第3回裁判 手がかりはぬれた葉っぱ? たぬきときつねの化かし合い事件

第10話 落とし穴

「これでよし!」


 学校から出ていた宿題を終わらせた桃田ヒロは、大きく背中をのばす。


 部屋のかべにかかっている時計の針が一定のリズムで動いている。


「あっ。そろそろ行かないと」


 ヒロは、カバンにおやつを入れて出かける準備をする。


「よろこんでくれるといいな」


 カバンを背負ってうれしそうに顔をほころばせながら家を出る。


「おーい! ヒロ!」


 庭で草むしりをしている祖父が声をかけてきた。


「今日も裏山へ行くんか?」


「うん。友だちと約束してるんだ」


「そうか。ケガしないように気いつけろー」


「わかった! 行ってきまーす!」


 手をふりながら大きな声で返事してから走り出す。


 今日は見せたいものがあるから絶対に来てほしい、と言われているのだ。


 それがなんなのか。ヒロは、期待に胸をふくらませながら足を動かす。


「たぬきやきつねにかされないように気いつけろー」


 全速力で走っていったヒロに祖父の言葉が届いたかどうかはわからない。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 今までは休みの日になると、ヒロは図書館へ妖怪の本を借りに行ったり友だちの家でゲームをしたりすることが多かった。

 それが最近では、鬼丸あかりといっしょに裏山で遊ぶことが増えた。


 鬼丸あかりは、4年生の教室にやってきた転校生。

 運動が得意で動物や植物のことにもくわしい女の子だ。


 鬼丸が転校してきたばかりの頃、『モモタロウ』と呼ばれる学級委員長のヒロとの仲は、あまりいいとは言えなかった。

 それでもある事件をきっかけに二人のきょりは縮まり、今では友だちになっている。

 本当は他の子も呼んでみんなでいっしょに遊びたいけれど、むずかしいだろう。

 なぜなら鬼丸は、人間ではなく妖怪。

 頭のてっぺんに角の生えている鬼なのだから。


 ヒロは、そんな彼女の秘密を知る人間の男の子である。

 妖怪が大好きなヒロは、鬼丸が鬼であることをかくして人間の学校に通っていることをだれにも言わないと約束したのだ。


「鬼丸さーん! 来たよー!」


 一本道を登りきったヒロは大声で呼びかける。

 けれど返事はない。どうやら鬼丸は、まだ来ていないようだ。


 種類のわからない鳥のさえずりや、どこにいるのかわからない虫の鳴き声が聞こえる。ただしここには、妖怪はひそんでいない。


「今日はどんな妖怪に会えるんだろう」

 ヒロは、大きな木の下に腰かけてうれしそうにつぶやいた。


 裏山の頂上は、妖怪の住む世界とつながっている。

 ここには妖怪だけが自由に行き来できて、人間には見つけることのできない不思議な道があるのだ。

 ただし、妖怪の持ちものを身につけるか、妖怪といっしょにいるなら話は別だ。人間にもその道を見ることができるし、妖怪の世界へ行くこともできるようになる。


「楽しみだなあ。早く来ないかなあ」


 これまでにもヒロは、鬼丸といっしょに妖怪の世界へ何度も遊びに行っている。


 ある時は、木を切りたおしたのがかまいたちの兄弟と突きとめた。

 またある時は、カッパのすもう大会から消えたきゅうりを見つけた。

 どれも忘れることのできない楽しい思い出ばかりだ。

 おかげでヒロは、鬼丸以外の妖怪とも仲よくなり、友だちになることができた。


「モモタロウ!」


 突然、あだ名を呼ばれてビクッとした。


「だれ? どこにいるの?」


 ヒロはすぐに立ち上がり、うっそうとした草むらや大きな木に目を向けていく。


「わたしだよ、わたし」


 大きな木のかげから聞き覚えのある女の子の声が聞こえてきた。


「え? 鬼丸さん?」


 ヒロは、おそるおそるといった風にたずねる。


「あたり! わたし、鬼丸あかりでしたー! きゃはは!」


 女の子が笑い声をあげながら姿を現した。


「モモタロウが来るまでかくれてたんだよ。おどろいた?」

「う、うん。すごく、おどろいたよ」

 ヒロは正直に答える。

 同時に、不思議にも思った。

 鬼丸がヒロのことをモモタロウと呼んだことについて。

 モモタロウはヒロのあだ名で、クラスメイトや担任の先生がよく呼んでいる。

 けれど鬼丸は呼ばない。

 鬼は桃太郎が苦手だから。

 絶対に呼ぶことはないはずなのに……。


「それじゃあ妖怪の世界へ行こう!」

 まったく気にしていない様子の鬼丸が、いつものように手を差し出してきた。

「う、うん」

 いっしょにいるうちに慣れたのかもしれないと思い直したヒロも手をつなぐ。

「えっ!」

 思わず声が出た。

 なぜなら、鬼丸の手があまりにも冷たかったから。

 氷に触れたのかと思うほどの冷たさで、背筋にゾッと寒気が走る。

 ヒロは、うっかり手をはなしそうになった。

 けれど、手をはなしたら妖怪の世界は見えなくなり、入ることもできなくなる。

 なんとか気持ちを落ち着かせてからたずねる。


「鬼丸さん。手がすごく冷たいけど、どうかしたの?」

「さっきまで川を泳いでいたから!」

「えぇっ!」

 またヒロは、おどろくと同時に不思議に思った。 


 今日は太陽が出ていてあたたかくてすごしやすい。

 けれど川の水は、まだまだ冷たい。

 この時期の川を泳げるのは、妖怪ならカッパくらいのものだと思っていたから。

 もしかして、鬼も冷たい水に入ることができるのだろうか。

 ヒロは、妖怪の本に書かれていたことを思い出そうとする。


「それより早く行こうよ。ほらほら」

「う、うん。わ、わかった」

 鬼丸が強い力で引っぱるのでヒロもついていくしかなかった。


 二人は、妖怪の世界へ通じる道を歩きながらいつものように話をする。

「そういえば鬼丸さん。宿題は終わった?」

「しゅくだい? なにそれ? 楽しいの?」

「算数のドリルと漢字の書き取りだよ。忘れちゃった?」

「あ、ああ。それなら、もう終わった。うん」

 なんとも歯切れのわるい答えが返ってきた。


 今日の鬼丸は、いつもとどこかちがう。

 そう思った時、ヒロは彼女の頭に目を向けた。

「あれ、その頭はどうしたの?」

「えっ? 頭? なにかおかしい?」

 鬼丸は、あわてた様子で頭のてっぺんに生えた角をさわって確かめている。

「いつものバンダナはどうしたの?」

 鬼丸は、鬼であることをかくすためにオレンジ色のバンダナをまいている。

 人間の学校に行っている間だけでなく、妖怪の世界でヒロといっしょにいる時もずっとだ。


「べつになくてもいいでしょ。ここは妖怪の世界なんだから。だれも見てないよ」

 鬼丸は、それがどうかしたの、と言いたげな顔を見せる。

「うん……ぼく以外に人間はいないから大丈夫だと思うけど……」

 なんとなくヒロは、どんよりと暗い気持ちになった。


『これはね、お母さんといっしょにホオズキという植物を使って染めたんだよ』


 以前、鬼丸がうれしそうに話してくれたことを覚えていたからだ。

 それなのに今は、思い出のこもったバンダナをまるで大切じゃない風に言ったせいかもしれない。


 いつもは二人でいろいろと話しながら歩いているのに、今日はどちらも口を閉じたまま進んで行く。

 空は晴れているのに、心はくもっているかのようだった。


「あそこに座ろうよ」


 鬼丸が指さした先にはベンチがある。

 これはヒロが初めて妖怪の世界へ来て、鬼丸と仲よくなるきっかけとなった事件のものだ。かまいたちが切りたおした木を使い、鬼丸の父親の手によって作られている。


「そうだね。少し休もうか」

 ヒロは、手をはなしてベンチに歩いていく。

 今日の鬼丸がどこかちがうのは、川で泳いでいたからつかれているせいかもしれない。それなら、ベンチに座りながら持ってきたおやつをいっしょに食べれば……。


「うわあっ!」


 突然ヒロの足元がくずれたかと思うと、ひざの辺りまで土の中にうまっていた。


 いったいなにが起こったのか、すぐにはわからなかった。


 あらためて足元を見直すと、大きな穴がぽっかりと開いている。


「これ……落とし穴? どうしてこんなところに……?」


 一人ではうまく出られない。

 まるでアリジゴクの穴に落ちたアリになったような気分だ。


「鬼丸さん。ちょっと手を引っぱってくれる?」

 手を貸してもらおうとふり返ると、そこに彼女の姿はなかった。


「あれ? 鬼丸さん? どこに行ったの?」

 いくら探しても姿が見えない。

 仕方なく一人で出ようとしたら、落とし穴はくずれる。

 必死に出ようとすればするほど足は土の中にうもれていく。


「きゃはは!」


「え?」


 突然の笑い声におどろいたヒロが草むらに目を向ける。


「きゃはは! 人の子が落とし穴に落ちたぞー! きゃははー!」


 なにかが緑色の草むらをかき分けてにげていく。


 じっと見つめると、茶色い毛で細長い体型をした動物の後ろ姿だと気づいた。


「え? えぇ?」


 ベンチに座ろうとしたら落とし穴に落とされ、鬼丸に助けを求めたら姿は消えていて、よくわからない動物が笑ってにげていった。


「なんだこれ? なんなんだこれ?」


 いろいろなことが次々に起きて混乱する。そのせいでヒロは頭をかかえてしまう。

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