第3話 魔獣と少年

【side襲われていた少女】

「な、なんなの、こいつ……」


 稲光を伴った真っ白な閃光は、真っ直ぐ魔獣の頭上をかすめていく。


 強烈極まりない光の帯がファガンと名乗った少年の手の平から解き放たれ、上空を切り裂いて真っ直ぐに道を描く。


 あまりにも凄まじい光景に、私はケガをしている事も忘れて魅入られ、口がぽかんと開いてしまう。


「ふぅ……さて、どうだワン公、まだやるか?」


『ク、クゥゥウンッ……キャゥンッ』


「え、えぇえっ!?」


 信じられない光景を見た。遭遇したら一巻の終わりと言われる森の魔獣が、たった一人の人間の前にひれ伏している。


 それはまるで飼い犬が媚びを売るように仰向けになり、言わば服従を表すようにお腹を向けたのだ。


 驚かない訳がなかった。


 そして当の魔犬は一瞬にして理解していたのかもしれない。


 目の前の存在が生物として圧倒的に上位であり、己がどう足掻いても勝てぬ存在であり、その選択は逃亡ではなく『服従』だった。


「おー、よしよしっ。分かってくれたか。縄張りで騒いで悪かったなぁ」

『キャインキャインッ、クゥン』


「う、嘘でしょ……森の魔獣が……」


「よく見れば愛嬌のある可愛い顔してるじゃないか。ずっと森の中で寂しかったんだなぁ。おーよしよし」


『わんわんっ!』

「おーおー、わぷっ、おいおい戯れ付くなよ」

『きゃぅうんっ♡』


 森の魔獣は完全にファガンと名乗った少年に服従し、飼い慣らされて大人しくなった獣のように従順に少年の顔を舐めている。


「さぁて、立てるか?」

「え、ええ……」


 手を差し伸べてくる少年に魅入られる私。

 大きく、ゴツゴツしたその手は見た目通りに鍛え込まれて途轍もなく固い。


 しかしその顔は魔獣の涎でベタベタになっていて中々締まらなかった。


「あ、ありがとう……助けてくれて……」


「おうっ、ケガは……してるみたいだな。これ使え」


 少年ファガンは自分の腕に嵌まった腕輪のアクセサリーに手を伸ばす。



「えっ、ええっ!?」


 それは不可思議な光景だった。

 腕輪の周りに白い光の輪が小さく発生したかと思うと、ファガンの腕がその中に吸い込まれていく。


 そして這い出てきたかと思うと、その手には謎の小瓶が握られていた。


 クリスタルのように美しいカッティング加工をされた瓶の蓋を開き、私に差し出してくる。


「な、なにこれ?」

「我が家特製の治療薬だ。そんくれーのケガなら一瞬で治る」


「え、で、でも」



 得体の知れない薬を飲むことには若干の抵抗を覚える。

 しかし傷は徐々に広がり、ジクジクとした痛みが強くなっていくのを我慢するのは無理そうだった。


「早く飲まないと身体に悪いぜ。ほらっ」

「んぐっ、んんんっ~~っ!?」


 焦れったくなったファガンは瓶の先を無理やり私の口の中へ突っ込んだ。


 流れ込んでくる液体に驚き、むせかえりそうになるものの、口の中に広がるあまりにも甘美な味に喉を滑っていく。


「ふわぁ……、なにこれぇ、甘くて美味しい……」


「改良型のエリクシールだ。フルーツ味で美味いだろ?」


 エリクシール、という名前に言葉が出なかった。


 神話にそういった霊薬があるという噂は聞いたことがあるが、まさかと思い首を振る。


「身体の具合はどうだ? バッチリ治ってると思うが」


「ぁ、ぁあ……え、う、うそっ。治ってる。全然痛くないわっ」


 嘘みたいな現実に驚きの声を上げる。


 すりむいていたケガがすっかり回復し、私の身体は元気になっていた。


「元気になったみたいだな。さて、それじゃ……あ~~、えっと、すまん、その」


 ファガンが何故か途中で言い淀む。


「?」


「服、どうにかならない?」


 少年の顔が赤くなり、両手で顔を覆いながら反らし始めた。


 何事かと思ったところで、自分が儀式用の薄布一枚であることを思い出し、私の顔もおおいに赤面する。


 女の子の大事なピンク色がうっすらと透けて見え、顔を覆った指の隙間から思春期特有の視線が隠れきれずにチラチラ覗いて再び隠れていた。


「ッ……ッ!! きゃぁああああああっ!」


 慌てて両手を交差させて隠すものの、度重なる木々との接触でそこかしこが破れており、耐久限界を迎えた布地は徐々にはだけていった。


◇◇◇◇◇


「と、とりあえずこれで応急処置できたわ。無い物ねだりしても仕方ないわね」


「も、もういいかい?」


 ファガンは赤面したまま後ろを向いて動かなくなってしまい、私から視線を外していた。


 着るものなど森の奥深くで調達できるものではないので、仕方なしに肌を覆っていた布を局部に巻いて大事なところだけ厚めに隠す。


「もう良いわよ」


「お、おう……ほふっ!? そ、その格好はっ」


「いちいちエッチな視線向けないでよっ。仕方ないでしょっ、こんなところで服の調達なんかできないんだから」


 彼は見た目以上にウブなようだ。まるで性に対して興味の出始めた子供のような反応をする。


 そんな姿を、なぜだか少し可愛いと思ってしまった。


「そ、そうだな、すまん」


「あなた見た目そんななのに随分ウブなのね」


「しょ、しょうがないだろっ! 女の裸には慣れてないんだッ! 童貞で悪いかッ!」


「ぷっ……あははっ、誰もそんな事言ってないでしょ」


 先ほどまで豪気な態度で戦闘していた少年のあまりにもウブな態度に思わず笑いが漏れる。


 だが思わず和んでしまった自分を振り返り、重大な事実を失念していた事を思い出した。


「はっ!? そ、そうだわっ。和んでる場合じゃない。ねえお願いッ。さっきの奴らを追いかけてッ。お母さんを助けたいのっ!」


「なに? そ、そうか」


 凄まじい力を持った少年。彼なら盗賊という理不尽から捕まったであろう母や村の仲間を救い出す事ができるかもしれない。


 私の頭にそのような打算が生まれ、必死になって説得しようと考えを巡らせた。


 見返りに何を差し出す?


 村には最低限の蓄えしかなく、冒険者として稼いでいる金額も大したものにはならない。


 それにそれらは村に置いてきてしまっており、既に炎の中だ。


 見たところ女に免疫はなさそうだ。最悪身体を武器にして誘惑でも……。

 そんな打算を高速で脳内に打ち立てたのだが……。


「村が襲われたんだったな。良し分かった。早速向かうとするか」


 まだ赤面していたファガンはすっくと立ち上がりすぐに態度を切り替える。


「え?」

「ん?」


 考えを巡らせている途中でそんな返事をされ、私は素っ頓狂な声を上げる。まさか二つ返事で了承されるとは思っていなかったからだ。


 最低でも何か見返りを要求される覚悟をしていただけに、一も二も無く了承してしまう少年にすぐ反応することができなかった。


「どうした。助けに行くんだろ? 早いほうがいい。急ぐぞ」


「え、ええ……」


「奴らが向かったのはあっちだったな」


 だがそこで重大な事実に気が付いた。

 相手はラプトルに騎乗して移動している相手だ。


 どうやって追いかけるか。

 そう思案していると、ファガンはひょいと私の身体を持ち上げる。


「ひゃわっ!? な、何するのよッ!?」

「追いかけるにしても素足じゃ満足に走れないだろう? 俺様が抱えていってやる」


「そ、それは有り難いけど、でも」

「心配しなくてもそんなに重くないぞ」

「し、失礼ねっ! ちゃんと体型には気を遣ってるわよっ!」


 だがファガンの腕は逞しく、まるで羽根でも持ち上げているかのように軽々と自分を持ち上げる。


 その感覚に私の胸は不覚にもトキめいてしまそうになる。


 さっきまで照れて赤面していたくせに、この行動力はなんなのだろう。


 私は困惑するばかりだった。



(あれ……?)


 何故だろう? 不思議な感覚に包まれる。


(私、このたくましい腕を知ってる……?)


 どういうわけか、この腕に包まれたことがあるような。既視感とでもいうのだろうか。


 前にもこんなことがあったような感覚に見舞われる。


 だがそれを考えている場合ではなかった。


「ま、まさか走って追いかけるの?」

「他に方法あるのか?」

「そ、それは、ないけど……」


 確かにそれ以外の手段がない状況では、走って追いかけるしかない。



『わんっ! わんっわんっ!』


「ん? どうした?」


 ファガンが走り出そうとしたところで、何故か魔獣が何かを期待するような視線を向けて呼び止めてくる。


『わんっ、うっぅうっ……わんっ!』


「なんだお前、もしかして乗せてってくれるのか?」


『うぉん♪』


「え、あなた、魔獣の言葉が分かるの?」

「なんとなくだけどな。普通は分からないものなのか?」


「テイマーのジョブに就いていればそういうスキルを持った人もいるって聞いたことはあるけど……」


「へえ、この世界にもスキルがあるんだな。それにジョブっていうのは知らない。まあいい。それより急ぐぞッ。まだそれほど遠くには行ってない筈だ」


「え、ええっ……」


 ファガンは私を抱きかかえたまま魔獣に飛び乗った。


「よっしゃ、頼むぜ」

『わんっ、わんっわんっ!!』

「あん? 名前付けろってか?」

『わおーん♪』


「そうだな。灰色の毛並みだから、シルバー、いや、シルビアってのはどうだ?」

『くぅ~ん♡』


「なんで女の子みたいな名前なの?」

「だって女の子だぜ?」


『わんっ♡』


 魔犬はファガンに服従した。何故? 逃亡ではなく服従の理由は?


 そう、答えは明快。森の魔獣改め、魔犬シルビアはファガンの圧倒的な強さに……"めすとして屈服したのである。


 惚れた男に尽くしたいという、乙女心であった。


 なぜだかそんな気がした。


(私、この魔獣のことも知ってる?)


 彼に触れた瞬間、どうしてだかそんな感覚ばかりが脳裏をよぎる。


「こ、こいつメスなの?」


『ガルルルッ』

「ひっ!?」


「レディに向かってこいつとか言うなって言ってるぞ」

「ご、ごめんなさい……」


「よし、じゃあ頼むぜシルビア。さっきの男達を追っかけてくれ」


『わおんっ♪』


「きゃっ」


 シルビアと名付けられた魔獣は、盗賊達の向かった方向に凄まじい速度で颯爽と駆けだした。


 手綱も何もない獣の上は不安定でよろめくが、それをモノともしない安定感でしっかり私を支えた。


「す、すごいっ、なんて早さッ」

『わぉ~~~~んっ!!』



 よろめきそうになる身体を必死で支えようと手近なものに捕まるが、それは目の前の少年の身体以外存在しない。


「ほら、しっかり捕まってろ」

「ひゃっ」


 身体を抱き締められた私の顔が赤面する。

 先ほどまで自分の裸にあれだけウブな反応を見せていた男とは思えないほど、その逞しい腕でしっかりと支えられた事に、迂闊にも胸がときめいてしまう。


(な、なによ。さっきは童貞丸出しだったくせに……ま、まあ私も処女だけど、経験なんてないけどっ!)


 誰に言い訳しているのかと頭を振って思考をかき消す。


 シルビアの速度は盗賊達のラプトルとは比較にならないものであった。


 元来た道をぐんぐん進み、景色が高速で通り過ぎていく。


 ファガンの腕が更に自分を抱き寄せ、固い胸板の体温が伝わった。


(わっ、わあ~~っ!! な、なにっ、なによっ! やっぱり見返りは身体なの!?)


 獣の本性を露わにしてきたのかと思った矢先、ファガンがシルビアに指示を出す。


「シルビア。もっとスピードあげて良いぞ」

『ワオーーーンッ』

「えっ、きゃあああっ!?」


 シルビアの速度が急激に上がる。


 自分が死に物狂いで走った道をいとも簡単に駆け抜け、矢のようなスピードであっという間に盗賊達の背中が見えてきた。

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