第4話 リリコのわがまま

「点滴が終わったらまた呼んでください」


 先生が病室を出て行って、誰からともなく溜め息が漏れる。


「あらためて先生から話聞いて、ほんま大ごとにならんで良かったわ」


 叔父おじちゃんはそう言って胸をで下ろす。


「ほんまにねぇ。叔母おばちゃんもほっとしたわ」


 叔母ちゃんも笑顔を浮かべる。だが。


「お祖母ちゃん、ほんまに無理せんといてや。お祖母ちゃんになんかあったら、私どうしたらええか分からへん」


 リリコの懸念けねんは晴れていない。お祖母ちゃんの倒れ込んだ様子はお祖父ちゃんの時のことを思い出させてしまい、それはトラウマとも言える。引っ込んでいたと思っていた涙がまだじわりと浮かんで来た。


「リリちゃん、こんなことで泣かんのよ」


 お祖母ちゃんの優しい声。点滴がされていない右手が伸びて来たので、リリコは両手でしっかりと握る。ほろりと落ちた涙が、白い掛け布団に小さな染みを作った。


「あのねぇリリちゃん、どうしてもねぇ、お祖母ちゃんの方が先にくんよ」


「それは、そうかも知れへんけど」


 そんなことを言われてしまったら、涙はますます止まらない。リリコはずずっと鼻をすすった。


「それにねぇ、リリちゃんかてお嫁さんになるかも知れへんねんから、そうしたらうちから出て行くことになるんやで」


「行かへん。お祖母ちゃんと同居してくれる人や無いと結婚せえへん。あかんかったら別居する。結婚なんかせえへんでも構わへんもん」


 本心だった。お祖母ちゃんをひとりにするなんて、リリコには考えられない。将来お祖母ちゃんがどうにかなってしまった時、行政や施設などに頼らなくてはならないかも知れないが、基本はリリコがお祖母ちゃんのお世話をしようと決めている。


「リリちゃん……」


 お祖母ちゃんは困った様にかすかに眉根を寄せた。だがリリコも譲れない。


「お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、リリちゃんを甘やかし過ぎたんやろか」


 するとそれまで黙っていた若大将さんが「それはちゃいますよ」と穏やかに言う。


久実子くみこさんととくさんが大事に育てはったから、リリコちゃんは優しくて素直なええ子に育ったんですよ」


 お祖母ちゃんは一瞬ぽかんと驚いた表情になるが、すぐに「そうやねぇ」と顔を和ませる。


「リリちゃんはほんまにええ子に育ってくれたねぇ。沙代さよちゃん、リリちゃんのお母さんもきっと喜んでくれてるねぇ」


「兄貴も絶対に喜んどるよ」


 叔父ちゃんの言葉に、お祖母ちゃんは嬉しそうに「うふふ」と笑った。




 お祖母ちゃんの点滴が終わって少し休んだあと、お祖母ちゃんは帰ることになった。ナースセンターで紹介状とお薬、受付番号を受け取り、ロビーの精算機で清算する。


 リリコがお財布もスマートフォンも忘れて来たことを恥ずかしそうに言うと、叔父ちゃんが「ほな、うちで出すわ」と言ってくれる。叔母ちゃんも隣で「うん」と頷いた。


「ありがとうねぇまことくん。家に帰ったら返すからねぇ」


「いや、うちで出さして欲しいわ」


「それはあかんよ。こういうのはねぇ、きちんとせな」


「でもなぁ」


 叔父ちゃんが渋ると、お祖母ちゃんは「まぁまぁ」と笑顔になる。


「その代わり、今度お邪魔さしてもろた時に、ご飯たらふくいただこうかねぇ」


「絶対やで。その時こそは手土産てみやげいらんからな?」


 叔父ちゃんはそう言って何度も念を押した。


 そして叔父ちゃんたちの車で家まで送ってもらう。助手席に叔母ちゃんが乗って、後ろにリリコ、若大将さん、お祖母ちゃんが並ぶ。もうお祖母ちゃんはしんどそうな素振りも無く、しっかりと自分の足で歩いていた。


 すっかりと陽は落ち、上着を持って来なかったリリコは少し寒かった。だがお祖母ちゃんも部屋着のままで運び込まれていたのでもっと寒いはずだ。若大将さんがお祖母ちゃんの肩にジャンパーを掛けてくれた。


「あらまぁ、ありがとうねぇ」


「あったかくしてくださいね」


 家に帰り着いたら、若大将さんはリリコたちを3階の家まで送ってくれた。すぐにお店に入ると言うので、皆で何度もお礼を言った。若大将さんは恐縮して「ほんまに大事無くて良かったですわ」と、お祖母ちゃんからジャケットを受け取って軽快に階段を降りて行った。


 叔父ちゃんと叔母ちゃんは上がってお茶を飲んで行ってくれたので、病院で借りたお金を返す。長居はせず、お祖母ちゃんに「ほんまにお大事にね」「無茶せんといてな」と言って家を出た。


 リリコは下まで叔父ちゃんと叔母ちゃんを見送りに行く。車を近くのコインパーキングに入れていたのでそこまで。


「叔父ちゃん叔母ちゃん、ほんまにありがとう」


「とんでも無いわ。リリちゃんも大変やろうけど、久実子お義母さんのことよろしく頼むな。いや、僕らが言うことや無いかも知れんけど」


「ううん、叔父ちゃんたちがお祖母ちゃん大事にしてくれてんの、良う解ってるから」


 叔父ちゃんたちとお祖母ちゃんに血縁関係は無い。叔父ちゃんにとってはお兄さんの奥さんのお母さんだ。なのにまるで本当に親の様に「久実子お義母さん」と言って慕ってくれている。


「当たり前やん。あのな、リリちゃん、久実子お義母さんにとって、リリちゃんは孫やねんけど、娘の様でもあって、沙代莉さより義姉さんの忘れ形見やねん。大事でたまらんって僕でも分かる。多分久実子お義母さんは、リリちゃんのためやったらなんでもしてまうと思うねん。でもな、辛い思うけど、久実子お義母さんもいつまでも元気やってわけや無い。どうしても歳取って身体も痛んで来る。久実子お義母さんも言うてはったけど、どうしてもリリちゃんより先に亡くなる。せやから大事にして欲しいと思う。でもな、もし結婚したい相手ができた時に、久実子お義母さんがおるから結婚諦めるとか、そういう風になったら、絶対に久実子お義母さんは悲しがる。久実子お義母さんと暮らし続けるか結婚して家を出るか、どっちがリリちゃんの幸せなんかはリリちゃんにしか判れへんし、もしかしたらその時点ではリリちゃんにも判れへんかも知れへん。後悔せん様にって言うんは簡単やけど、リリちゃんにとってええ様にするんが、久実子お義母さんにとってもええと思うねん。そりゃあ相手が博打ばくち打ちとかアル中とか暴力とか、そんなんやったら僕らも全力で止めるけど、久実子お義母さんが認める相手やったら、リリちゃんもちゃんと考えなあかんと思うねん」


 リリコはつい目をしばたかせてしまう。叔父ちゃんの言うことは良く解る。解るが。


「叔父ちゃん、私今付き合うてる人もおらんし、結婚のけの字も見えてへんで」


 すると叔父ちゃんは「いやぁ」と苦笑する。


「うちもほら、優恵ゆえ香純かすみがおるから、他人事や無いなぁ思ってな。実際他人事や無いんやし」


「うん、解る。叔父ちゃんと叔母ちゃんがお祖母ちゃんと私のこと良う思ってくれてんの。その時になってみんと判らへんけど、もしそうなったらどうするんが一番ええんかちゃんと考える。せやから安心して」


 リリコがにこっと笑うと、叔父ちゃんは「そうか」と頬を緩ませた。


「説教くさいこと言うで済まんなぁ」


「ううん、ありがとう叔父ちゃん。叔母ちゃんも、ありがとう」


「リリちゃん、何かあったら連絡するんやで。なんも無くても頻繁ひんぱんに会おうね」


 叔母ちゃんがそう言ってくれて、リリコは「うん」と笑顔で頷いた。

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