の中では行き遅れとされるオリヴィエさまを迎え入れたいと思う一族は多くないのです」
「そこで、困った公爵は、男爵家の、しかも爵位を継げない俺に押し付けようとしたってことですか?」
だとしたらいい迷惑だ、と口に出さないが心底思う。
もう貴族として生きるのは懲り懲りなのだ。ジャレッドには魔術師として冒険者になり自由に生きたいという小さなことだが野望があった。しかし、今回の件でそれも駄目になってしまう。
誰かが悪いと言うつもりはないが、いささか納得できないのも事実だ。
「そうではない。アルウェイ公爵は本当にただご息女のことを相談されただけだ。まあ、私としてもよい相手がいないかと一族の者に声をかけてみたのだが、その、なんだ、察してくれ」
おそらく、オリヴィエの噂を信じ込んでいる者たちが拒絶したのだろう。
「そんな折、ジャレッドのことを知った公爵とご息女の件は抜きにして話をしていたのだが、どこからか話を聞きつけた馬鹿息子が公爵との縁ほしさに勝手に行動した結果が今回の婚約となってしまったのだ。すまん」
「お祖父さまが謝らなくても」
「いや、よくない。息子は剣の一族とよばれるダウム男爵家の長男として優れた剣士かもしれないが、他があまりにも駄目だった。お前の母と一緒だったときは驚くほどまともだったが、彼女の死後を見れば明らかだ。側室を増やし、子供を省みることをせず、お前もないがしろにしている」
「俺に剣の才能があればまた違ったのかもしれませんけどね」
自嘲するように、つい呟いてしまう。
ジャレッドは剣の一族と呼ばれるダウム男爵家に生まれながら、剣の才能を持っていなかった。使えないことはないが、剣士としてはあまりにも凡人。代わりに魔術師の才能に恵まれているのだが、どちらがよかったのか現在では判断ができない。
幼少期から剣を教えようとしては落胆していた父親の顔を今でも覚えている。
父は戦場で武勲を建てた功績と宮廷魔術師だった母親と結婚したことで、男爵の位を与えられたが、剣の才能を持たないジャレッドに家督を継がせるつもりはなかった。おそらく爵位は側室の子供の誰かに与えられるのだろうが、ジャレッドには興味のない話だ。
幸いと言うべきか、父とは疎遠である祖父母が愛情を注いでくれたのでひねくれることなく育っている。なので、不満はなかった。
「気にすることはない。剣の一族と呼ばれているが、戦いにしか役に立つことはできない。そもそも、魔術に特別秀でた者の方が少ないのだ。魔力を有する人間の方が希少なのだから、お前は魔術師であることを誇りなさい」
「そうですよ。魔力は神からの恩恵と呼ばれるものであり、望んで持てるものではないのです。その魔力を持って生まれても、魔術師となれるものはさらに一握りです。宮廷魔術師であったあなたの母親から受け継いだ大切な才能なのですから、もっと自信をお持ちなさい」
このフリジア大陸では魔力を持つ者は少ない。魔術師と名乗ることができるのはさらに一握りであり、宮廷魔術師を目指すことができるレベルとなると大陸がいくら広いからとはいえ、ほんの数人だろう。
ゆえに、このウェザード王国においても宮廷魔術師に空席がある。
魔力を持つ人間は目に見えた優遇こそ少ないが、魔術師であれば貴族が囲い込むことも珍しくない。貴族にとってどれだけ魔術師をそばに置くかが一種のステータスになっている。
今回の婚約の一件も、公爵家が魔術師を迎え入れたいという打算もあったかもしれないと勘ぐってしまう。
「公爵の前でも話したが、本当ならお前には私から爵位を譲り、ダウム男爵となってもらいたかった。その場合は孫娘のイェニーと結婚してもらうことになるのだが、あの子は乗り気だったのでいつ話すべきかタイミングを伺っていたのだが……」
「まさかオリヴィエさまの婚約者になってしまうとは思いもしませんでしたわね」
「あの……そのことにも驚いているのですが。本気で俺をダウム家の当主にしようと考えていたんですか?」
ジャレッドにとってはオリヴィエとの婚約と同じくらいに驚くべきことだった。
父が独立しているため、血の繋がりこそあるがジャレッドはダウム男爵家の人間ではないのだ。さらに言えば、ジャレッドは母親の姓マーフィーを名乗っており、その母もいくら宮廷魔術師だったとはいえ平民出身なのだ。
男爵とはいえ、歴史ある一族の当主になることなど微塵も考えたことはなかった。
「もともと長男とはいえ、お前の父親に家督を継がせるつもりはなかったので揉めると覚悟していたが、あいつは自分で爵位を得てしまった。家督を継がせようとしていたもうひとりの息子は体が弱く、爵位に興味はない。ならば優秀な孫に、と考えるのが普通ではないか?」
「それはそうですけど……」
祖父の言うことは間違っていない。だが、妹同然に可愛がっていたイェニーと結婚してまで家督を手に入れて貴族でいたいと思わなかった。
そんなジャレッドを見透かしたように祖母が問う。
「イェニーでは不満でしたか?」
「い、いえ、そんなことはないですけど、妹のように接してきたので戸惑いはあります」
「あの子は昔からあなたを好いていましたのでよい機会だと思っていました。望むのでしたらあの子の姉もつけますよ」
「それは遠慮させていただきます」
イェニー・ダウムはいい子だが、彼女の姉との関係は微妙なので即答してしまった。
きっと答えは聞くまでもなくわかっていたのだろう。祖父母に揃って苦笑されてしまった。
「まあ、オリヴィエさまとの婚約がうまくいってしまえば、イェニーは残念なことになるな」
「あら、オリヴィエさまが認めてくだされば側室でもかまわないと思いますよ」
「それもそうだな」
いいことを思いついたとばかりに声を上げて豪快に笑う祖父と、孫娘を思って微笑む祖母に、ジャレッドは心底面倒なことになったとため息をついた。
「イェニーのことは追々考えるとして、問題は宮廷魔術師だな」
「あの、さすがに宮廷魔術師にはなれませんよ。そりゃ、母がいた高みに同じ魔術師として上り詰めたいと思っていることは事実ですけど、たった二年でなれるほど宮廷魔術師は簡単ではありません。お祖父さまたちもわかっているでしょう?」
「実はな――」
「まさか、まだなにかあるんですか?」
またもや隠されていた話が浮上してきそうな予感にうんざりしてしまう。
そして、その予想は当たった。
「正式ではないが、お前が宮廷魔術師候補になることが決まっている」
「はぁ!?」
ジャレッドは本日、何度目になるのかわからない衝撃を受けるのだった。
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