この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。

飯田栄静@市村鉄之助

「Prologue」




 ジャレッド・マーフィーは胃の痛みを堪えながら必死に愛想笑いをしていた。

 理由はテーブルを挟んだ向かい側に座る美女のせいだった。


 名をオリヴィエ・アルウェイ。


 アルウェイ公爵家の令嬢である。そして、ジャレッドの婚約者でもあった。

 癖ひとつない絹のようなブロンドの髪を腰まで伸ばし、飾り気がないが細身の身体のラインを惜しげもなく見せる青いドレスに身を包んだオリヴィエはいつまでも見つめていたくなる美しさを持っていた。

 整った唇と眉、筋の通った鼻、涼しげな印象を与える青い瞳のどれをとっても息を呑む美しさを兼ね揃えている。


 本来なら男爵家の長男であるジャレッドが婚約者に選ばれることはない。しかも、長男でありながら家督を継ぐことを許されず母親の姓を名乗っている彼は二年後十八歳となると同時に、貴族ではなくなってしまう。そんなジャレッドに公爵の娘が、それも長女と結婚などはっきりいって異常事態だ。


「ジャレッドは魔術師としての才能があるだけではなく、すでに多くの魔獣討伐を行っている実力者だと聞いているよ。ダウム男爵もさぞかし鼻が高いだろう」

「よく孫馬鹿と言われてしまいますが、魔術師として成功しているジャレッドの活躍は自分のことのように嬉しく思っています」


 アルウェイ公爵の言葉に、祖父のダウム男爵が嬉しそうに答える。

 ここダウム男爵家で顔合わせを始めてから一時間近くが経つが、話をしているのはアルウェイ公爵と祖父だけ。ジャレッドはなにかを問われれば答え、褒められれば感謝の言葉を口にするが、オリヴィエは未だに口を開いていない。


 公爵も娘の態度が気まずいのだろう。必死になってジャレッドを褒めている。祖父も公爵の気持ちを察して話に付きあっている。悪循環であることは目に見えていた。

 そんな大人たちの心情を無視するように、オリヴィエは沈黙を保っていた。いや、ただ沈黙しているわけではない。じっと品定めするようにジャレッドを見ている。


 ジャレッドが胃を痛くしているのは彼女の無言の圧力のせいだ。


 もしかしたら公爵家の長女が家督を継げない男爵家の長男などの婚約者になりたくないという無言の訴えなのかもしれない。

 はっきりいって貴族に結婚の自由はあまりない。恋愛結婚がないわけではないが珍しく、貴族の子女からは羨ましいと焦がれる場合が多い。


 もっとも、貴族の大半は幼少期に婚約者が決められ結婚まで仲を育んでいるので、相思相愛となって婚姻を迎えることができる。だが、中にはジャレッドのように思いがけず婚約者が決まる場合もあるのだ。


 二年後に平民になることが決まっていたジャレッドにとって不意打ちとも呼べる今回の婚約話。しかも相手は『あの』オリヴィエ・アルウェイだ。

 貴族として公の場に殆どでないジャレッドでさえ彼女の噂話はよく耳にしていた。


 曰く、気が強く、癇癪をよく起こす。

 曰く、権力にものを言わせて虐げる。

 曰く、とにかく性格が悪く、標的にされたら終わり。

 曰く、彼女の毒舌のせいで新しい性癖を開花させられたものは数え切れない。

 曰く、男遊びが激しい。

 曰く、男嫌いで女遊びが激しい。


 どれもこれもまともな噂ではないが、ひとつでも正解があるのならお近づきにはなりたくないと思ってしまう。

 今までオリヴィエに婚約者がいたことはジャレッドも聞いている。だが、誰もが無理だと親に泣きつき、中には失踪までして婚約破棄を行った者までいる。


 見た目だけなら申し分ない美女の中身がいったいどうなっているのか、婚約者に選ばれたジャレッドとしては不安でならない。

 とりあえず機嫌を損ねないように愛想笑いを続けるジャレッドだったが、そんな彼に向かいオリヴィエが整った唇をはじめて開いた。


「ねえ、あなたが家督を継ぐことができないって本当なのかしら?」

「オ、オリヴィエっ! 突然、失礼なことを言うな!」

「あら、お父さま。未来の旦那さまに関して気になることをお聞きしてはならないのかしら?」

「そうではないが、話には順序というものが――」

「わたくしは一時間近くも待っていたのよ。お父さまたちのお話もそろそろいいでしょう。それで、あなたは家督を継げないの? 継げるの? どちらなの?」


 慌てる父親の言葉を遮ってオリヴィエの質問が続く。


「残念ですが、俺は家督を継げません。二年後の成人を迎えれば平民になります」

「あらそう。別にわたくしは貴族の立場にこだわらないけど、生活はできるの? あなたのことは事前に色々と調べたけど、ずいぶん魔獣討伐でお金を稼いでいるそうね、ちゃんと備蓄はしている? わたくしを養うことはできるのかしら?」


 貴族でなくなってもかまわないと言ったオリヴィエに驚きながら、今までもらった魔獣討伐金を数えていく。平民としてごく一般的な生活をするなら数年は生きていけるだけの額はある。


 二年後に魔術師としてなんらかの職に就くことができれば給料だってもらえるので、贅沢はできずとも十分に生活はできる。


「オリヴィエさま、その、孫は確かに父親から家督を継ぐことは諸事情があってできませんが、代わりに私が持つダウム男爵を継がせようと考えております。ですので、平民になるということはございません」


 慌てて割って入った祖父の話はジャレッドすら知らなかった。しかし、オリヴィエはあまり気にした様子も驚いた雰囲気もない。


「あら、そうだったの。でも、わたくしは貴族でも平民でも構わないの。わたくしを守ってくれる相手であれば、それだけで。ダウム男爵のお孫さまは魔獣討伐は優れているようだけど、対人だとどうかしら?」


 探るような視線が再び向けられ緊張しながら返事をしていく。


「対人ですか? そちらは魔術師ではなく騎士団の仕事になるのであまり関わったことはないですが、賊の討伐も何度か参加したことがあります」

「人を――殺せるのね?」

「はい。殺せます」


 質問の意図はわからないが、嘘偽りなく返事をしていく。

 オリヴィエはなにかを考えるように何度も頷く。そして、


「優れた魔術師だということは調べてわかっているけれど、その証拠がほしいわ。私と結婚する気があるのなら、そうね――宮廷魔術師になってもらいましょう」

「はい?」

「オ、オリヴィエ! お前はまた誰かれ構わず無理難題を押しつけおって!」

「黙っていてくださらないかしら。これはわたくしと、ジャレッド・マーフィーさまのお話です」

「黙っていられるか! お前は必ず相手を困らせるようなことばかりを言う。嫌なら嫌だと言えばいいだろう。いや、言ったところで意見が通らないと知っていてこんな無理難題を言っているのだろうが――もう、いい加減に歳を考えて行動しろ!」

「年齢のことは言わないでください!」


 父親を怒鳴りつけたオリヴィエに、祖父は言葉を失いどうしていいのかわからず、ジャレッドは親子の口論に巻き込まれないように気配をそっと消しながら、あることを思いだした。


 悪い噂ばかりを耳にしていたので忘れていたのだがオリヴィエ・アルウェイの年齢は二十六歳。つまりジャレッドよりも――十歳も年上だ。

 言い方が悪いが、貴族の子女で二十代後半となると『行き遅れ』である。


「いいですか、ジャレッド・マーフィー。わたくしと結婚するつもりがあるなら成人するまでの二年間で宮廷魔術師になりなさい。それがひとつめの条件です」

「ひとつめ、というと二つ目もあるということですか?」

「もちろんです。次に、婚約者としてわたくしが認めたら、わたくしと母と一緒に同居してもらいます。言っておきますが、わたくしは母と別宅で暮らしています。メイドもいないので自分のことは自分でするのが当たり前です。一般的な貴族のような生活はできないと思ってください」

「それは別にいいのですが」

「それと、あなたに恋人や想い人はいますか?」

「とくにいません」

「なら結構です。ダウム男爵のおっしゃる通り、あなたが男爵を継ぐことになれば側室を迎えることもあるでしょう。ですが、側室を迎えたいのであればわたくしの許可を得てください。いいですね?」

「えっと……」

「いいですね!」

「はい!」


 大きな声に驚き咄嗟に返事をしてしまう。オリヴィエは満足そうに頷き、公爵は顔を覆って天を仰いだ。

 祖父はオリヴィエに唖然としていた。いや、頬が引き攣っている。


「よろしい。では、また日を改めてお会いしましょう」


 そう言い残すと、オリヴィエは立ち上がり祖父に向かって恭しく礼をすると、部屋から出ていってしまう。

 残されたジャレッドたちはただただ言葉もなく呆然としていた。





 ――家督を継げない男爵家の長男ですが、この度、公爵家の令嬢の婚約者となりました。しかし、噂では性格が悪く、十歳も年上です。






 〜〜あとがき〜〜

 少しずつお引越ししていきます。

 よろしければ読んでくださると嬉しいです。

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